最近の落ち着き方


?姿勢を正しリラックスする
  首・肩・みぞおちを弛め、腰から仙骨の間を伸ばす

?聞く(?を意識しつつ)
  ひとつの音に意識を向けて、徐々に意識を内に向けていく
  聞こうとすることなく聞く

?見る(?を意識しつつ)
  見ることなく見る
  耳と目の感覚のバランスをとる

?呼吸を聞く
  呼吸を聞いていると、呼吸と意識が調和していく
  もちろん、この状態でも聞こえているし、見えている



こんな感じでしてたりします。

基本的に5感を感覚として実感していくことだと思います。

ちなみに、寒いときなど、呼吸を意識的に変えると温まれます。

でも、意識的にし過ぎると、もちろん、疲れますw


とりあえず、これをしていく中で、なかなか集中できないとき

なにか他に理由があります。

たとえば、身体が疲れているとか。悩みごとが緊迫してるとか。

身体が疲れているなら睡眠を。悩みごとなら向き合いましょう。

というより、どちらにしろ向き合わないと

疲れているということも解らないかも知れません。





今の自分と子供の頃の自分を繋げてみる


今、自分が昔に戻ったとして、子供の自分になにを伝えたいか。

今の自分と昔の自分との向き合い。


やってみた。


子供の俺が言う。
「今楽しい?」と。

今の俺が言う。
「うん。楽しいよ。」と。

今の俺が言う。
「やりたいようにやりなさい」と。

子供の俺が言う。
「うん」と。


俺の場合、

今の自分も、昔の自分も、

意志は同じようだ。



子供のあなたは、今のあなたに何を言ってくれてる?

色々と質問されるかも知れない。

それに今のあなたはどう答えてる?

子供のあなたの質問は、なにかを求める質問だった?

答えを求めてるのかも知れないね。


今でも思う。

その問いに答えてあげられるのは自分だけだ と。

子供の自分から進んできた自分。

問いに答えてないことの多いことw

っていうか、答えられないことの多いこと。


そうだ。これだ。

いつになっても答えられないのは、その問いに直面していないから。


子供の自分は子供の自分で、今の自分は今の自分じゃないかって?

うん。そうだね。

本当に自分がそこに戻れるなら ね。



俺が感じたなにかは

今の自分が、子供の頃の自分について思うことだった。

昔の自分は、今の自分。

今の自分は、今の自分。

どう考えても、今の自分なんだ。


今の自分が昔の自分から問われることは

今の自分が"問いだ"と思っているものだ。

それに答えないのは、答えようとしないのは、

自分を遠ざけていることなのかも知れないね。


答えられない問い。

答えないのでもなく、答えようとしないのでもない。

答えられない問いがあるとき、

今の自分に愛を与えよう。



俺は自分の闇を解決するために、今考えているのかも知れないな。

ナントカ療法と呼ばれたりしている方法が

自然と俺の解決手段として閃く。

自分の闇を解決する方法として。

自分にとって必要なことが自然と湧き起こる。

自己治癒力とも呼べるのかも知れないな。




気功や禅の考え方は、平和へと繋がっていると感じている。

気功や禅を中心に考えなくとも、

平和を考えれば、至るところは同じだね。


まずは、自分の心を平和にすることだと観じている。

自分の心を平和にできれば、その時点でかなり外の平和も進んでる。

平和っていうか、

調和が進んでいるから平和に近づいているということで。


調和していくことは、"ただ"観ていくことだと観じている。

観ることによって、解り、気付ける。

気付いていくこと。

それが、調和していくことだとも観じている。

 

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