流れている

2003年10月3日
なにかを表現するということ。
それは、なにかを表現できなくするということ。


「ザ・ビーチ」のこととか書こうと思った。
そして、メッセで「ザ・ビーチ」の話をしていて、話がどんどん違う方向へw

違う方向っていうか、繋がっているものの渦を辿るっていうか ね。


んで、日記で、話したことを表現しようと思った。
でも、"そのもの"を形にすることは俺にはできない。

というより、型にはめ込む時、
型からはみ出た部分が明らかに"そのもの"として足りない。


だから、"そのもの"を型で伝えるのは無理。

だから、違う方法で伝えようと思う。







コツ・ポイントとして、伝える。


蓮が泥水からでてくるのはなんのため?
水面へ伸びようとするのはなんのため?
水上をより高く伸びようとするのはなんのため?

蓮の花が咲いて観なければ解らないものがある。


なぜ、勉強をするのか。
勉強を終えて観なければ解らない。

人生という勉強は、死んでから解る。
人生は終わって観なければ解らない。



始まりと終わり

一番近い表現は "砂時計"

俺の中では人が瞬間移動するようなもの。
素粒子が移動していくようなもの。

一粒一粒が終わりへ移動する。
その流れが生きるということであり、
移動が終われば、また、固体として存在する。

移動するためには、固体を液体とも気体とも言えないものになり、
移動するべきところへ移動する。


肉体もまた固体であり、液体であり、気体なんだろうな。
世界の物質は素粒子だと。

素粒子ひとつひとつが、共鳴する。
その一粒一粒は、大した事ないのだが、大事なのだ。


今耳に入ってくる音が聴こえるかい?
自分の身体の音を聴くのではなく。
身体の音が聴こえるのは、身体が自分と共鳴していないから。


なにかをすることが、感じることじゃない。
感じたことを言葉にする必要もない。
耳を澄ます必要もない。


俺は文字を連ねているだけ。
なにかを思った・感じたのはあなたさ。
感じると"そのもの"が分かる。
そして、自分のことが解る。

思うとそのものは観えないけど、なにかを疑問に思う。



物事の真髄に辿り着くことは、
砂時計が流れ終わることを意味する。

人生もまた同じ。

これが達するということ。
観え方が変わるということ。


知ることは、砂時計を流し始めること。
悟ることは、砂時計を流し終えること。

砂時計を引っ繰り返すことが、悟ったものを使うということ。



時間と観ているものが変わった。

砂時計を回転させてみて。

大事なのは軸。
軸がないのに回転しようとするから、歪む。
軸がないものは散る。
軸があるものだけが維持できる。


時間とは、砂時計を繰り返すこと。
それが時の間。
一時・一瞬とは、ひとつの砂時計、一回に同じ。
練ることもまた、砂時計に同じ。
そして、生きることもまた、一時に同じ。

無に帰すとは、無くなることではない。
有があり無がある。
無に帰すとは、有を創ること。
有を創ることは、無に帰するということ。
そして、有も無もないのだ。

流水

流れる(回る)ものなのだ。


夢の中にいたい?現実の中にいたい?
両方にいたいって?
そして両方をいったりきたりしたいって?
そこから離れることです。
両方が感じれるとは、両方にいることではない。


蓮を思い浮かべてみて
自分を投影するんじゃないんだ
自分は離れて観ているから素晴らしさが解るんだ


悟ることは、"そのもの"に帰すること

発している言葉の中に見え隠れしているものが、そのものに帰す



すべては回るもの
軸(芯)が大事
回転(現象)を追いかけてはいけない

芯が大事



型を外すとは、離れること。

真髄へ辿り着くためには
渦を描く人もいれば、直線を描く人もいる

俺は渦を描いてる
てか、直線描ける人ってどんな人だろw
ひとつのことだけをとらえることのできる人なのだろうw
後ろ向きに進んでいるのに、まっすぐに進める人。

直線は弱くないかって?
そう、そこなんだ。

能力があるから病気にかかる。
それは才能があるが故の病気。
病気を克服した時、その才能が花を咲かす。
(by 週刊モーニング "OPEN MIND"より+アレンジ)


芯を軸にして
軸の中心へと近づく自分
決して、自分の芯を観ることはできない

軸に対して、絶対に後ろ向き

その中で気になるものがあるから、回るんだ
人はそれを遠回りと呼ぶ

その遠回りをした分だけ、力が付くんだ
大きな渦を描ける人ほど力強い

その力を扱えるようになるのは、芯に辿り着いた時。

それまでは使われているに等しい





思うことの意味、感じることの意味

すべてのものが、ふたつの意味を理解したら、平和になる。

我欲とか、あるとかないとかが平和じゃない

皆がふたつの意味を理解していることが皆のユートピアなんだ。





物心ついた頃から、"自分"としての旅は始まってるっぽい

我が無くなることは、無我を有すること

バランス

だから、流れるんだ

我のままでもだめ、無我のままでもだめ

だから、流れてバランスをとってるんだ


芯は、我でも無我でもない





芯は色々な色に変化するのかって?
芯はそういう類いのものではないよ。
色がつくのは、流れているものにだ
芯に色はつかない。
というより、色(という概念)は無い。

無色が色だとするなら、空気という呼び方になる。
気だったらね。



金や銀の色について

色じゃないんだ
色なうちは、まだまだで
色が無くなって、やっと、そこそこ
そこから、初めて、色を回せるんだ
金や銀は、色が回っているのだ

色と空のバランス・砂時計がね
回ってるんだ

砂に色があることを言ってるのではなく
砂が流れることで、観えるものが、本当の色なんだ

これが、金や銀





砂時計をひっくり返すのは誰だ?
砂時計の回転を制御しているのは誰だ?

そこには、違う軸が存在してる。


砂時計を回転させているのが自分だとして

その自分を制御しているのも自分

制御している自分を、制御できるようになること





天上天下唯我独尊

始まりにして、終わりなる言葉らしい

零(0、ゼロ)と呼ばれるもの

能力があるから悩むんだ

才能があるが故の悩みだということを、理解しておかねばならない

悩むのにも、才能がいる



輝ける才能

渦を回せる力

大きく渦を回せるものほど、難しいけど、
それができるものは大きく輝く





最初の出発点は
自分を知ってしまうこと

自分とはなにか
それを探す旅にでる

戻ってくるとき気付く
気にしなくてもよいのだと

そして、解る
自分とはなにかと考えることこそ必要なかったのだと


汝己を知れ ←法が観えるようになること
心を解放せよ ←砂時計の回転を操れるようになること


「解放」というキーワードを身体に投げかけると
ふわっとなるよw ふわっとw
でも、芯がでてきないうちは、疲れる
だから、頑張るしかない
頑なにでも芯を張る
芯と見立ててでも張る



すべては、感じることだった

理解しようとすることではなかった

伝えることでもなかった

 

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