心の目

2003年12月14日
『心眼』


少しずつだが開いてきているように感じる。

いつから開き始めたのか判らないけど、

解り始めたときが、開き始めたときなのだろう。


開いていく様子を喩えるなら

自分の不安になっていることが、不安ではなくなっていくこと。

無知を、無知の知としていくこと。



要は、"使いよう"なのだろう。

使えるようになることではなく、

自分が"使える"と知ること。


これも無知の知に他ならない。

有を知ることは、無を知ることになるのだから。

 

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