自分に足りないもの
2003年9月24日ピンポン観て考えさせてもらったこともあり。
そして、いろいろと試行錯誤してみたわけですが。
なにかと考えても、うまくいかないものはいかないわけで。
みょーに疲れを感じたりしました。
んで、結局のところ。
考える必要ないものじゃんということに。
やっぱ、軸を安定させてないからこうなるんだろうなw
うまくいくときといかないときの差を思いながら。
今一度基本に戻ってみる。
疲れたときはこれに限るってやつを。
姿勢を正しつつ、5感から外した意識を足裏へ。
そして、筋肉を緩ませていく。
自然と意識と感覚が繋がったところが沈んでいく。
なにも考えるな。
感じろ。
今やってて癒されましたw
ちょっと元気でてきたw
俺も心構えがなっちゃいないってことだなw
初心を忘れるなってねw
養うためにやってるんだから、浪費すんなってねw
俺に足りないもの
なにかをやろうとする気持ちが足りないと知る。
やる気はどこから出てくるのだろう。
本当に漲る感じの、子供の頃のあのやる気は
やっぱ中心の方から溢れてきてたものだろうな。
素直さが足りないな。
まぁ、失ったものは仕方ない。
練るのは身口意と気の合わせ だ。
養えるのは気。
練れるのは身口意。
出来上がるのは芯。
忘れず、頼んますよ 俺!
-----------------------------------------------------------------
ふと思う。
確かに霊が見える人がいる。
だが、俺には見えない。
過去一度だけ見たことがある。
でも、その一度だけ。
まぁ、その一度のときは憑いてきましたけど(遠い目)
寒い時期とも重なって、手や足を筆頭に全身の血行がすこぶる悪くなり、
手足が紫一歩手前らへんまでいってた。
それは憑かれてから3日目にしてそんな状態にw
初めて、自分の気を他のものに吸われる感じを覚えました。
んでね。今ふと思う。
俺、霊とか見えないけどさ、
霊が俺に与える影響は感じれる。
もし、霊が"見える"のがひとつの感覚の型だとするなら、
皆見ようと思えば見えるなw
タブンw
んでさー。
やっぱ世の中すべて型なのかなと思ったわけで。
形という名のね。型。
何もの・事にも、とらわれないということは、
自分自身から気が離れないということ。
それだけじゃなく、
捉えることもまた、とらわれてるのと変わりない。
万華鏡を見るときのように、
覗けば見える。
覗かなければそう見えないことを知ろう。
いつも万華鏡を覗いているから
それが普段見える景色だと捉えているんじゃないかな。
今の自分で解放できるところから、
どんどん解放していかないといけないね。
そして、改めて束縛するんだ。
新鮮な感じがするよw
「あれ、なんでこんなことしてるんだっけ?」みたいな、
目が覚める感じで。
大切ななにかを思い出せる気がするよ。
あぁ、そうそう。
片っ端から解放していったら、
改めて束縛していくとき、これは必要か?っていうものがでてくる。
そういうものって束縛する必要のないものだから、
整理も含めて整頓するのに便利だよw
だって、本当に必要なものは有無を言わさず束縛してるはずだしね。
必要がないからって解放しても、無くなっちゃうわけじゃないから。
だから、できるだけ持たずに置いておきなね。
でないと、イッパイイッパイになっちゃうからさw
ね?
そして、いろいろと試行錯誤してみたわけですが。
なにかと考えても、うまくいかないものはいかないわけで。
みょーに疲れを感じたりしました。
んで、結局のところ。
考える必要ないものじゃんということに。
やっぱ、軸を安定させてないからこうなるんだろうなw
うまくいくときといかないときの差を思いながら。
今一度基本に戻ってみる。
疲れたときはこれに限るってやつを。
姿勢を正しつつ、5感から外した意識を足裏へ。
そして、筋肉を緩ませていく。
自然と意識と感覚が繋がったところが沈んでいく。
なにも考えるな。
感じろ。
今やってて癒されましたw
ちょっと元気でてきたw
俺も心構えがなっちゃいないってことだなw
初心を忘れるなってねw
養うためにやってるんだから、浪費すんなってねw
俺に足りないもの
なにかをやろうとする気持ちが足りないと知る。
やる気はどこから出てくるのだろう。
本当に漲る感じの、子供の頃のあのやる気は
やっぱ中心の方から溢れてきてたものだろうな。
素直さが足りないな。
まぁ、失ったものは仕方ない。
練るのは身口意と気の合わせ だ。
養えるのは気。
練れるのは身口意。
出来上がるのは芯。
忘れず、頼んますよ 俺!
-----------------------------------------------------------------
ふと思う。
確かに霊が見える人がいる。
だが、俺には見えない。
過去一度だけ見たことがある。
でも、その一度だけ。
まぁ、その一度のときは憑いてきましたけど(遠い目)
寒い時期とも重なって、手や足を筆頭に全身の血行がすこぶる悪くなり、
手足が紫一歩手前らへんまでいってた。
それは憑かれてから3日目にしてそんな状態にw
初めて、自分の気を他のものに吸われる感じを覚えました。
んでね。今ふと思う。
俺、霊とか見えないけどさ、
霊が俺に与える影響は感じれる。
もし、霊が"見える"のがひとつの感覚の型だとするなら、
皆見ようと思えば見えるなw
タブンw
んでさー。
やっぱ世の中すべて型なのかなと思ったわけで。
形という名のね。型。
何もの・事にも、とらわれないということは、
自分自身から気が離れないということ。
それだけじゃなく、
捉えることもまた、とらわれてるのと変わりない。
万華鏡を見るときのように、
覗けば見える。
覗かなければそう見えないことを知ろう。
いつも万華鏡を覗いているから
それが普段見える景色だと捉えているんじゃないかな。
今の自分で解放できるところから、
どんどん解放していかないといけないね。
そして、改めて束縛するんだ。
新鮮な感じがするよw
「あれ、なんでこんなことしてるんだっけ?」みたいな、
目が覚める感じで。
大切ななにかを思い出せる気がするよ。
あぁ、そうそう。
片っ端から解放していったら、
改めて束縛していくとき、これは必要か?っていうものがでてくる。
そういうものって束縛する必要のないものだから、
整理も含めて整頓するのに便利だよw
だって、本当に必要なものは有無を言わさず束縛してるはずだしね。
必要がないからって解放しても、無くなっちゃうわけじゃないから。
だから、できるだけ持たずに置いておきなね。
でないと、イッパイイッパイになっちゃうからさw
ね?
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