謝らないのは、それ以前の問題。

謝るだけで終わってはいけない。

謝りを自分が感じること。

そうしたら、自然と感謝の気持ちが生まれるよ。





仏の顔ってだいたい微笑みだよね。
もしかしたら、仏に達しできる最高の笑顔は"微笑み"かも知れないね。
屈託のない笑顔とは、無垢に近いということで。

俺、目とか好きだから考えてみたら、
"知っている者"が観せる顔には陰りがある。
楽しさや嬉しさだけしか知らない者なら屈託ない笑顔ができるだろう。

そして、人は笑えなくなっていく。
生きていると、嬉しいことや楽しいことだけが起こるわけじゃない。
苦しいこと、辛いこと、哀しいこと等も起こる。
この世に生まれてから、自我が生まれ、自我が確立する。
確立してからは考えることが増える=思考力がつく。


人が元々持っている力は考える力ではないだろう。
考える力は、その状態を抜け出そうとする力と感じる。


人生、「振り出し戻る」か「行き着き達する」か。

人生、考え抜けたもん(己に対して)勝ちってことだね。





今の自分に必要なことはすべて起こっている。
今だけの意味じゃなくね。過去も含めすべてだ。
自分が将来のことを考えるのも、死ぬことを考えるのもだ。





ちなみに、考え抜けたもん勝ちって
考えを抜けた者ってことだから。

考えなくなった者の勝ち

"考えなくなった"を、どう受け取るかによって、
振り出しに戻るか、行き着き達するかが極まる。





仏も人間なことを忘れないようにね。

 

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索