中
2006年9月15日階段の一番上と一番下
ある考え方は、階段の一番上から考え始める。
ある考え方は、階段の一番下から考え始める。
自分への理解の始まりが一番下なら、現実に立ち戻るのが一番上から。
両方の考え方がひとつの線上にあるのに、
上も下も理解していないと同じ考え方と解らない。
上も下も理解していても同じ考え方に見えないかも知れないが。
「上」だと、なぜ言えるのか?を問う。
「下」だと、なぜ言えるのか?を問う。
詰まるところ、そう捉えているのは 自分だから と答える。
結局、
上からでも下からでもいいじゃないか と思う。
大切なことは、上からであっても下からであっても「その」明確な理解を得ること。
探求する気があるなら、それで一歩でも進んでいるのだから と。
時間が足りない と思うかも知れない。
でもその人には、今その人の器に見合う情報がそこにある。
何の変哲もない一歩(出来事)に
何を観るのか
何を観ているのか
何を観たいのか
ある考え方は、階段の一番上から考え始める。
ある考え方は、階段の一番下から考え始める。
自分への理解の始まりが一番下なら、現実に立ち戻るのが一番上から。
両方の考え方がひとつの線上にあるのに、
上も下も理解していないと同じ考え方と解らない。
上も下も理解していても同じ考え方に見えないかも知れないが。
「上」だと、なぜ言えるのか?を問う。
「下」だと、なぜ言えるのか?を問う。
詰まるところ、そう捉えているのは 自分だから と答える。
結局、
上からでも下からでもいいじゃないか と思う。
大切なことは、上からであっても下からであっても「その」明確な理解を得ること。
探求する気があるなら、それで一歩でも進んでいるのだから と。
時間が足りない と思うかも知れない。
でもその人には、今その人の器に見合う情報がそこにある。
何の変哲もない一歩(出来事)に
何を観るのか
何を観ているのか
何を観たいのか
コメント