always - all ways

2004年1月30日
一朝一夕で身に"着けた"ものってさ

一朝一夕で剥がれるし、忘れるよね。


ローマは一日にして成らず


てか、短期間で身に"付ける"にはさ

大変な努力で為さないと成らないことだ。


花や木がつぼみを"付ける"。

"着ける"ことじゃないんだよ。





自分の身体に気が付き始めた。

まだ、付いては消え、付いては消えを繰り返してる。

これがいつのまにか、身に付いてきて、

いずれ花を咲かす日がくるだろう。





俺は、自分が、自分で、巡っていると思っていた。

どうやら、そうではない。

巡っている環境。

それを感じている自分。


巡っているのは、環境。

廻っているのは、自分。


周天と周転。


地球は回っていて、地球は周っている。


俺は回っていて、俺は周っている。



自分を知ることは、

自分の事実を観ずることであり、

流れを感ずることでもあるね。







「今」を感じようとすると、気を引き寄せる。

今日初めてそれを感じた。

今まで、気による身体の"球"がどうやってできるのか判らなかった。

もちろん、解らなかった。


なんとなく解り始めてる。

作ることではなく、作られること。

見ることなく見る。聞くことなく聞く。


ちなみに、

「今」は、概念として有るものではなく、

「今」は、事実として在るもの。


最初は外へ。

少しずつ少しずつ内へと向かっていく。

気付いていくことで、作られていくものがある。

作られていくものに気付いて、初めて内に気付く。


こうやって、観る視点は変わっていく。


俺は、とりあえず、真球を目指すことにする。

前までは、金や銀を目指してたけどねw

質にもいろいろとあるのだ と。


真球は、一生のライフワークの中で完成すれば上出来。

完成できなくてもその過程で作られるものは掛け替えない。

俺になにかを気付かせてくれる過程に成るだろう。


俺にとって

その過程が結果を現しているのだから。

 

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