今日も忘年会だったんだけど、
ペアでのホテル宿泊券をもらえたんだが辞退しちゃった・・・。
んで、後悔しまくりw

「まぁ、相手いないし」とか言ったけど、これだけ後悔すると笑える。

んで、気付く。
手に入りそうになることも、期待することもなければ、
こんなに後悔することもないのだと。

後悔するのはなにかを求めているから。

変わりにジグソーパズルをもらったけど、その後パズルを辞退。
いや、パズルはもらってはみたけど、下手に物を持つのは癖になるので、
手ぶらが一番ということで。


ここで考察していくと、
まず、後悔するのは悪いことか否かということ。
今回の件に関しては、
その後の気持ち等を観察することができたため、よしとするべきもの。
後悔で苦しんだのは、自分の気持ちがはっきりしていなかったことで、
納得しきる前に物事が流れてしまったこと。

納得していたら、後悔はしない。

俺は後悔した。
手に入りそうになったのが後悔の元ではなく。
手に入りそうになったことで、
それに執着したことが後悔の元なんだろうなw

いや、いい教訓になりました。

ちなみに、とっさに出た「相手いないし」という言葉ではありますが、
とっさに出たものほど取るべき行動だったように思います。

冷静に考えて観れば、
もし、ペア宿泊券なんて手に入ってたら誰誘うんだっつー二重苦w
苦しみが苦しみを呼ぶことになるw


ただ、なんだってそうだけど、

うまくいってるときだからこそ

こういうことを意識できるように心掛けていこうと、
気持ちを新たにしてみる。





『心の強さ』


心の強さとは、進めることだと感じる。


喩えるなら、
ノミが箱に入れられ、フタを閉められ、跳べばフタに当たることを繰り返し
いずれ、フタを外してもノミはフタの高さまで跳ばなくなる。
他から観れば、跳べなくなったわけだけど。
自分の限界はここまでだとしてしまう。

自分が限界ではないことを知り、この囚われを外す、そして、跳ぶこと。


自分は柵の中に入れられている。
そして、ここから出たいと思う。

柵から出ようとすること。
それが型を外すことだ。

だが、柵から出て、なにをしようというわけでもなく、
例え、なにかをしようと思っていても、それが終われば目的がなくなる。

目的がなくなったとき、自分はどうする?
新たな目的を探すかい?
それもいいよね。
それは、目的の為に自分は生きていると言える。

型が外れたということは、自由に動き回れるということ。


でも、囚われがなくなったことにはならないんだ。

囚われとは、自由に捉えることができないということなんだ。
つまり、自由に考えられないということ。

だから、自由に動き回れているつもりでも、行動範囲は狭いということ。
言い方を変えると、「行動をするとはどういうことか」という既成概念があり
この既成概念に自分が囚われているということ。

行動というものが、"選択肢"になっているんだ。





『丹田』

下丹田
 身体が出来始めることで、下腹部にエネルギーが集まり始める。

中丹田
 気持ちが出来始めることで、胸にエネルギーが集まり始める。

上丹田
 意識が出来始めることで、額にエネルギーが集まり始める。


どれかが出来始めることで、どれもが出来始める。
ひとつ言えることは、
揺らぐことのない土台なしに高く積み上げることはできないということ。





擦れ違うとき、
自分が静かでいられれば、人の静かさが判る。

他を観察することは自分の状態を量ることに等しい。





感じることと自覚すること。
感じることの上に、自覚することがある。
ただ、感じているだけでは気持ちまでしか作用しない。
そこから、それが"自分にとって"どういう物事か知るのが自覚。

意識を変えていくことは疲れるよね。
だから、変えようとしなくていいんだ。
自分に素直になって、
自分の行動に責任を持ち、
自分を受け入れていけばいい。

自分の行動に責任が持てれば自ずと変わっていくものなんだ。


これってすごくあたりまえなことだよね?

これは、「自立」という言葉に当たるものだと思う。

これは、「大人」という言葉にも感じている。





ありがとね。

なにかを言ってくれる人がいるって幸せだね。

ありがとう。

 

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