広く深く

2003年9月6日
皆さん、ホリスティック医学ってご存知ですか?


西洋医学と東洋医学の差について。
身体の機能を見るか、自分の感覚として見るかの差と思った。



幸せはどこにあるかというと、自分の感覚の中にあると思う。
感覚と一括りにすると曖昧だけど、
心が満たされている状態で感じれるもの"すべて"が幸せ。

「なにかをしているときが幸せ」という人がいる。

では、なにかをしていないときは幸せじゃないの?
一時の幸せも幸せの一部だろうとは思う。

本当の幸せはなにもしていなくても幸せ。


ふと思う。
身体に老いはあるが、心に老いはないよなと。
身体に生きる意味を求めるか、心に生きる意味を求めるか。

どっちを求めても結局戻ってくる。

「今」に。

探した答えは自分の中にあるものだった と。

身体も心も自分の中の話さ。
身体の中に心があり、
心の中に身体がある。


また、ふと思う。
「今」に戻ってくるとして、
じゃ、なにを探していたのか?と。

探すことは、"広く"と言える。
「今」に戻ってきて、
そこから自分の体感として得られるものを"深く"と言う。
真髄には、こうやって近づいていくのかなぁと思ったり。


本当の幸せって言ってるけど、本当の幸せが実感できるのは遠い。
俺は探すことからやっと戻ってきたところなんだ と。
ちょっとは体感できてて、幸せを感じてきてはいる。
でも、"すべて"の課題に出逢わない限り、
本当の幸せには成れないとも感じてる。



んで、ホリスティック医学について。
ホリスティック医学を知ったのは先月だったかな。
あまり気にもとめてなかったんだけど。
最近西洋とか東洋とかでは一括りにできないことが多いし、
ホリスティック医学を口にちょくちょくし始めたり。
(↑どんな場面で口にする機会があるのかってねw)

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ギリシャ語の「holos」(全体)を語源とする『Holistic』 は、エコロジカルな社会をめざす人たちにとって最も重要なキーワードの一つで、「全体的」「全的」「全体論的」「関連」「つながり」「バランス」などと訳されています。
同じ語源から生まれた言葉には、『whole』(全体)、『heal』(治癒)、『holy』(聖なる)などがあります。
------------------------------- 引用

なんか、俺が考えてることにしっくりくるなと思いつつw


だいたい、最近真髄がどうとか言ってるのは、
「幸せ」と「気」に関して考えているため。

真髄の"言葉"を知ってもわかりゃしねぇw
コツつかんだからって、
コツからやってたら、土台すら崩れそうだ。

一度達した境地は、すぐ達せると言う。
でも、達せるからと、達するまでに至った過程を蔑ろにはできない。
っていうか、蔑ろにしたら、その達した境地からすらはずれる。


練ることの極意は、上から下へと流れる中にあると思う。

上から下へと流れる中で、滞っている場所がある。
それが課題とも言える。
その滞りをなくし、上から下へと流れる。
滞っている場所がある。
その滞りをなくす。
その繰り返し。

練ることの極意は、
上から下へと流れる中で、意識を始点以外作らぬこと。
上から下へと水が流れるように。
無為自然。

自分とは、上から下へと流れる始点に同じ。
現象とは、上から下へと流れる始点から終点までに同じ。

 

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