当然が当然じゃ無く成る時
2004年3月4日朝通勤中、歩いてるとなんか頭がモヤついてるなと感じた。
なんでかなって感じて観たら、
モヤついてるのが異常なんじゃなくて、
モヤついている状態が通常だった。
今までこんなモヤついた中で生きてたのか とw
解ったからって、そう簡単にこのモヤが消えるわけじゃないけど。
少なくとも、どうすればこのモヤが消えるかという研究はできるわけで。
こうやって少しずつ気付くことがあり、解ることが増え、
今の問題が解ければ、また次の問題が現れる。
心の中にあるこの問題達は、解いていかないと、どんどん絡まっていく。
絡まりが複雑に成れば成るほど、難解に成っていく。
でも、実は、
難解に成っているものすら、「難解に成っている」という問題なんだ。
難しいことを、ただ「難しい」と思い込まないこと。
易しいことを、ただ「易しい」と思い込まないこと。
問題を、ただ「問題だ」と思い込まないこと。
問題に成っている理由、為している訳を知ろう。
「無知の知」ほど「無」を知る方法を他に俺は知らない。
いろんな物事が"解る"って幸せなことだと観じてる。
幸せだと感じてる。
なんでかなって感じて観たら、
モヤついてるのが異常なんじゃなくて、
モヤついている状態が通常だった。
今までこんなモヤついた中で生きてたのか とw
解ったからって、そう簡単にこのモヤが消えるわけじゃないけど。
少なくとも、どうすればこのモヤが消えるかという研究はできるわけで。
こうやって少しずつ気付くことがあり、解ることが増え、
今の問題が解ければ、また次の問題が現れる。
心の中にあるこの問題達は、解いていかないと、どんどん絡まっていく。
絡まりが複雑に成れば成るほど、難解に成っていく。
でも、実は、
難解に成っているものすら、「難解に成っている」という問題なんだ。
難しいことを、ただ「難しい」と思い込まないこと。
易しいことを、ただ「易しい」と思い込まないこと。
問題を、ただ「問題だ」と思い込まないこと。
問題に成っている理由、為している訳を知ろう。
「無知の知」ほど「無」を知る方法を他に俺は知らない。
いろんな物事が"解る"って幸せなことだと観じてる。
幸せだと感じてる。
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