運(出来事)の良し悪し(の判断)は、
個人の主観に拠るところが大きく、
一出来事で一喜一憂する事に繋がって行くように観えています。

運が飽くまでも外的要素なのは、
出来事は自分も関わっているけど、自分だけで出来事が起こっているわけではないっていうことですね。

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運の良し悪しは、科学で証明できるか? ⇒ 否
出来事の良し悪しは、科学で証明できるか? ⇒ 否

そこには切っても切れない主観があるから。

出来事に良し悪しはない。
その出来事の成り立ちが後に続いているだけ。

でも、そこには何かがあるように感じていて、
その何かに因って、自分は運がいいと思う。
その何かが解っていないのに、自分は運がいいのは解る。

では、なぜ、自分は運がいいと解るのか。

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その答えを見付けられた人が、運の好い人だと俺は表現しました。

「運の良い人」と「運の好い人」はまた別の見方です。

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運をコントロールすることは出来るのか?

出来ると『ある考え方』は言っています。

そして、

出来ないと『ある考え方』の教えに。

自業自得であり、因果応報である と。

だからこそ、
善い行いを為れば、それは善い結果(運)を生む と。

善い行いを為ることの出来た人こそ、運の良い人だ と。

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なので、
「運(人生)を掴む」も、「運(人生)に振り回される」も、自分次第ということで♪

 

コメント

梔子
2006年5月5日5:00

初めまして。


     他人に吐いたツバは自分に返ってくる


んでしょうね、きっと。

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