深遠
2004年3月17日聞きながら、落ち着かせる。
落ち着いくことは、頭をからっぽにしていくこと。
頭をからっぽにしていくことは、丹田に気持ちが沈んでいくこと。
沈む気持ちと、気付こうとする意識。
頭に残っているのは、気付こうとする意識だけ。
なにかを思えば、沈んだ気持ちが浮いてくる。
それに気付くと、また沈んでいく。
気持ちがどんどん頭から離れれば、それだけ落ち着いてくるということ。
頭をからっぽにしていく時に、気付こうとする意識は集中しなければならず、
最初は、気付こうとする意識に集中していこうとすると、気持ちが浮かび易い。
気持ちが浮かぶということは、その意識の持ち方はなにか違うのかも知れないね。
俺が観じているには、
なにかに一点集中することは、気持ちを沈めるため。
気持ちが沈んでいくということは、頭がからっぽになっていくということ。
もちろん、身体を弛めていかなければ、気持ちも沈まないんだけど。
裏を返すと、一点集中ができてくれば、身体は弛んでいく。
いや、弛まないかも知れない。
弛んでいくのは、まわりを感じられているから。
俺の場合は、聞けているから。
俺のやり方は、
まず、身体を弛める。
手や足、首や肩、そして、お腹。
できるだけ ね。
今、楽に弛められるだけ弛めたらいい。
もし、弛めることに集中できるなら、集中した方がいい。
次に、聞くことに意識を向ける。
「身体を弛めながら」聞こえていることに気付いていくんだ。
大事なのは、身体を弛めること。
弛めながら、聞こえていることに気付いていく。
この時、意識は聞こえているなにかに囚われてはいけない。
つまり、なにかを聞いたり、なにかを思ってはいけない。
なにかを聞いたり、思ったら、それに気付き、また聞こえていることに気付くこと。
聞こえていることに気付いていくことは、意識の集中。
意識の集中ができてくることで、身体はもっと弛んでいく。
身体を弛めるのは、意識を集中する土台を作るため。
土台ができてくれば、意識を集中するのも容易になっていく。
聞こえていることだけじゃなく、
いろんなことに気付くことができるようになっていく。
「今」は、
身体の弛みと意識の集中が築かれていくことで
初めて気付き、実感することのできるものだと観じている。
落ち着いくことは、頭をからっぽにしていくこと。
頭をからっぽにしていくことは、丹田に気持ちが沈んでいくこと。
沈む気持ちと、気付こうとする意識。
頭に残っているのは、気付こうとする意識だけ。
なにかを思えば、沈んだ気持ちが浮いてくる。
それに気付くと、また沈んでいく。
気持ちがどんどん頭から離れれば、それだけ落ち着いてくるということ。
頭をからっぽにしていく時に、気付こうとする意識は集中しなければならず、
最初は、気付こうとする意識に集中していこうとすると、気持ちが浮かび易い。
気持ちが浮かぶということは、その意識の持ち方はなにか違うのかも知れないね。
俺が観じているには、
なにかに一点集中することは、気持ちを沈めるため。
気持ちが沈んでいくということは、頭がからっぽになっていくということ。
もちろん、身体を弛めていかなければ、気持ちも沈まないんだけど。
裏を返すと、一点集中ができてくれば、身体は弛んでいく。
いや、弛まないかも知れない。
弛んでいくのは、まわりを感じられているから。
俺の場合は、聞けているから。
俺のやり方は、
まず、身体を弛める。
手や足、首や肩、そして、お腹。
できるだけ ね。
今、楽に弛められるだけ弛めたらいい。
もし、弛めることに集中できるなら、集中した方がいい。
次に、聞くことに意識を向ける。
「身体を弛めながら」聞こえていることに気付いていくんだ。
大事なのは、身体を弛めること。
弛めながら、聞こえていることに気付いていく。
この時、意識は聞こえているなにかに囚われてはいけない。
つまり、なにかを聞いたり、なにかを思ってはいけない。
なにかを聞いたり、思ったら、それに気付き、また聞こえていることに気付くこと。
聞こえていることに気付いていくことは、意識の集中。
意識の集中ができてくることで、身体はもっと弛んでいく。
身体を弛めるのは、意識を集中する土台を作るため。
土台ができてくれば、意識を集中するのも容易になっていく。
聞こえていることだけじゃなく、
いろんなことに気付くことができるようになっていく。
「今」は、
身体の弛みと意識の集中が築かれていくことで
初めて気付き、実感することのできるものだと観じている。
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