最近、湧き上がるものが少なくなった。
んで、
観ていると、ぱっとそれが解けることが増えた。
観察は、観て察すること。
洞察は、水と同じように察すること。

観るということ自体、動作の一部で、
察するということ自体、流れの一部。

なにかを思うこと自体、気持ちの一部で、
なにかを感じること自体、気持ちの一部。


囚われているとは、葉が木に、木が森に観えているということ。

捉えているとは、葉、木、森を観ているということ。

放たれたものの観方は、葉、木、森が観えるということ。


葉を見て木を見ず
木を見て森を見ず


結果を観ようとすればするほど、葉が観える。
過程を観ようとすればするほど、森が観える。


俺が言いたいのは、「それ」じゃない。
俺が言いたいのは、「それ」はそこに在るということなんだ。

解りたいことは、「それ」は「すべて」の一部だということ。

気付きたいことは、解ることで放たれていくものが在るということ。

気付いていくことで、そのものに気を付けていく。

気が付いていくことで、そのものに付けた気が、自然と繋がり始める。

繋がりは広がりと深さを持って、やがてひとつになる。


手放すとは、環境を変えることでも、観方を変えることでもない。

流れの中で自分「が」動こうとしないこと。

自分「が」思う通りに物事進むと思わないこと。

手放すとは、解るということであり、心の自由を感じることだとも観じている。

 

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