心と身体と自分
2003年9月17日心ってさ。
自分が考えてることの答えを示してくれてる。
俺にこうやれって教えてくれる。
心の声は自分の中から聴こえてくるから、
自分が思ってるのか?とか思ったりもするけど。
自分は心じゃない。
心は自分の一部だけど。
自分は心じゃない。
身体も同じ。
自分は身体じゃない。
身体は自分の一部だけど。
自分は身体じゃない。
前にも言った、身調、息調、心調。
違う捉え方もできるよう。
身体に無理をさせず、自分を落ち着かせ、心に素直に。
心と身体と自分のバランスがとれた点を探そう。
元々、心と自分はひとつのように思う。
となると、自分ってなんなんだろう。
今思ったのは、
自分とは、心が己を磨くために、"知る"ことで生まれたものじゃないか と。
心が己自身を磨くためにつけた研磨剤。
知れば知るほど、重くなる自分。
気付けば気付くほど、良質になる自分。
悟れば悟るほど、軽くなる自分、磨かれる心。
そして、元の輝きより、増す輝き。
最も大事なのは、
本来の輝きを取り戻し、輝きが増し始めてからの、
"最後のひと磨き"なんだろうな。
現象の中にいる自分。
存在の中にある心。
この現象を支えてくれている身体。
他の存在が現象の波に乗せてその存在を表現してくれている。
自分という存在もまた、自分を通して表現している。
俺は、自分を磨くために。
そして、人のためになるように。
俺は、そのために今ここにいる。
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2003/09/18 00:30
俺が反応しないことに、あなたはなにを思う?
俺が四股を踏まず、相撲をとろうとしないのに、
なぜ、あなたは俺と相撲をとろうとする?
俺は、あなたと相撲をとりたくない。
相撲はひとりじゃできないよ。
違う形で、対話ができたらなと思う。
争わず、一緒にいれたらよかったのにね。
「して、あげる」ではなく、「して、もらう」。
「して、あげる」と、自分からなにかが無くなっちゃうよ。
「して、もらう」と、自分からなにかが無くなったりはしないよ。
自分がしたにも関わらず、もらえるってどういうこと!?みたいな。
でも、現実にはそういうものなんだ。
注意しなきゃいけないのは、
自分がしたから、もらうよっていうわけじゃないんだ。
それは「して、あげた」になる。
自分がしたくてしたなら、なにも相手に求める必要はないんだ。
自分がしたくてしたんだから。
その上で、相手が、「して、くれる」なら、
それは、「(自分が)して、(相手がすることによって=)もらう」ということ。
あたりまえだけど、お互いがそれをできるって、とても難しく思う。
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自分が考えてることの答えを示してくれてる。
俺にこうやれって教えてくれる。
心の声は自分の中から聴こえてくるから、
自分が思ってるのか?とか思ったりもするけど。
自分は心じゃない。
心は自分の一部だけど。
自分は心じゃない。
身体も同じ。
自分は身体じゃない。
身体は自分の一部だけど。
自分は身体じゃない。
前にも言った、身調、息調、心調。
違う捉え方もできるよう。
身体に無理をさせず、自分を落ち着かせ、心に素直に。
心と身体と自分のバランスがとれた点を探そう。
元々、心と自分はひとつのように思う。
となると、自分ってなんなんだろう。
今思ったのは、
自分とは、心が己を磨くために、"知る"ことで生まれたものじゃないか と。
心が己自身を磨くためにつけた研磨剤。
知れば知るほど、重くなる自分。
気付けば気付くほど、良質になる自分。
悟れば悟るほど、軽くなる自分、磨かれる心。
そして、元の輝きより、増す輝き。
最も大事なのは、
本来の輝きを取り戻し、輝きが増し始めてからの、
"最後のひと磨き"なんだろうな。
現象の中にいる自分。
存在の中にある心。
この現象を支えてくれている身体。
他の存在が現象の波に乗せてその存在を表現してくれている。
自分という存在もまた、自分を通して表現している。
俺は、自分を磨くために。
そして、人のためになるように。
俺は、そのために今ここにいる。
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2003/09/18 00:30
俺が反応しないことに、あなたはなにを思う?
俺が四股を踏まず、相撲をとろうとしないのに、
なぜ、あなたは俺と相撲をとろうとする?
俺は、あなたと相撲をとりたくない。
相撲はひとりじゃできないよ。
違う形で、対話ができたらなと思う。
争わず、一緒にいれたらよかったのにね。
「して、あげる」ではなく、「して、もらう」。
「して、あげる」と、自分からなにかが無くなっちゃうよ。
「して、もらう」と、自分からなにかが無くなったりはしないよ。
自分がしたにも関わらず、もらえるってどういうこと!?みたいな。
でも、現実にはそういうものなんだ。
注意しなきゃいけないのは、
自分がしたから、もらうよっていうわけじゃないんだ。
それは「して、あげた」になる。
自分がしたくてしたなら、なにも相手に求める必要はないんだ。
自分がしたくてしたんだから。
その上で、相手が、「して、くれる」なら、
それは、「(自分が)して、(相手がすることによって=)もらう」ということ。
あたりまえだけど、お互いがそれをできるって、とても難しく思う。
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