昨日と今日で久しぶりにマトリックスシリーズを観た。

今までに3度くらいは観たけど、今観たらまた違った感じを覚得た。
今まで気付かなかったことがいろいろと観得た。

込み上げて来たものがあった。
理由がはっきり覚らない涙が出た。
なにかを感じて居ることは判る。
そこから先が知覚出来ない。

話が進み、最後

"始まりがあるものにはすべて終わりがある"

この言葉を放つ場面から理由を探した。

そして、

観付けたのは、慈悲だった。

思わず涙が溢れた。

 

世界を彩る花一輪

2004年11月21日 映画
「僕と一緒に生きてよかったって、

思ってもらいたかった。

だから、もし戻ってきたら、

そういう思いを

させてやりたいなって思うんです」



花びらのように散りゆく中で
花びらのように散りゆく事
”今”という現実の宝物

ここにゆるぎない大切な物
気づいてる”愛する”ということ

生まれ変わっても あなたに逢いたい
だから僕は精一杯生きて 花になろう
”想い”時を越え 永遠に響け

君の喜び 君の痛み 君の全てよ
さぁ 咲き誇れ もっと もっと もっと

 

サトラレ

2004年8月18日 映画
超遅ればせながら、これ観ました。
泣きましたw


悟られて困る理由はなにか。
それは、隠したい理由があるということ。


本当は筒抜けなのにね。
筒抜けてないなんて思っているのは、自分だけ。
隠せているなんて思っているのは、自分だけだよ。
隠したいって思うのは、エゴ。

だいたいさ
心理学とかでも、覚られたりするし。
嘘発見器みたいなものでも、覚られたりするし。
人相とかにも現れて来るし。
性格にも現れてくるし。

影響しないっていうことなんてない。
情報は、姿形だけじゃない。
つまり、心は在るがままであって、隠せないっていうことさ。
覚られてるのに、それに気付かない。

なにを考えているのかわからない人もいるって?
本当は覚ってるんだけどね。
それに気付いていないだけなんだよ。


自己を知ることは、皆を知ることだってね。
皆を知ることは、世界を知ることだってね。

 

奇跡

2004年2月4日 映画
っていうか、文字見てて、
この文字がなんなのか解らなくなることってないです?

いや、なんていうか、
文字が絵に見えるというか、
文字を文字として認識していないというか。

俺平仮名・片仮名とかでもけっこうあるw
まぁ、ここ2,3年の話ですけどね。

ふとした時にそうなる。
あれ?これってこんな文字だっけ??みたいな。

見慣れた物事が見慣れない物事に見える。







映画「ブルース・オールマイティ」を思い出す。

手品と奇跡

今、俺が知るべきものがここにある。

手品に惑わされちゃいけない。

"為さなければ、成らない"のが、奇跡。

なにかができるから、どうということではないんだ。

為していく過程そのものが奇跡。

大きく切ることのできない繋がりの中で

確かなものを知り得た気がしている。



今やっと、俺は過程があればいいと言える。

結果は気にしなくてもいい。

なぜなら、結果は、為していく中で築かれていくものであって、

築いたものは、過程そのものだからなんだ。

"為せば、成る"ことの原理

それは、奇跡と呼ばれるものの原理。



物事には順序というものがあるみたいだね。

俺が「ブルース・オールマイティ」を観ていなければ気付かなかったこと。

自分がなにかに気付くこと自体、道理に沿っている。



どんな物事にも意味があるんだ。

善いこと悪いこと。

なにが善くてなにが悪い?

善悪の区別は「悲しみ」を作る。

善悪自体、自分の中に在るものとは違うのだから。

ちなみに、自分が解らない物事に意味が無いわけじゃないんだ。

その物事は解らないという意味が今の自分には有るのだから。



願い祈ることは始まりで、

行い為すことが歩み。

どこに行ったっていい。

なにを為したっていい。

今、なにかを成したいと願い祈るなら、

それだけを一心に思えるように努力すること。

それが自分にとって今できる最高のことなんだ。

思い込ませることなく。

我に返った在りのままの自分で。

今を一心な気持ちにしよう。

そしたら

今まで自分が為して来た行いの意味が繋がり始めるよ。



自分の行為がそのまま繋がっていることを知っていくことになる。

知っていく中で後悔しないようにしよう。

後悔ではなく、反省をしよう。

そうやって自分の行為が意味を成して繋がり始める。
 
 
奇跡って、「そのもの」の中に「在る」"もの"の"こと"なんだね。

 

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