事実の裏に真実在り

2005年1月15日
友達からも被災地からの真実が送られてきました。
長いですけど、よろしければ読んでみて下さい。

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やっぱり、というか驚愕というか。 メダンにいらっしゃるTAKAさんからの今までよりもやや総括的で、それゆえいっそうインパクトの強いお便りです。いったん帰国なさるのでこれが第一期の最終章になるかもしれません。皆様にお知らせください。もし外国語の翻訳できれば海外の方達にも是非。  mixi

今日も朝から、地元TVではアッチェの被災地の映像とレポーターの悲しみを誘う話が続く。どれも、この2週間同じ映像が流れ続け、レポーターの話の内容も一向に変わり映えしない。そう、マスコミの全てが、何かを深く、固く覆い包み、隠している。26日朝、激震を受けたとき、妻は生まれたばかりの赤ん坊を胸に抱いて母乳を与えていた。もし、ベッドの上に寝かしたままだったら、下の固い陶器製のタイルで、赤ん坊の頭は頭蓋骨陥没になっていただろう。あらためて我々に運があることを感じていた。急いで、TVをつけニュース番組を探した。画面には日本のようにいち早くテロップが流れるなど無く、延々とお笑い番組の馬鹿笑いと、濃い目の化粧をした歌手たちの歌が続いていた。その日は、一日待っても、地震の情報、ましてや津波の警報など無かった。我々は、地震の規模の割には大した被害もなかったのだろうか、と安心して少し余震が残る部屋で眠りに着いた。しかし、このとき既にアッチェでは津波で10万人近い人々が亡くなっていたのだった。それから2日間、被害を伝える映像は、ここ北スマトラで最大の人口200万都市のメダン市では流れなかった。ただ、ニュースの合間にキャスターへ現地からの電話だけが時折入る程度だった。このときに既に報道規制が入っていたのではないだろうか。日本であれば、マスコミはすぐに情報収集に関係機関へ走るだろうし、自社のヘリコプターを飛ばしいち早く現場に飛び、最新の映像を送っただろう。あまりにも、静かだった。情報がほとんど無いことに疑問を感じた私は、日本から持ってきていたラップトップで、web情報を日本サイドからとることを思いつき、キーを打ち始めた。画面に現れた現実に、私は、愕然とした。家族たちへ、日本からの情報を流し、友人たちへ事実を伝えるのが私に出来る唯一のことだった。先に話した、ボランティア活動をしている高さんたちは、既にこの28日の時点で、台湾当局と連絡を取り合い、既に医療チームとレスキューチームを飛行機で現地バンダアッチェへ送っていたのだ。海外の情報と対応が当のインドネシア政府、マスコミより速い。何故だろう?? 電話などの連絡網がインドネシアは遅れているのか。否、街では日本並み、それ以上にNOKIA製の携帯電話が氾濫、メールはあちこちで飛び交っている。この携帯がすべてアッチェにつながらなくなった。1月4日、やっと政府は住民用の回線をつないだ。津波発生から9日目である。最大の被災地メラブにいたっては、12日後の1月7日である。では、インドネシア政府はその間何をしていたのだろう。小出しに出てくる情報から少し事実が見えてきた。インドネシア政府は、1970年代から独立運動地アッチェに対し強硬な対抗手段をとってきた。アッチェの年間予算の約6倍の予算を使い政府軍を送り込んでいる。この軍隊が津波当日、アッチェで大規模な軍事訓練を行っていたらしい。その為、軍事訓練参加者の多くが死亡している。警察官もバンダアッチェだけで、1500人が死亡している。想像されることは、政府はこの軍隊の家族の救援に全力を注いだことである。このための報道規制、通信規制、民間への救援規制の可能性がある。その間に、何人の救われた人が死んでいっただろう。これで、あれだけの多くの救援物資がありながら、現地の被災者に届かなかった訳が見えてくる。現地の人が一番先に恐れていたのが、インドネシア政府軍隊だった。略奪、レイプを怖れたのだ。事実、避難後再びメラブの妹の婚約者が2人で住んでいた家に貴重品を取りに戻ったところ、貴金属、お金、そして男物の洋服が盗まれていたが、妹の洋服は全てそのままだった。もし被災者がやむにやまれず入ったのであれば、男女とも洋服は必要だったろうが、男物のみとなると、軍隊しか考えられないというのが、婚約者の話だった。政府は被災者救援に軍隊を送ったのでなく、軍隊救済のために軍隊を送ったのである。インドネシアの一般市民から、現大統領に対する不信感は高まるばかりである。地元TVは、連日海外からの来賓客を迎え、多額の義援金をもらい、しかも過去の借金まで棒引きにしてもらえるボーナスつきの恩恵にあずかり、笑みを浮かべる大統領の顔が映し出されている。おそらく日本のマスコミには流されていないかもしれないが、現地アッチェでは「政府はアッチェを利用して海外から借金をするな!」というプラカードを掲げてデモが行われている。そう、政府は対立するアッチェの勢力を抑えることが出来ること(住民の5分の1が死亡)、アッチェの経済の立ち直りに5年から10年はかかるがそれをコントロールできる可能性があること、アッチェの被害を理由に多額のお金が手に入る(政府高官の懐が潤う)こと、過去の多額の借金が帳消しになること、政府はお金を一切出さずにいられること、しかもその上に海外から借金をしようということ、濡れ手に粟とはこのことである。政府としては、笑いが止まらないだろう。救援物資が軍の飛行場で野積みのままであるのは周知の事実。いくら海外が支援の物資を送っても、それをインドネシア政府や軍に渡せば、そのほとんどが彼らの懐に入ると考えるべきである。ましてや、日本政府のように、お金の問題で済ませようとするならば、近隣諸国の高級住宅地に政府高官たちの別宅が半年後に立ち並ぶだろう。ただ、海外の軍隊がアッチェに自ら救援物資を運べば、話は別である。まず、インドネシア政府軍の略奪、レイプが抑制されるからである。彼等は、海外の軍隊が入ってくれば何も出来ない。だから、被災者たちは、海外の救援物資も嬉しいが、それ以上に海外の軍隊の駐留にほっとしている。被災地の安全を確保してくれるからだ。それにしても、近隣諸国、特にアジアの同胞達の民間支援の早さとと確実性には、驚かされる。町の85%の建物と人命が失われたメラブに、津波発生2日後には、シンガポールの貨物船がやってきて、瓦礫をかたずけるショベルカーなどの土木重機を運び込んで救援活動に入っている。近くの村々からは、被災を免れ人々から手渡しで食料が運ばれ、被災者達の命を救っている。日本でも、神戸の震災で多くのボランティア達の活動が被災者達の心に活力を与えた。これだけ通信ネットで国境が無い世の中になったのだから、政府どうしのやり取りなどあてにせず、民間のレベルでいち早く、いかに確実に支援、協力できるか、みんなの持てる全ての力を出し合うことで実現することは可能である。そうなれば、どんなに被災者たちは救われるだろう。
TAKA

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