天上とは
2004年2月11日タイミングってさ
成るように成ってるね。
考える機会を与えてもらった。
ほんと成るように成ってる。
人の都合によって、自分の都合が悪くなるのは、自分勝手。
自分の都合によって、人の都合を悪くさせてしまうのは、自分勝手。
俺の都合が悪くなることを予め俺が知っていれば、
自分勝手になることはなかったろう。
でも、予めなんていうことがどこまで言えるのか。
人の都合によって、俺の都合が悪くなり、
これはどうしてなのか考えていた直後、
俺は俺で、人の都合以前に自分の都合が悪いことが判った。
だから、人の都合が悪くても問題なかったわけなんだけど。
なんて、俺は自分勝手なんだろう と。
この続きは後日。
自分の思ってることや考えてることって不思議だね。
考えていると、どんどん考えている思考そのものが変わっていく。
もちろん、不思議なことは俺が解らないだけなんだけど。
とりあえず、
ほんと廻ってると感じてる。
この廻り方が螺旋。
ひとつ階段を昇るために、
ひとつ昇るための階段を探してる。
あ!!
なんか、すごく懐かしいことを思い出した。
皆が心を開くときは、自分の心が開いているときだっていうこと。
思い出したのは、"こと"だけど、書くのは"もの"で。
学生の頃にもそういえばこういうことがあった みたいな。
思い出せば思い出すほど、今の自分に反映されていく。
自然に思い出すことってありませんか?
俺はけっこうあります。
なんていうか、俺の場合、記憶を辿るっていうのとは違う意味なんだけど、
昔の記憶っていうか、昔の経験と今の考えが繋がるときがあるんだ。
俺はこれを「思い出した」と言っている。
んで、俺が思い出したのは、
人の心を開かせることは、自分の心を開かせることに同じだっていうこと。
現に俺は昔そうやって開いていた気がする。
その場面が頭に浮かび、ぱっと今の考えと繋がる。
そして、自分は理解する。
身体を弛めて、足の裏までその弛みを沈めていく。
その弛みを意識しつつ、耳と目を意識してみる。
耳や目は意識しなくてもいずれ自然と調和されるもの。
身体を弛めてその状態を維持すること。
ただ、それだけがどれだけ難しいことかはその人次第。
それが難しいことであっても
それが易しいことであっても
その"こと"に変わりはないんだ。
人には得手、不得手というものがある。
そういう"もの"がある"こと"に変わりはない。
不得手でもいいじゃない。
自分が、やりたいという「志」があるのなら。
自分は不得手だから、やりたくてもできないというのは責任転嫁なんだ。
本当にやりたいなら、やれるまで努力しているもんなんだ。
結果的に、できなかったとしても ね。
上へ行く人たちは、そういう人たちなんだ。
成るように成ってるね。
考える機会を与えてもらった。
ほんと成るように成ってる。
人の都合によって、自分の都合が悪くなるのは、自分勝手。
自分の都合によって、人の都合を悪くさせてしまうのは、自分勝手。
俺の都合が悪くなることを予め俺が知っていれば、
自分勝手になることはなかったろう。
でも、予めなんていうことがどこまで言えるのか。
人の都合によって、俺の都合が悪くなり、
これはどうしてなのか考えていた直後、
俺は俺で、人の都合以前に自分の都合が悪いことが判った。
だから、人の都合が悪くても問題なかったわけなんだけど。
なんて、俺は自分勝手なんだろう と。
この続きは後日。
自分の思ってることや考えてることって不思議だね。
考えていると、どんどん考えている思考そのものが変わっていく。
もちろん、不思議なことは俺が解らないだけなんだけど。
とりあえず、
ほんと廻ってると感じてる。
この廻り方が螺旋。
ひとつ階段を昇るために、
ひとつ昇るための階段を探してる。
あ!!
なんか、すごく懐かしいことを思い出した。
皆が心を開くときは、自分の心が開いているときだっていうこと。
思い出したのは、"こと"だけど、書くのは"もの"で。
学生の頃にもそういえばこういうことがあった みたいな。
思い出せば思い出すほど、今の自分に反映されていく。
自然に思い出すことってありませんか?
俺はけっこうあります。
なんていうか、俺の場合、記憶を辿るっていうのとは違う意味なんだけど、
昔の記憶っていうか、昔の経験と今の考えが繋がるときがあるんだ。
俺はこれを「思い出した」と言っている。
んで、俺が思い出したのは、
人の心を開かせることは、自分の心を開かせることに同じだっていうこと。
現に俺は昔そうやって開いていた気がする。
その場面が頭に浮かび、ぱっと今の考えと繋がる。
そして、自分は理解する。
身体を弛めて、足の裏までその弛みを沈めていく。
その弛みを意識しつつ、耳と目を意識してみる。
耳や目は意識しなくてもいずれ自然と調和されるもの。
身体を弛めてその状態を維持すること。
ただ、それだけがどれだけ難しいことかはその人次第。
それが難しいことであっても
それが易しいことであっても
その"こと"に変わりはないんだ。
人には得手、不得手というものがある。
そういう"もの"がある"こと"に変わりはない。
不得手でもいいじゃない。
自分が、やりたいという「志」があるのなら。
自分は不得手だから、やりたくてもできないというのは責任転嫁なんだ。
本当にやりたいなら、やれるまで努力しているもんなんだ。
結果的に、できなかったとしても ね。
上へ行く人たちは、そういう人たちなんだ。
コメント