2003年2月26日
小学生の頃、時を認識しようと思ったことがある。
そう、某マンガチックにw

この世界には、時間というものが存在する。
普通に時間は過ぎてるじゃん?
今も時は過ぎている。
これを感知できないものかな?
なんていうか、
環境で認識するんじゃなく、
自分の中で認識できるように。

時がなんらかの形で動いてるのはわかる。
時計を見る。秒針が進む・・・。
1秒という時間。
0.1秒という時間。

光陰矢の如し
この世界の時間が経つのが早いのではなく、
自分の中にある時間が経つのが早いのかなと。

時という単位をきっちり認識できないものかなぁと。
単位がわかると一瞬ってやつがわかるってことだと思うし。

んで、「時」という字の由来を調べてみたり。
------
「日」は太陽を表しています。「土」は地面の土ではなく元は「止」という字で「足」からできた字です。この字には「前へ進む」という意味があります。「寸」は,「手首の脈拍」を測る場所を指しています。「、」はここで図るんだよという場所を示しています。だから,この字には「測る」という意味があります。
つまり,「時」という字には,「太陽が進むようすを測る」という意味があるのです。
------
だそうです。

そもそも時という単位は自分の中でみつけれないんじゃないかと。
環境を知りたいのではなく、自分を知りたいわけだから。

自分の中での単位ってなんだろう。
俺が考えるに、「感じる」。
これが1単位。

重力による体の重さを感じる。
手や足の温度を感じる。
血液の流れを感じる。
etc・・・。
感じていることを認識すること。

んで、心の中の"時"が流れていることを感じ、そして、その心の中の"時"の流れはこの世界から見れば一瞬であると。

どうだろう?
輝きを感じれるだろうか?
あなたの感じる一瞬一瞬に。

大人の姿をした子供ではなく、
子供の心を忘れない大人でありたいと思う。

あの時の"事"を忘れないのではなく、
あの時の"心"を忘れない自分でありたいと改めて思う。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索