きっかけを掴む

2004年2月19日
ふと気付く。

1年前とは明らかに違う俺の「気」についての観方。

1年前にこういうものだと思っていたものが、

その捉え方がずいぶんと狭かったことを知る。

そして、今もその狭さを感じ始めている。


なんとなく、

いつもこれが「きっかけ」のような気がしている。

俺がこの狭さを感じなければ、

俺は今より広く成れない。

いや、成ろうとしないだろう。


拡げるのか、拡がるのか。

分かれ道

この「きっかけ」を"ものにできるかどうか"に懸かっているんだ。





「きっかけ」とは、「縁」と呼ばれているものだと観じている。

「きっかけ」を掴むものは、いつも前向きなものだ。

それに手を伸ばすことができるのは、前向きだから。

前向きだからなんだよ。

前向きに成るためには、自分を自分で励ますこと。

なにかに頼り依存するのではなく、

自分を自分で励ませるということ。

それがまわりに依存しない「自分らしさ」を育てることにもなっているんだ。

もちろん、支えてもらっていることも忘れないでね。


依存することと支えてもらっていることは違うんだ。

詰まるところ、

依存しないことが「きっかけを掴む」ということになると観じている。



誰かにしてもらう前に、自分でしてみよう。

自分でできること。

その中に「きっかけ」は含まれているんだよ。

自分でできることは、抱え込むことともまた違うんだ。


自分らしく。

ね。

 

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