運勢が落ちるということ
2003年9月27日-----------------------
【運勢】
幸・不幸の巡ってくる具合。運命の勢い。
【運命】
(1)超自然的な力に支配されて、人の上に訪れるめぐりあわせ。天命によって定められた人の運。
(2)今後の成り行き。将来。
-----------------------
運命の勢いってさ、
心から漲ってくるあの力っていうかあの勢いのことだろうか。
心から漲ってくる勢いが弱まるとしよう。
つまり、俺という自分自身が弱まるということか?
そうとは感じないな。
確かにやる気がなくなるのが解る。
なくなるっていうか、やる気が起きない。
ある意味、心と自分の関係にはひとつのリズムがあって、
そのリズムが近い・合う・遠いっていう差で、
心の勢いの強さが変わるんじゃなかろうか。
もちろん、身体にもリズムがあるから、複雑になってくるわけだけど。
でね。
たとえ心との距離が開いて勢いが弱まったからって、
別に俺自身の勢いが弱まるわけじゃないんだよね。
っていうか、確かに俺は心自身なんだけど。
心自身に成るまで、俺は俺としているじゃん?
言いたいことは、心に使われるなってこと。
心からの勢いが弱まったところで、すべてが心のせいか?
身体の勢いが弱まったら、すべてが身体のせいか?
心は輝いてるよ。
だから、合うときはもちろん、近いときは自分すら輝いてるように感じる。
でも、
自分で輝いてるんじゃないんだ。
心が近いとき輝いてるのはあたりまえ。
勘違いするな。
調子がよかったのは、心が近かったから。
調子がわるくなったのは、心が遠くなったから。
なにか違うだろ。
他のせいにすることはもちろんのこと。
自分の生きる姿勢に問題がある。
生かされているって感じるのは、心や身体にはリズムがあるから。
でもね。
勘違いしないで。
自分が生かされているからって、自分で生きられないってことじゃない。
心が遠ざかったからなに?
だからって、なにも自分じゃしないのか?
それに、心は遠ざかっただけで、無くなったわけじゃない。
感じれるよ。
ただ、遠い分、勢いも弱く、感じるのは大変かも知れないけど。
ちゃんと届いてるよ。
生きる姿勢が歪んでた。
もう、他のせいにするのはやめよう。
自分ができることをちゃんとしよう。
後押しが弱くなったとしても、
それは後押しでしかなく、
自分にも勢いがあることを忘れちゃいけない。
心なのか、俺なのか、守護霊さんなのか解らないけど、
俺にやるべきことを教えてくれているものがいる。
やる気が起きないからって、その声を聞きながら聞き流してた。
俺がやらなきゃいけないのは、教えてくれているものが事実だ。
それが解っているのに動けない自分。
他のなにもののせいでもない。
俺が自分で動こうとしないことが問題なんだ。
こういう時かな、この言葉が似合うのは。
なにが大切で、
なにが大事なことか、
自分は解ってるのに、
動こうとしない自分がいる。
だったら、頑張れ!
自分を動かせるのは自分だけだ!
だから、頑張れ!!
****************************************************************
苦しみ悩んでいる時には
聖母マリアが現れて
貴い言葉をかけてくださる
”すべて なすがままに”
暗闇がぼくを取り囲む時
マリアはぼくの目の前にたって
貴い言葉をかけてくださる
”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
マリアは いつも優しく囁いてくれる
”すべて なすがままに”
傷つき 失意に生きる人々が
ともに ひとつの世界に結ばれる時
道は必ず開けてゆく
それまでは ”すべて なすがままに”
別れを告げる日が訪れても
いつかきっと 再び会える日がやってくる
その時 すべてが明らかになるだろう
それまでは ”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
そう その時こそ すべて解るでしょう
それまでは ”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
マリアは いつも優しく囁いてくれる
”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
マリアは いつも優しく囁いてくれる
”すべて なすがままに”
暗雲垂れ込める夜も
ぼくの上に射す一条の光が
夜明けまで 僕を見守ってくれる
妙なる調べに目覚めると
聖母マリアが現れて
貴い言葉をかけてくださる
”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
そう その時こそ すべて解るでしょう
それまでは ”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
マリアは いつも優しく囁いてくれる
”すべて なすがままに”
Let It Be / Beatles
****************************************************************
【運勢】
幸・不幸の巡ってくる具合。運命の勢い。
【運命】
(1)超自然的な力に支配されて、人の上に訪れるめぐりあわせ。天命によって定められた人の運。
(2)今後の成り行き。将来。
-----------------------
運命の勢いってさ、
心から漲ってくるあの力っていうかあの勢いのことだろうか。
心から漲ってくる勢いが弱まるとしよう。
つまり、俺という自分自身が弱まるということか?
そうとは感じないな。
確かにやる気がなくなるのが解る。
なくなるっていうか、やる気が起きない。
ある意味、心と自分の関係にはひとつのリズムがあって、
そのリズムが近い・合う・遠いっていう差で、
心の勢いの強さが変わるんじゃなかろうか。
もちろん、身体にもリズムがあるから、複雑になってくるわけだけど。
でね。
たとえ心との距離が開いて勢いが弱まったからって、
別に俺自身の勢いが弱まるわけじゃないんだよね。
っていうか、確かに俺は心自身なんだけど。
心自身に成るまで、俺は俺としているじゃん?
言いたいことは、心に使われるなってこと。
心からの勢いが弱まったところで、すべてが心のせいか?
身体の勢いが弱まったら、すべてが身体のせいか?
心は輝いてるよ。
だから、合うときはもちろん、近いときは自分すら輝いてるように感じる。
でも、
自分で輝いてるんじゃないんだ。
心が近いとき輝いてるのはあたりまえ。
勘違いするな。
調子がよかったのは、心が近かったから。
調子がわるくなったのは、心が遠くなったから。
なにか違うだろ。
他のせいにすることはもちろんのこと。
自分の生きる姿勢に問題がある。
生かされているって感じるのは、心や身体にはリズムがあるから。
でもね。
勘違いしないで。
自分が生かされているからって、自分で生きられないってことじゃない。
心が遠ざかったからなに?
だからって、なにも自分じゃしないのか?
それに、心は遠ざかっただけで、無くなったわけじゃない。
感じれるよ。
ただ、遠い分、勢いも弱く、感じるのは大変かも知れないけど。
ちゃんと届いてるよ。
生きる姿勢が歪んでた。
もう、他のせいにするのはやめよう。
自分ができることをちゃんとしよう。
後押しが弱くなったとしても、
それは後押しでしかなく、
自分にも勢いがあることを忘れちゃいけない。
心なのか、俺なのか、守護霊さんなのか解らないけど、
俺にやるべきことを教えてくれているものがいる。
やる気が起きないからって、その声を聞きながら聞き流してた。
俺がやらなきゃいけないのは、教えてくれているものが事実だ。
それが解っているのに動けない自分。
他のなにもののせいでもない。
俺が自分で動こうとしないことが問題なんだ。
こういう時かな、この言葉が似合うのは。
なにが大切で、
なにが大事なことか、
自分は解ってるのに、
動こうとしない自分がいる。
だったら、頑張れ!
自分を動かせるのは自分だけだ!
だから、頑張れ!!
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苦しみ悩んでいる時には
聖母マリアが現れて
貴い言葉をかけてくださる
”すべて なすがままに”
暗闇がぼくを取り囲む時
マリアはぼくの目の前にたって
貴い言葉をかけてくださる
”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
マリアは いつも優しく囁いてくれる
”すべて なすがままに”
傷つき 失意に生きる人々が
ともに ひとつの世界に結ばれる時
道は必ず開けてゆく
それまでは ”すべて なすがままに”
別れを告げる日が訪れても
いつかきっと 再び会える日がやってくる
その時 すべてが明らかになるだろう
それまでは ”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
そう その時こそ すべて解るでしょう
それまでは ”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
マリアは いつも優しく囁いてくれる
”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
マリアは いつも優しく囁いてくれる
”すべて なすがままに”
暗雲垂れ込める夜も
ぼくの上に射す一条の光が
夜明けまで 僕を見守ってくれる
妙なる調べに目覚めると
聖母マリアが現れて
貴い言葉をかけてくださる
”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
そう その時こそ すべて解るでしょう
それまでは ”すべて なすがままに”
”なすがままにまかせなさい
自然の流れに身をゆだねるのです”
マリアは いつも優しく囁いてくれる
”すべて なすがままに”
Let It Be / Beatles
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人は死ぬときに自分の課題を思い出す
2003年9月26日「運命をかえる言葉の力」より、曖昧に覚えている言葉ですw
自分の言葉に少々置き換えてますが。
今日会社から帰るときふと本屋寄れって浮かんできて、行った。
新刊のところへフラフラと。
1冊目「ビル・ゲイツの面接試験」あまり言うことなしw
2冊目本タイトル覚えてない><
そして、3冊目「運命をかえる言葉の力」
1,2冊は目次見て1,2ページ見て置いたけど。
この本だけは、まえがき見て、目次見て、見たいところを見てた。
この本に目潤んでたw
いいこと書いてあるなぁと。
一番最後の目次のところのやつが印象的でした。
機会があれば一度お読み下さい。私的にけっこうおすすめですw
思うことと感じることは違う。
思うことは逆流なんだろうな。
そして、感じようと思うと、流れが止まる。
皆思ったより思ってるんじゃないかな。
感じることとは逆の流れ、思うことに流れてってる。
感じ続けると本来の流れになり、綺麗な流れになる。
この流れで流れた綺麗な水を貯めないとね。
かき混ぜて逆流させた水なんて泥水そのものかも知れない。
感じようと思うことで流れが止まり、底の掃除ができるように思う。
つまり、底がよく観えるっていうかね。
もちろん、感じていれば自然と掃除されるみたいだが。
掃除するのは自分だけどねw
思うことと感じることは反比例する。
両立なんて考えなくていい。
感じようとしなくていい。
思わないようにしなくていい。
思わなければいいんだ。
落ち着こうとするのと同じ。
落ち着こうとしなくていい。
落ち着くんだ。
感じようと思うことと、感じることは違うんだ。
あと、感謝が大事。
愛も大事だけど、まず、感謝。
感謝あってこその愛。
愛あってこその感謝。
思う流れでの感謝や愛ではなく、感じる流れでの感謝や愛を表現しよう。
ぜんぜん表現方法が違うけど。
そうか。
感じる流れの中でも、言葉で表現する方法はあるのだ。
思う流れでの表現だと、なんか、与えてるって感じだけど、
感じる流れでの表現だと、自分ももらってるって感じ。
あぁ、この差なのか。
これで「して、もらう」は解決かなw
「する」ことは相手に与えるだけじゃなく、自分にも与えてるんだね。
ここ2,3日ずっとエネルギー不足みたいになってた。
今日思い出せたよ。ありがとう。
感謝だね♪
とびっきりの笑顔も忘れずにね。
いずれ
感謝が愛に変わる時がくるよ。
-----------------------------------------------------------------
各段階ごとに右へ繋がる流れがある。
思うこと → 【 思うこと 】へ
↓
感じようと思うこと → 【 思うこと 】へ
↓
思わないこと → 【 感じること 】へ
↓
感じること → 【 感じること 】へ
思わないことは感じないことではない。
思わないことが感じることへの一番近い道だ。
なんか、鈍感とか敏感を思い出した。
思うこと → 鈍感
感じようと思うこと → 過敏
思わないこと → 普通
感じること → 敏感
改めて、やっぱ、敏感ってすごいんだねw
思わないことと感じることの差は、
気持ちを解放するかしないか。
抑えていては流れがぎこちない上、止まる。
*****************************************************************
てか、運勢落ちるっていう話ですが、
落ち始めてるようです。
冷静に観ていられる間はこの状態を楽しめたりしますけど。
ほんとに解りますw
んー。なにが、違うのかって?
普通に生活してるとなにか見落としていたり、なんか欠けてるとか。
まぁ、運勢が落ちても、自分を見失うなってことみたいですw
幸せを感じれるか感じれないかは、自分次第。
自分が感じようとすれば感じれる。
それは、まわりが関係あることじゃない。
なぜなら、自分が感じれるものが幸せだから。
どんな状況に陥ったとしても、
それを対処するのが自分なら、
その中でも、幸せを感じれるかどうかも自分の問題さ。
だから、どんな時でも感じれなきゃいけないんだ。
幸せな時って不安になるかい?
至福に包まれている時不安だと"思う"かい?
たとえ、どんな状況であろうと、それは生きる中の1過程さ。
「思う」か「感じる」か。
たった一言だけど。
幸か不幸かを決める一言だと感じてるよ。
思うこともできれば、感じることもできることを忘れないように。
思わなくていいんだよ。
今を感じてみなさい?
ほら、あなたは生きてるよ?
ちゃんと感じれてる?
思ってることなんて小さな小さなことなんだよ。
あなたは生きてるんだよ。
ね。大丈夫だよ。
自分の言葉に少々置き換えてますが。
今日会社から帰るときふと本屋寄れって浮かんできて、行った。
新刊のところへフラフラと。
1冊目「ビル・ゲイツの面接試験」あまり言うことなしw
2冊目本タイトル覚えてない><
そして、3冊目「運命をかえる言葉の力」
1,2冊は目次見て1,2ページ見て置いたけど。
この本だけは、まえがき見て、目次見て、見たいところを見てた。
この本に目潤んでたw
いいこと書いてあるなぁと。
一番最後の目次のところのやつが印象的でした。
機会があれば一度お読み下さい。私的にけっこうおすすめですw
思うことと感じることは違う。
思うことは逆流なんだろうな。
そして、感じようと思うと、流れが止まる。
皆思ったより思ってるんじゃないかな。
感じることとは逆の流れ、思うことに流れてってる。
感じ続けると本来の流れになり、綺麗な流れになる。
この流れで流れた綺麗な水を貯めないとね。
かき混ぜて逆流させた水なんて泥水そのものかも知れない。
感じようと思うことで流れが止まり、底の掃除ができるように思う。
つまり、底がよく観えるっていうかね。
もちろん、感じていれば自然と掃除されるみたいだが。
掃除するのは自分だけどねw
思うことと感じることは反比例する。
両立なんて考えなくていい。
感じようとしなくていい。
思わないようにしなくていい。
思わなければいいんだ。
落ち着こうとするのと同じ。
落ち着こうとしなくていい。
落ち着くんだ。
感じようと思うことと、感じることは違うんだ。
あと、感謝が大事。
愛も大事だけど、まず、感謝。
感謝あってこその愛。
愛あってこその感謝。
思う流れでの感謝や愛ではなく、感じる流れでの感謝や愛を表現しよう。
ぜんぜん表現方法が違うけど。
そうか。
感じる流れの中でも、言葉で表現する方法はあるのだ。
思う流れでの表現だと、なんか、与えてるって感じだけど、
感じる流れでの表現だと、自分ももらってるって感じ。
あぁ、この差なのか。
これで「して、もらう」は解決かなw
「する」ことは相手に与えるだけじゃなく、自分にも与えてるんだね。
ここ2,3日ずっとエネルギー不足みたいになってた。
今日思い出せたよ。ありがとう。
感謝だね♪
とびっきりの笑顔も忘れずにね。
いずれ
感謝が愛に変わる時がくるよ。
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各段階ごとに右へ繋がる流れがある。
思うこと → 【 思うこと 】へ
↓
感じようと思うこと → 【 思うこと 】へ
↓
思わないこと → 【 感じること 】へ
↓
感じること → 【 感じること 】へ
思わないことは感じないことではない。
思わないことが感じることへの一番近い道だ。
なんか、鈍感とか敏感を思い出した。
思うこと → 鈍感
感じようと思うこと → 過敏
思わないこと → 普通
感じること → 敏感
改めて、やっぱ、敏感ってすごいんだねw
思わないことと感じることの差は、
気持ちを解放するかしないか。
抑えていては流れがぎこちない上、止まる。
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てか、運勢落ちるっていう話ですが、
落ち始めてるようです。
冷静に観ていられる間はこの状態を楽しめたりしますけど。
ほんとに解りますw
んー。なにが、違うのかって?
普通に生活してるとなにか見落としていたり、なんか欠けてるとか。
まぁ、運勢が落ちても、自分を見失うなってことみたいですw
幸せを感じれるか感じれないかは、自分次第。
自分が感じようとすれば感じれる。
それは、まわりが関係あることじゃない。
なぜなら、自分が感じれるものが幸せだから。
どんな状況に陥ったとしても、
それを対処するのが自分なら、
その中でも、幸せを感じれるかどうかも自分の問題さ。
だから、どんな時でも感じれなきゃいけないんだ。
幸せな時って不安になるかい?
至福に包まれている時不安だと"思う"かい?
たとえ、どんな状況であろうと、それは生きる中の1過程さ。
「思う」か「感じる」か。
たった一言だけど。
幸か不幸かを決める一言だと感じてるよ。
思うこともできれば、感じることもできることを忘れないように。
思わなくていいんだよ。
今を感じてみなさい?
ほら、あなたは生きてるよ?
ちゃんと感じれてる?
思ってることなんて小さな小さなことなんだよ。
あなたは生きてるんだよ。
ね。大丈夫だよ。
思うことと感じることの違い
2003年9月25日【 思うこと 】
なにかを思う
↓
思ったものについて考える
↓
考えたものについて思う
↓
思ったものについて考える
↓
考え・・・
そして、このループになにかを見出し
↓
気付く
【 感じること 】
なにかを感じる → 感じたものについて【 思うこと 】へ
↓
感じたものについて感じる → 感じたものについて【 思うこと 】へ
↓
感じたものについて感じる → 感じたものについて【 思うこと 】へ
↓
感じ・・・
思うことはひとつの感じたものでしかない。
感じることは思うことの集まりではなく、思う素だ。
いや、思う素って言ってるけど、本来思う素でもないんだ。
なにかが続いていて、なにかが繋がっている。
感じることが続いていて、感じるものがどこかで繋がってる。
感じることが続いていて、感じるものが心で繋がってる。
心で繋がってるのはいいとして。
感じることが続いているのも事実。
思うこともまた、心で繋がっていて、
思うことが続いているのも事実。
感じることは思うことよりも心に近いことではあるけど。
近いんじゃなく、心にならないとだめなんだよね。
心が続いていて、心ですべての感覚は繋がっている。
表現はできるが、中身が伴ってない。
この世界が続いていて、この世界とすべての心は繋がっている。
すべての世界が続いていて、すべての世界とこの世界は繋がっている。
すべての次元が続いていて、すべての次元とすべての世界は繋がっている。
すべてのものが続いていて、すべてのものは繋がっている。
各々の心が続いていて、各々の心とすべての次元は繋がっている。
ひとつの心は、すべてのものと繋がっている。
自分の心はちゃんと"ひとつ"として存在しているんだね。
だからこそ、自分の心はおざなりにできないし、大切なんだろうね。
そして、自分の心だけじゃなく、皆がそれぞれの心で、
この世界と繋がってるってことだね。
すべて掛け替えのできない存在ってことなんだね。
なにもする必要ないよ。
しなくとも存在は感じれるよ。
一生懸命探しているものはすぐそこにあるよ。
なにを確かめようとしているの?
すぐそこにあるものに気付いてよ。
ねぇ。
なにかを思う
↓
思ったものについて考える
↓
考えたものについて思う
↓
思ったものについて考える
↓
考え・・・
そして、このループになにかを見出し
↓
気付く
【 感じること 】
なにかを感じる → 感じたものについて【 思うこと 】へ
↓
感じたものについて感じる → 感じたものについて【 思うこと 】へ
↓
感じたものについて感じる → 感じたものについて【 思うこと 】へ
↓
感じ・・・
思うことはひとつの感じたものでしかない。
感じることは思うことの集まりではなく、思う素だ。
いや、思う素って言ってるけど、本来思う素でもないんだ。
なにかが続いていて、なにかが繋がっている。
感じることが続いていて、感じるものがどこかで繋がってる。
感じることが続いていて、感じるものが心で繋がってる。
心で繋がってるのはいいとして。
感じることが続いているのも事実。
思うこともまた、心で繋がっていて、
思うことが続いているのも事実。
感じることは思うことよりも心に近いことではあるけど。
近いんじゃなく、心にならないとだめなんだよね。
心が続いていて、心ですべての感覚は繋がっている。
表現はできるが、中身が伴ってない。
この世界が続いていて、この世界とすべての心は繋がっている。
すべての世界が続いていて、すべての世界とこの世界は繋がっている。
すべての次元が続いていて、すべての次元とすべての世界は繋がっている。
すべてのものが続いていて、すべてのものは繋がっている。
各々の心が続いていて、各々の心とすべての次元は繋がっている。
ひとつの心は、すべてのものと繋がっている。
自分の心はちゃんと"ひとつ"として存在しているんだね。
だからこそ、自分の心はおざなりにできないし、大切なんだろうね。
そして、自分の心だけじゃなく、皆がそれぞれの心で、
この世界と繋がってるってことだね。
すべて掛け替えのできない存在ってことなんだね。
なにもする必要ないよ。
しなくとも存在は感じれるよ。
一生懸命探しているものはすぐそこにあるよ。
なにを確かめようとしているの?
すぐそこにあるものに気付いてよ。
ねぇ。
自分に足りないもの
2003年9月24日ピンポン観て考えさせてもらったこともあり。
そして、いろいろと試行錯誤してみたわけですが。
なにかと考えても、うまくいかないものはいかないわけで。
みょーに疲れを感じたりしました。
んで、結局のところ。
考える必要ないものじゃんということに。
やっぱ、軸を安定させてないからこうなるんだろうなw
うまくいくときといかないときの差を思いながら。
今一度基本に戻ってみる。
疲れたときはこれに限るってやつを。
姿勢を正しつつ、5感から外した意識を足裏へ。
そして、筋肉を緩ませていく。
自然と意識と感覚が繋がったところが沈んでいく。
なにも考えるな。
感じろ。
今やってて癒されましたw
ちょっと元気でてきたw
俺も心構えがなっちゃいないってことだなw
初心を忘れるなってねw
養うためにやってるんだから、浪費すんなってねw
俺に足りないもの
なにかをやろうとする気持ちが足りないと知る。
やる気はどこから出てくるのだろう。
本当に漲る感じの、子供の頃のあのやる気は
やっぱ中心の方から溢れてきてたものだろうな。
素直さが足りないな。
まぁ、失ったものは仕方ない。
練るのは身口意と気の合わせ だ。
養えるのは気。
練れるのは身口意。
出来上がるのは芯。
忘れず、頼んますよ 俺!
-----------------------------------------------------------------
ふと思う。
確かに霊が見える人がいる。
だが、俺には見えない。
過去一度だけ見たことがある。
でも、その一度だけ。
まぁ、その一度のときは憑いてきましたけど(遠い目)
寒い時期とも重なって、手や足を筆頭に全身の血行がすこぶる悪くなり、
手足が紫一歩手前らへんまでいってた。
それは憑かれてから3日目にしてそんな状態にw
初めて、自分の気を他のものに吸われる感じを覚えました。
んでね。今ふと思う。
俺、霊とか見えないけどさ、
霊が俺に与える影響は感じれる。
もし、霊が"見える"のがひとつの感覚の型だとするなら、
皆見ようと思えば見えるなw
タブンw
んでさー。
やっぱ世の中すべて型なのかなと思ったわけで。
形という名のね。型。
何もの・事にも、とらわれないということは、
自分自身から気が離れないということ。
それだけじゃなく、
捉えることもまた、とらわれてるのと変わりない。
万華鏡を見るときのように、
覗けば見える。
覗かなければそう見えないことを知ろう。
いつも万華鏡を覗いているから
それが普段見える景色だと捉えているんじゃないかな。
今の自分で解放できるところから、
どんどん解放していかないといけないね。
そして、改めて束縛するんだ。
新鮮な感じがするよw
「あれ、なんでこんなことしてるんだっけ?」みたいな、
目が覚める感じで。
大切ななにかを思い出せる気がするよ。
あぁ、そうそう。
片っ端から解放していったら、
改めて束縛していくとき、これは必要か?っていうものがでてくる。
そういうものって束縛する必要のないものだから、
整理も含めて整頓するのに便利だよw
だって、本当に必要なものは有無を言わさず束縛してるはずだしね。
必要がないからって解放しても、無くなっちゃうわけじゃないから。
だから、できるだけ持たずに置いておきなね。
でないと、イッパイイッパイになっちゃうからさw
ね?
そして、いろいろと試行錯誤してみたわけですが。
なにかと考えても、うまくいかないものはいかないわけで。
みょーに疲れを感じたりしました。
んで、結局のところ。
考える必要ないものじゃんということに。
やっぱ、軸を安定させてないからこうなるんだろうなw
うまくいくときといかないときの差を思いながら。
今一度基本に戻ってみる。
疲れたときはこれに限るってやつを。
姿勢を正しつつ、5感から外した意識を足裏へ。
そして、筋肉を緩ませていく。
自然と意識と感覚が繋がったところが沈んでいく。
なにも考えるな。
感じろ。
今やってて癒されましたw
ちょっと元気でてきたw
俺も心構えがなっちゃいないってことだなw
初心を忘れるなってねw
養うためにやってるんだから、浪費すんなってねw
俺に足りないもの
なにかをやろうとする気持ちが足りないと知る。
やる気はどこから出てくるのだろう。
本当に漲る感じの、子供の頃のあのやる気は
やっぱ中心の方から溢れてきてたものだろうな。
素直さが足りないな。
まぁ、失ったものは仕方ない。
練るのは身口意と気の合わせ だ。
養えるのは気。
練れるのは身口意。
出来上がるのは芯。
忘れず、頼んますよ 俺!
-----------------------------------------------------------------
ふと思う。
確かに霊が見える人がいる。
だが、俺には見えない。
過去一度だけ見たことがある。
でも、その一度だけ。
まぁ、その一度のときは憑いてきましたけど(遠い目)
寒い時期とも重なって、手や足を筆頭に全身の血行がすこぶる悪くなり、
手足が紫一歩手前らへんまでいってた。
それは憑かれてから3日目にしてそんな状態にw
初めて、自分の気を他のものに吸われる感じを覚えました。
んでね。今ふと思う。
俺、霊とか見えないけどさ、
霊が俺に与える影響は感じれる。
もし、霊が"見える"のがひとつの感覚の型だとするなら、
皆見ようと思えば見えるなw
タブンw
んでさー。
やっぱ世の中すべて型なのかなと思ったわけで。
形という名のね。型。
何もの・事にも、とらわれないということは、
自分自身から気が離れないということ。
それだけじゃなく、
捉えることもまた、とらわれてるのと変わりない。
万華鏡を見るときのように、
覗けば見える。
覗かなければそう見えないことを知ろう。
いつも万華鏡を覗いているから
それが普段見える景色だと捉えているんじゃないかな。
今の自分で解放できるところから、
どんどん解放していかないといけないね。
そして、改めて束縛するんだ。
新鮮な感じがするよw
「あれ、なんでこんなことしてるんだっけ?」みたいな、
目が覚める感じで。
大切ななにかを思い出せる気がするよ。
あぁ、そうそう。
片っ端から解放していったら、
改めて束縛していくとき、これは必要か?っていうものがでてくる。
そういうものって束縛する必要のないものだから、
整理も含めて整頓するのに便利だよw
だって、本当に必要なものは有無を言わさず束縛してるはずだしね。
必要がないからって解放しても、無くなっちゃうわけじゃないから。
だから、できるだけ持たずに置いておきなね。
でないと、イッパイイッパイになっちゃうからさw
ね?
感じる
2003年9月23日あまりこんな話することないんだけど、
俺は子供の頃から、「目が見えなくなる」ことについて興味がある。
っていうか、なんでかはわからないけど。
もしかしたら、いずれ見えなくなるのかも知れないし。
聴覚と視覚、どちらかひとつ感覚を失わなければならないならどっちだ?
俺は聴覚を残したい。
障害的には、耳より目のが重いらしい。
ほとんどの人は目を重視してるだろうしね。
もちろん、俺も。
でもさ、思ったんだけど、
目ってさ、無くてもよかったんじゃないかな?
いつから目ってあるんだろう。謎
あたりまえのように5感があるように感じてるけど
なんで、"すべてを感じれるもの"があるのに、5感を作ったのか と。
そう。思うんだよねぇ。
"すべてを感じれるもの"って、5感がなくとも、5感は感じれるわけで、
5感は"すべてを感じれるもの"の一部なんだろうなぁと。
目が見えなくても、見える人がいるよね。
聴こえなくても、聴こえる人がいるよね。
匂えなくても、匂える人がいるよね。
感触が解らなくても、解る人がいるよね。
味わえなくても、味わえる人がいるよね。
5感があるから、感じれるんじゃないんだろうな。
5感があるから、感じれるんじゃない。
5感はなくても、感じれる。
つまり、5感は感じることの本質に遠い。
なにかが違う気がするんだ。
視覚とかってさ、
目を認識した時、感覚として視覚があるわけじゃん?
感覚ってさ、型の集まりなのかもね。
視覚っていう型。
聴覚っていう型。
触覚っていう型。
嗅覚っていう型。
味覚っていう型。
視覚の型が外せたら、目が見えなくとも、見えると思う。
なんで見えるのかって?
目が色を見せているのか、
感覚が色を見せているのかの認識の違いなんじゃないかな。
俺は感覚が色を見せているように感じるんだ。
っていうか、俺は5感より、6感目の勘の方を重視してる。
なんとなく ね。
そんな感じがする。
でも、一番重視してるのはやっぱ気だろうな。
気ってさ、
無意識も含むんだよね。
思えば届いてる。
送ろうとか思っていなくても、届いてる。
本当に気にしていなければ気にはならない。
誰かに届いているなら、それは気にしてるってこと。
気にしてないのに気になってるとするなら、
それって意識できてない意識なんじゃない?
俺は子供の頃から、「目が見えなくなる」ことについて興味がある。
っていうか、なんでかはわからないけど。
もしかしたら、いずれ見えなくなるのかも知れないし。
聴覚と視覚、どちらかひとつ感覚を失わなければならないならどっちだ?
俺は聴覚を残したい。
障害的には、耳より目のが重いらしい。
ほとんどの人は目を重視してるだろうしね。
もちろん、俺も。
でもさ、思ったんだけど、
目ってさ、無くてもよかったんじゃないかな?
いつから目ってあるんだろう。謎
あたりまえのように5感があるように感じてるけど
なんで、"すべてを感じれるもの"があるのに、5感を作ったのか と。
そう。思うんだよねぇ。
"すべてを感じれるもの"って、5感がなくとも、5感は感じれるわけで、
5感は"すべてを感じれるもの"の一部なんだろうなぁと。
目が見えなくても、見える人がいるよね。
聴こえなくても、聴こえる人がいるよね。
匂えなくても、匂える人がいるよね。
感触が解らなくても、解る人がいるよね。
味わえなくても、味わえる人がいるよね。
5感があるから、感じれるんじゃないんだろうな。
5感があるから、感じれるんじゃない。
5感はなくても、感じれる。
つまり、5感は感じることの本質に遠い。
なにかが違う気がするんだ。
視覚とかってさ、
目を認識した時、感覚として視覚があるわけじゃん?
感覚ってさ、型の集まりなのかもね。
視覚っていう型。
聴覚っていう型。
触覚っていう型。
嗅覚っていう型。
味覚っていう型。
視覚の型が外せたら、目が見えなくとも、見えると思う。
なんで見えるのかって?
目が色を見せているのか、
感覚が色を見せているのかの認識の違いなんじゃないかな。
俺は感覚が色を見せているように感じるんだ。
っていうか、俺は5感より、6感目の勘の方を重視してる。
なんとなく ね。
そんな感じがする。
でも、一番重視してるのはやっぱ気だろうな。
気ってさ、
無意識も含むんだよね。
思えば届いてる。
送ろうとか思っていなくても、届いてる。
本当に気にしていなければ気にはならない。
誰かに届いているなら、それは気にしてるってこと。
気にしてないのに気になってるとするなら、
それって意識できてない意識なんじゃない?
人のことは自分のこと
2003年9月22日自分のことだと思えば、自分のことなのに、
相手のことだと思うから、分からない。
相手のことを相手のことだと思う間は分かれないと知る。
相手のことを自分のことだと思うならいずれ分かれると知る。
人のことは自分のこと。
人事だと思わないで。
私事だ。
自分もまた人なんだ。
だからこそ、自分をなくさないで。
分かるとは、自分が解ることだ。
相手のことが解るわけじゃないんだ。
相手のことは分かること。
自分のことは解ること。
物事のことなら判ること。
相手のことなら分かること。
自分のことなら解ること。
お互いが自分のことだと知ること。
これが分かり合える第一歩かも知れないね。
昨日「あるある大辞典」でさ、
姿勢のことやってたね。
消費カロリーが増えると。
姿勢を正しくしていて損はないよ。
むしろ、姿勢悪い方がずいぶんと損してる。
あと、水分は大事。
とりあえず、起きたら水飲めっていうくらい水分大事w
水分が足りないと気持ち悪くなるのは俺だけ?w
水分補給をすると全身の血行がよくなる気がするのは俺だけ?w
身体には骨の芯がある。
自分には気持ちの芯がある。
違う芯だから解り辛い。
一緒に考えなくていいんだ。
ひとつひとつを観ていって、
その中に繋がりがあることを観付けていけばいいんだよ。
ね。
なにを"わからない"と言っているの?
なにが"わからない"か解るかな?
"なにがわからない"か解らないなら、
"なにもわからない"のはなんでか?って思っていけばいいんだよ。
ね?
大丈夫だから。
"わからない"のは、知ろうとしてないからなんだよ。
人が言う言葉に反発心が起きるかも知れないけど、
それもまた、自分の中で起きているってことなんだ。
逃げ切れるものじゃないんだ。
いずれ向かい合わなければならなくなる。
どうか、そんな時にでも、
姿勢を正しく、気持ちを落ち着けて、
自分、相手、物事を観てください。
きっと手掛かりがあるはずだから。
----------------------------------------------------------------
今日いい天気だね。
昼ご飯食べて外出たら、
空が青々とし、風は心地よく、
木々は日と影の彩りが綺麗で、
思わず上向いて深呼吸。
こんな日がずっと続けばいいのにとか一瞬思ってしまった。
そして、即、心からダメだしがw
ずっと続けばいいのに と、
一瞬を思うから儚いのだ と。
そして、
過ぎ行くから観賞できるのだ と。
だから、
今感じれていることに最大限感じなさい と。
それが、
今を生きるということだ と。
相手のことだと思うから、分からない。
相手のことを相手のことだと思う間は分かれないと知る。
相手のことを自分のことだと思うならいずれ分かれると知る。
人のことは自分のこと。
人事だと思わないで。
私事だ。
自分もまた人なんだ。
だからこそ、自分をなくさないで。
分かるとは、自分が解ることだ。
相手のことが解るわけじゃないんだ。
相手のことは分かること。
自分のことは解ること。
物事のことなら判ること。
相手のことなら分かること。
自分のことなら解ること。
お互いが自分のことだと知ること。
これが分かり合える第一歩かも知れないね。
昨日「あるある大辞典」でさ、
姿勢のことやってたね。
消費カロリーが増えると。
姿勢を正しくしていて損はないよ。
むしろ、姿勢悪い方がずいぶんと損してる。
あと、水分は大事。
とりあえず、起きたら水飲めっていうくらい水分大事w
水分が足りないと気持ち悪くなるのは俺だけ?w
水分補給をすると全身の血行がよくなる気がするのは俺だけ?w
身体には骨の芯がある。
自分には気持ちの芯がある。
違う芯だから解り辛い。
一緒に考えなくていいんだ。
ひとつひとつを観ていって、
その中に繋がりがあることを観付けていけばいいんだよ。
ね。
なにを"わからない"と言っているの?
なにが"わからない"か解るかな?
"なにがわからない"か解らないなら、
"なにもわからない"のはなんでか?って思っていけばいいんだよ。
ね?
大丈夫だから。
"わからない"のは、知ろうとしてないからなんだよ。
人が言う言葉に反発心が起きるかも知れないけど、
それもまた、自分の中で起きているってことなんだ。
逃げ切れるものじゃないんだ。
いずれ向かい合わなければならなくなる。
どうか、そんな時にでも、
姿勢を正しく、気持ちを落ち着けて、
自分、相手、物事を観てください。
きっと手掛かりがあるはずだから。
----------------------------------------------------------------
今日いい天気だね。
昼ご飯食べて外出たら、
空が青々とし、風は心地よく、
木々は日と影の彩りが綺麗で、
思わず上向いて深呼吸。
こんな日がずっと続けばいいのにとか一瞬思ってしまった。
そして、即、心からダメだしがw
ずっと続けばいいのに と、
一瞬を思うから儚いのだ と。
そして、
過ぎ行くから観賞できるのだ と。
だから、
今感じれていることに最大限感じなさい と。
それが、
今を生きるということだ と。
意識改革
2003年9月21日昨日の日記での表現を修正
自分の疲れは、気付き、悟ることでとれる
心の疲れは、心の要求を満たすことでとれる
身体の疲れは、身体を休ませることでとれる
クリムゾン・リバーを見ていて、飛び込んできた。
"秘められた真理を説くものは幸せなり"
ふむ。俺は幸せってことね。
有り難い。
身体の欲は、睡眠欲、食欲、性欲。
自分の欲は、財欲、名誉欲、その他諸々。
百八つの煩悩。
課題とは、欲に気付き、悟ること。
欲以外の気付きは、もっと輝かせてくれるもの。
心が要求することは、欲の消し方と己の輝かせ方を知ることだ。
気功をすることで、自分本来の力を引き出せる。
でも、自分の内面を磨かなければ、いずれ自分は消える。
寿命を迎える前に、力がなくなる。
力を使うのは自分だからだ。
使ってばっかしいてはだめだ。
それも使うというより、漏らしてる。
なぜ、漏らしてるかは、知っていけば解る。
知らずして、悟ることはない。
悟りなくして輝きなし。
知ること解りて、輝き集まり、
悟り開いて、光現る。
自分で言っててなんだが、
悟ってそこで終わっちゃだめなんだね。
俺の言葉が俺の言葉じゃないみたいに表現される。
俺が本来の俺じゃないからか。
知ること、それは、自分の内を観ていくこと。
自分の外を観ると現象が広がってる。
自分の内を観ると現象が広がってる。
外の現象に終わりはない。
内の現象に終わりはない。
外の現象に始まりはない。
内の現象に始まりはある。
最初、芯はない。
あるがままをあるがままと受け止め、
生きるがままに生きている。
生きていく中で、揺らぎが生じる。
この揺らぎが、自分を歪ませていく。
自分の歪みに痛みを覚え、原因を探す。
探すことで、原因が解り、歪みを矯正する。
矯正とは、芯を作るということ。
痛まない人に痛みは分からない。
芯がない人に芯は作られない。
自分には芯があることを知ってください。
そうか。
自分とは、気持ちだ。
気持ちに芯を作るんだ。
気はいろんな表現で使われている。
気付き、気合い、気分など、そして、気持ち。
気付きとは、気を付けること。気を近付けること。
気合いとは、気を合わすこと。
気分とは、気を分かつこと。
気持ちとは、気を持つこと。気を手にすること。詰まり、気。
空気とは、現象に気を感じること。
気に芯を作る。
気を知るものにとって、言ってることが簡単じゃないことは解る。
でも、
それは俺が考えることじゃない。
気に芯を作ること。
それが自分の輝きと幸せを感じるためなら、やるしかないっしょw
俺は日記を書いてて本当によかった。
自分の日記を読み返し気付けること。
それは、自分の気持ちに気付けること。
自分の気持ちがいろんなことに繋がってる。
繋がって観えるっていうことは、心ではないってことなんだ。
心からなにかが繋がっているとしても。
それは観えない。
観えやしない。
自分が繋がっているのは観える。
でも、心は観えない。
自分は心じゃない。
だけど、自分から心は観えない。
意味がわからないって?w
詰まり、心は感じるものだって言いたいのさ。
自分がこの世界でできること。
それは自らの心を感じること。
自分の日記を大事にしよう。
自分の行動を大事にしよう。
自分の発言を大事にしよう。
自分の気持ちを大事にしよう。
自分を大切にしよう。
大事とは、大きな出来事だということ。
大切とは、詰まるところ、大事なんだ。
自らを分けたもの 即ち 心
心の感じるままに。
天上天下唯我独尊
自分の疲れは、気付き、悟ることでとれる
心の疲れは、心の要求を満たすことでとれる
身体の疲れは、身体を休ませることでとれる
クリムゾン・リバーを見ていて、飛び込んできた。
"秘められた真理を説くものは幸せなり"
ふむ。俺は幸せってことね。
有り難い。
身体の欲は、睡眠欲、食欲、性欲。
自分の欲は、財欲、名誉欲、その他諸々。
百八つの煩悩。
課題とは、欲に気付き、悟ること。
欲以外の気付きは、もっと輝かせてくれるもの。
心が要求することは、欲の消し方と己の輝かせ方を知ることだ。
気功をすることで、自分本来の力を引き出せる。
でも、自分の内面を磨かなければ、いずれ自分は消える。
寿命を迎える前に、力がなくなる。
力を使うのは自分だからだ。
使ってばっかしいてはだめだ。
それも使うというより、漏らしてる。
なぜ、漏らしてるかは、知っていけば解る。
知らずして、悟ることはない。
悟りなくして輝きなし。
知ること解りて、輝き集まり、
悟り開いて、光現る。
自分で言っててなんだが、
悟ってそこで終わっちゃだめなんだね。
俺の言葉が俺の言葉じゃないみたいに表現される。
俺が本来の俺じゃないからか。
知ること、それは、自分の内を観ていくこと。
自分の外を観ると現象が広がってる。
自分の内を観ると現象が広がってる。
外の現象に終わりはない。
内の現象に終わりはない。
外の現象に始まりはない。
内の現象に始まりはある。
最初、芯はない。
あるがままをあるがままと受け止め、
生きるがままに生きている。
生きていく中で、揺らぎが生じる。
この揺らぎが、自分を歪ませていく。
自分の歪みに痛みを覚え、原因を探す。
探すことで、原因が解り、歪みを矯正する。
矯正とは、芯を作るということ。
痛まない人に痛みは分からない。
芯がない人に芯は作られない。
自分には芯があることを知ってください。
そうか。
自分とは、気持ちだ。
気持ちに芯を作るんだ。
気はいろんな表現で使われている。
気付き、気合い、気分など、そして、気持ち。
気付きとは、気を付けること。気を近付けること。
気合いとは、気を合わすこと。
気分とは、気を分かつこと。
気持ちとは、気を持つこと。気を手にすること。詰まり、気。
空気とは、現象に気を感じること。
気に芯を作る。
気を知るものにとって、言ってることが簡単じゃないことは解る。
でも、
それは俺が考えることじゃない。
気に芯を作ること。
それが自分の輝きと幸せを感じるためなら、やるしかないっしょw
俺は日記を書いてて本当によかった。
自分の日記を読み返し気付けること。
それは、自分の気持ちに気付けること。
自分の気持ちがいろんなことに繋がってる。
繋がって観えるっていうことは、心ではないってことなんだ。
心からなにかが繋がっているとしても。
それは観えない。
観えやしない。
自分が繋がっているのは観える。
でも、心は観えない。
自分は心じゃない。
だけど、自分から心は観えない。
意味がわからないって?w
詰まり、心は感じるものだって言いたいのさ。
自分がこの世界でできること。
それは自らの心を感じること。
自分の日記を大事にしよう。
自分の行動を大事にしよう。
自分の発言を大事にしよう。
自分の気持ちを大事にしよう。
自分を大切にしよう。
大事とは、大きな出来事だということ。
大切とは、詰まるところ、大事なんだ。
自らを分けたもの 即ち 心
心の感じるままに。
天上天下唯我独尊
新たな夜明けだ
2003年9月20日自分を難しく捉えてる人より、
自分を易しく捉えてる人の方がもっと素敵だ。
捉えるとは、手や足のように感じること。
詰まるところ、自分の身体のこと。
詰まり、自分のこと。
四季に、なにを感じる?
感じるのは自分なんだ。
言うなれば、輝くとは四季を過ごすこと。
春は実るんだ
夏は漲るんだ
秋は収めるんだ
冬は蓄えるんだ
そういうものなんだw
だから、四季を過ごすだけ。
春の実りに、なにかを思い、風情を感じる。
夏の漲りに、なにかを思い、風情を感じる。
秋の収めに、なにかを思い、風情を感じる。
冬の蓄えに、なにかを思い、風情を感じる。
それを輝く流れと表現してなかった?
表現してるよ。
流水さ。
水は流れる。
行雲流水
雲は行き、水は流れる
四季で表したことはそういうこと
春は実り、夏は漲り、秋は収め、冬は蓄え
続いていて
そして、繋がっている
四季の如く
姿勢を正しくしてると、疲労感が減る
っていうか、それが本当に身体に優しいことだから
姿勢を正しくしてると最小限の疲れですむ
俺の気の疲れは、愛ですぐ満たせる
心の疲れは、気付き、悟ることでとれる
身体の疲れは、身体を休ませることでとれる
寝ることには、別の意味があるらしい
身体を休ませることはもとより
自分の力を蓄える
チャージとも言う
だから、また、起きたら頑張れるんだ
それは心からもらってるらしい
心が自分を癒してくれてる
時間が解決してくれるとは、
寝てる時間フルに使って心が自分を癒してくれてるということ。
「ください」とは、「もらう」の丁寧語・敬語
気付きが溢れまくる。
どれだけ気付けばええねんってねw
まだまだ、足りてないなw
俺が無くなるまでこれは続くw
自分が本来の自分になるまでね。
今の俺の状態をさ
伝えたいんだけど
難しいw
いや、難しく捉えてるのは俺なんだけどね。
ってことは、易しく捉えれば表現できるかって?
そうじゃないんだw
俺が至極(無為)自然にしていることを、
相手が分かるように表現することはすごく難しい。
そうか
俺が難しいと言うのではないんだ
俺が難しいと言うのではなく
というより、俺が難しいと言うことはなく
俺が易しいと言うこともない
もし、あなたが難しいとも易しいとも思わなければ、いずれ分かるということ
「いずれ」が大事なんだ。
即分かろうとか思うのが間違い。
自分に芯を作ること。
いや、自分の芯を作ること。
んで、芯を表現すること。
お互いが芯を表現すれば、ただの表現さ。
相手の芯ではなく、自分の芯でよいのかって?
自分の でなければならない。
相手の ではだめ。
んで、相手の芯を自分の芯のように感じる境地は
詰まるところ、同じ"もの"だ。
詰まり、芯は、同じ"もの"なんだ。
人によって違う芯が出来上がるわけじゃない。
同じ芯ができるんだよ。
てか、これ以外に芯はないんだ。
人の芯と呼ばれるものは、これひとつなんだ。
だって、人と捉えて、芯と呼べるものはひとつだけ
。
でないと芯じゃない。
自分「らしさ」とは、芯の一部ではない。
芯は自分の一部だけど。
芯は自分らしさの一部じゃない。
芯って何かって?
その"もの"さ。
これ以上の言葉はない。
あるがままのこと。
その"もの"。
シンプルな言葉って分かる人には分かり易いけど
分からない人にとっては情報が少なすぎるって?w
誰にわかりやすいと思う?w
自分にってことさ。
自分に分かり易いということは、
相手にも分かり易いってことなんだ。
芯がある相手なら。
それが、分かるであり、分かつということ。
分かろうとしなくていい
理解しようとしなくていい
考えようとしなくていい
この3つを今、満たしてみてほしい。
もし、満たせるなら、
それは上記の3つの言葉が解るということ。
自分が悟れること。それが分かるということ。
例えば、一緒にスキーしたとするじゃん。
俺はスキーをした。あなたはスキーをした。
一緒と表現しているのに、個々を観ると別々なんだ。
でね、
一緒にスキーをしたことに対しての、芯っていうのは
「スキーをした」ということなんだ。
楽しかったとか、苦しかったとかいうものは、
俺の気持ちであり、あなたの気持ち。
お互いが分かち合ったものじゃないんだ。
俺が楽しかったと思い、あなたが楽しかったと思うとする。
これは、お互い「スキーをした」から、楽しかったと言える。
どう楽しかった?
俺は、曲がるところが楽しかった。あなたは、スピード感が楽しかった。
普通これくらい差があるんだ。
これを自分「らしさ」と呼ぶとする。
芯は、「スキーをした」こと。
気持ちは関係ないんだ。
だから、お互いの「らしさ」を活かしつつ、と、日記では表現してる。
そしたら芯を作るってどういうことかって?
「スキーをした」と悟ること。
てか、スキーの例えをやめて、俺の言葉でいうと
今俺の言葉になにかを見出そうとしてるよね?
"なにか"は、どこにあると感じる?
それは
俺の言葉から、俺のなにか。
んで、
見出したらどうなるかっていうと、
自分が解るっていうこと。
んでね。
ここからなんだw
見出したのは、
自分の中にも同じ気持ちがあったっていうことが解ったってことなんだ。
これが分かるってことなんだ。
そして、今読んで分かろうとしてくれていること。
これが、「して、もらう」ということ。
俺は、芯の作り方を考えさせてもらった。
そして、気付かせて頂いた。
あなたも、なにか得るものがあった。
だから、して、頂いた。
お互いが、して、頂いた。
自分の芯と相手の芯があって
表現し合うんだ
それを「する」と言う。
お互いが「する」から、「して、もらう」ってことになるんだ。
「自分はする」「相手がする」
だから、自分もしていて、相手もしている。
自分はしているだけで、相手もしているだけなんだ。
これを端から観ると、「して、もらってる」ってことなんだ。
そして、「して、もらう」とは、「分かつ」ということ。
自分に芯があるから、自分のことのように解るんだ。
これが、分かるってことなんだ。
最初にみたのと今みたのと違うって?
気付き、悟るとはそういうことさw
観え方が変わるのさw
それは、人が変えてくれる。だから、自分は変われるのさ。
いっぱい人と分かち合いなさい♪
俺の言った言葉覚えてる?
"もし、あなたが難しいとも易しいとも思わなければ、いずれ分かるということ"
無知の知は、真の知への出発点。
でも、出発する時点で、もう、得られてる。
この中に時間軸はないんだ。
後悔することも同じ。
過去、現在、未来で後悔しようと同じ。
また、分かち合いましょう♪
もう、あなたには芯があるんですものw
その芯を揺らさない、こぼさないようにね。
ドライバー同士の会話とはそんなもんさ。
分かち合えることは、芯(コップの水)のことだけさ。
車を運転することについては、芯なんだ。
分かち合う"芯"は、分かち合えたかな?w
他も全部同じさw
分かち合う"芯"が、分かち合えたんだから、なんでも分かち合えるよw
あとは、育むだけだよ。
俺が言いたいことと、
仏が言いたいことと、
皆が言おうとすることは皆同じさ。
もう、言ってる意味が分かるよねw
感動だねw まじでw
分かち合えてるねw
とびっきりもいいとこだw
幸せを感じませんか?
幸せはいつもあるよ。
それを感じていないだけ。
だから、幸せを感じるために俺は輝く。
自分のことのように相手のことを感じよう。
それが、お互いができる最高のことさ。
さ、日々が変わるよ。
あなたの新たな夜明けだ。
自分を易しく捉えてる人の方がもっと素敵だ。
捉えるとは、手や足のように感じること。
詰まるところ、自分の身体のこと。
詰まり、自分のこと。
四季に、なにを感じる?
感じるのは自分なんだ。
言うなれば、輝くとは四季を過ごすこと。
春は実るんだ
夏は漲るんだ
秋は収めるんだ
冬は蓄えるんだ
そういうものなんだw
だから、四季を過ごすだけ。
春の実りに、なにかを思い、風情を感じる。
夏の漲りに、なにかを思い、風情を感じる。
秋の収めに、なにかを思い、風情を感じる。
冬の蓄えに、なにかを思い、風情を感じる。
それを輝く流れと表現してなかった?
表現してるよ。
流水さ。
水は流れる。
行雲流水
雲は行き、水は流れる
四季で表したことはそういうこと
春は実り、夏は漲り、秋は収め、冬は蓄え
続いていて
そして、繋がっている
四季の如く
姿勢を正しくしてると、疲労感が減る
っていうか、それが本当に身体に優しいことだから
姿勢を正しくしてると最小限の疲れですむ
俺の気の疲れは、愛ですぐ満たせる
心の疲れは、気付き、悟ることでとれる
身体の疲れは、身体を休ませることでとれる
寝ることには、別の意味があるらしい
身体を休ませることはもとより
自分の力を蓄える
チャージとも言う
だから、また、起きたら頑張れるんだ
それは心からもらってるらしい
心が自分を癒してくれてる
時間が解決してくれるとは、
寝てる時間フルに使って心が自分を癒してくれてるということ。
「ください」とは、「もらう」の丁寧語・敬語
気付きが溢れまくる。
どれだけ気付けばええねんってねw
まだまだ、足りてないなw
俺が無くなるまでこれは続くw
自分が本来の自分になるまでね。
今の俺の状態をさ
伝えたいんだけど
難しいw
いや、難しく捉えてるのは俺なんだけどね。
ってことは、易しく捉えれば表現できるかって?
そうじゃないんだw
俺が至極(無為)自然にしていることを、
相手が分かるように表現することはすごく難しい。
そうか
俺が難しいと言うのではないんだ
俺が難しいと言うのではなく
というより、俺が難しいと言うことはなく
俺が易しいと言うこともない
もし、あなたが難しいとも易しいとも思わなければ、いずれ分かるということ
「いずれ」が大事なんだ。
即分かろうとか思うのが間違い。
自分に芯を作ること。
いや、自分の芯を作ること。
んで、芯を表現すること。
お互いが芯を表現すれば、ただの表現さ。
相手の芯ではなく、自分の芯でよいのかって?
自分の でなければならない。
相手の ではだめ。
んで、相手の芯を自分の芯のように感じる境地は
詰まるところ、同じ"もの"だ。
詰まり、芯は、同じ"もの"なんだ。
人によって違う芯が出来上がるわけじゃない。
同じ芯ができるんだよ。
てか、これ以外に芯はないんだ。
人の芯と呼ばれるものは、これひとつなんだ。
だって、人と捉えて、芯と呼べるものはひとつだけ
。
でないと芯じゃない。
自分「らしさ」とは、芯の一部ではない。
芯は自分の一部だけど。
芯は自分らしさの一部じゃない。
芯って何かって?
その"もの"さ。
これ以上の言葉はない。
あるがままのこと。
その"もの"。
シンプルな言葉って分かる人には分かり易いけど
分からない人にとっては情報が少なすぎるって?w
誰にわかりやすいと思う?w
自分にってことさ。
自分に分かり易いということは、
相手にも分かり易いってことなんだ。
芯がある相手なら。
それが、分かるであり、分かつということ。
分かろうとしなくていい
理解しようとしなくていい
考えようとしなくていい
この3つを今、満たしてみてほしい。
もし、満たせるなら、
それは上記の3つの言葉が解るということ。
自分が悟れること。それが分かるということ。
例えば、一緒にスキーしたとするじゃん。
俺はスキーをした。あなたはスキーをした。
一緒と表現しているのに、個々を観ると別々なんだ。
でね、
一緒にスキーをしたことに対しての、芯っていうのは
「スキーをした」ということなんだ。
楽しかったとか、苦しかったとかいうものは、
俺の気持ちであり、あなたの気持ち。
お互いが分かち合ったものじゃないんだ。
俺が楽しかったと思い、あなたが楽しかったと思うとする。
これは、お互い「スキーをした」から、楽しかったと言える。
どう楽しかった?
俺は、曲がるところが楽しかった。あなたは、スピード感が楽しかった。
普通これくらい差があるんだ。
これを自分「らしさ」と呼ぶとする。
芯は、「スキーをした」こと。
気持ちは関係ないんだ。
だから、お互いの「らしさ」を活かしつつ、と、日記では表現してる。
そしたら芯を作るってどういうことかって?
「スキーをした」と悟ること。
てか、スキーの例えをやめて、俺の言葉でいうと
今俺の言葉になにかを見出そうとしてるよね?
"なにか"は、どこにあると感じる?
それは
俺の言葉から、俺のなにか。
んで、
見出したらどうなるかっていうと、
自分が解るっていうこと。
んでね。
ここからなんだw
見出したのは、
自分の中にも同じ気持ちがあったっていうことが解ったってことなんだ。
これが分かるってことなんだ。
そして、今読んで分かろうとしてくれていること。
これが、「して、もらう」ということ。
俺は、芯の作り方を考えさせてもらった。
そして、気付かせて頂いた。
あなたも、なにか得るものがあった。
だから、して、頂いた。
お互いが、して、頂いた。
自分の芯と相手の芯があって
表現し合うんだ
それを「する」と言う。
お互いが「する」から、「して、もらう」ってことになるんだ。
「自分はする」「相手がする」
だから、自分もしていて、相手もしている。
自分はしているだけで、相手もしているだけなんだ。
これを端から観ると、「して、もらってる」ってことなんだ。
そして、「して、もらう」とは、「分かつ」ということ。
自分に芯があるから、自分のことのように解るんだ。
これが、分かるってことなんだ。
最初にみたのと今みたのと違うって?
気付き、悟るとはそういうことさw
観え方が変わるのさw
それは、人が変えてくれる。だから、自分は変われるのさ。
いっぱい人と分かち合いなさい♪
俺の言った言葉覚えてる?
"もし、あなたが難しいとも易しいとも思わなければ、いずれ分かるということ"
無知の知は、真の知への出発点。
でも、出発する時点で、もう、得られてる。
この中に時間軸はないんだ。
後悔することも同じ。
過去、現在、未来で後悔しようと同じ。
また、分かち合いましょう♪
もう、あなたには芯があるんですものw
その芯を揺らさない、こぼさないようにね。
ドライバー同士の会話とはそんなもんさ。
分かち合えることは、芯(コップの水)のことだけさ。
車を運転することについては、芯なんだ。
分かち合う"芯"は、分かち合えたかな?w
他も全部同じさw
分かち合う"芯"が、分かち合えたんだから、なんでも分かち合えるよw
あとは、育むだけだよ。
俺が言いたいことと、
仏が言いたいことと、
皆が言おうとすることは皆同じさ。
もう、言ってる意味が分かるよねw
感動だねw まじでw
分かち合えてるねw
とびっきりもいいとこだw
幸せを感じませんか?
幸せはいつもあるよ。
それを感じていないだけ。
だから、幸せを感じるために俺は輝く。
自分のことのように相手のことを感じよう。
それが、お互いができる最高のことさ。
さ、日々が変わるよ。
あなたの新たな夜明けだ。
自らを分ける 即ち 自分
2003年9月19日えぇ、自分と表現できるのはそういうことだからでしょうね。
後悔ってさ
課題をやる過程に表れるものみたいだ。
つまり、後悔したら"終わり"っていうわけじゃない。
後悔も含めて、課題なのだ。
俺はいろんな課題をハシゴしてるようだ。
言ってることが表現しにくいことはもちろんのこと。
課題を難しくしているのは自分。
難しく捉えようとしているのも自分。
どんな簡単な課題であろうと、難しく捉えることができる。
そんな素敵な才能が人にはあるw
難しく考えればいいっていうものじゃない。
難しく考えれる人よりも、
易しく考えれる人の方がもっと素敵だ。
複雑なものを複雑なものと観るのが、易しいわけじゃない。
確かに易しいけどw
複雑なものを一まとめで終わらさず、ひとつずつ観ていける。
そんなある種の余裕みたいなものが、易しさと感じます。
*****************************************************************
2003/09/19 23:10
自分を難しく捉えてる人より、
自分を易しく捉えてる人の方がもっと素敵だ。
*****************************************************************
*****************************************************************
2003/09/19 22:45
ふと久々にgoogleで、気関係を調べてみた。
そしたら、いろんなことが普通にわかるようになってることに気付く。
例えば、仙道では性功と命功。
-----------------------------------
性命双修(せいめいそうしゅう)
性功と命功の双方を収める事。どちらか一方だけでは片寄った修行になってしまい弊害が出ます。
----------------------------------- 引用
俺の表現では仏の教えと気功。
俺がやってきてることって間違ってないっぽいw
俺の目的は、幸せを感じれることと輝くことだけどね。
* ---------------------------- *
気付きが溢れまくり
* ---------------------------- *
好きとか嫌いとかないのに、
なぜ、人のよいところを観ると思う?
じゃ、わるいところは?
わるいところなんてないんだ。
よいところもまたないんだ。
でもね、愛が溢れてるところが観えるんだ。
よいとかわるいとかじゃなくて、
愛があるところのことを”よい”と表現してるんだ。
人を好きになることはよいってことなんだ。
今他のこと気付いた。
前に、頭の回転が上ると表現した現象があるけど、
あれは素直になれてる時になるもの。
今打ちながら自然と溢れてくる気持ちを言葉にしていてふと思った。
今この瞬間、俺は素直なんだと。
練れてるとも思った。
あ!!
なにかを表現しようとして忘れることってさ、
気付きか悟りに失敗したことを表すのかも。
失敗してもまた辿り着けば、身体か心に収めることが可能。
なんか、自分をまとめて練り始めた感じ。
知ることに始まり、悟りに到るまでも練れてる。
悩むことは知ることに含めれる。
実感することは気付くことに含めれる。
悟ることは気付くことに含めれる。
気付くことは知ることに含めれる。
知ることは問うことに含めれる。
問うことは気になることに含めれる。
気になることは感じることに含めれる。
感じることは…わからん!w
ここらへんが俺の深さらしい。
!?
感じることはわからないことに含めれる。
わからないこと(無知)は自分に含めれる。
自分は心に含めれる…。
無知の知の真の知とは、何も知る必要が無いことを知ること。
姿勢に気を付けるようになってから、
自然と落ち着けてる。
姿勢を正しくすると、気持ちは自然と落ち着くんだ。
姿勢が正しい人は、物静かな人ってことかも知れないね。
分かること
それは片割れということ
自らを分ける 即ち 自分
分けられた方が自分
自らは心
自らを分けたように感じることができること。
自分のことのように感じることができること。
分かるとは、自分のことのように感じること。
分かつとは、自分のことのように感じれること。
後悔ってさ
課題をやる過程に表れるものみたいだ。
つまり、後悔したら"終わり"っていうわけじゃない。
後悔も含めて、課題なのだ。
俺はいろんな課題をハシゴしてるようだ。
言ってることが表現しにくいことはもちろんのこと。
課題を難しくしているのは自分。
難しく捉えようとしているのも自分。
どんな簡単な課題であろうと、難しく捉えることができる。
そんな素敵な才能が人にはあるw
難しく考えればいいっていうものじゃない。
難しく考えれる人よりも、
易しく考えれる人の方がもっと素敵だ。
複雑なものを複雑なものと観るのが、易しいわけじゃない。
確かに易しいけどw
複雑なものを一まとめで終わらさず、ひとつずつ観ていける。
そんなある種の余裕みたいなものが、易しさと感じます。
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2003/09/19 23:10
自分を難しく捉えてる人より、
自分を易しく捉えてる人の方がもっと素敵だ。
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2003/09/19 22:45
ふと久々にgoogleで、気関係を調べてみた。
そしたら、いろんなことが普通にわかるようになってることに気付く。
例えば、仙道では性功と命功。
-----------------------------------
性命双修(せいめいそうしゅう)
性功と命功の双方を収める事。どちらか一方だけでは片寄った修行になってしまい弊害が出ます。
----------------------------------- 引用
俺の表現では仏の教えと気功。
俺がやってきてることって間違ってないっぽいw
俺の目的は、幸せを感じれることと輝くことだけどね。
* ---------------------------- *
気付きが溢れまくり
* ---------------------------- *
好きとか嫌いとかないのに、
なぜ、人のよいところを観ると思う?
じゃ、わるいところは?
わるいところなんてないんだ。
よいところもまたないんだ。
でもね、愛が溢れてるところが観えるんだ。
よいとかわるいとかじゃなくて、
愛があるところのことを”よい”と表現してるんだ。
人を好きになることはよいってことなんだ。
今他のこと気付いた。
前に、頭の回転が上ると表現した現象があるけど、
あれは素直になれてる時になるもの。
今打ちながら自然と溢れてくる気持ちを言葉にしていてふと思った。
今この瞬間、俺は素直なんだと。
練れてるとも思った。
あ!!
なにかを表現しようとして忘れることってさ、
気付きか悟りに失敗したことを表すのかも。
失敗してもまた辿り着けば、身体か心に収めることが可能。
なんか、自分をまとめて練り始めた感じ。
知ることに始まり、悟りに到るまでも練れてる。
悩むことは知ることに含めれる。
実感することは気付くことに含めれる。
悟ることは気付くことに含めれる。
気付くことは知ることに含めれる。
知ることは問うことに含めれる。
問うことは気になることに含めれる。
気になることは感じることに含めれる。
感じることは…わからん!w
ここらへんが俺の深さらしい。
!?
感じることはわからないことに含めれる。
わからないこと(無知)は自分に含めれる。
自分は心に含めれる…。
無知の知の真の知とは、何も知る必要が無いことを知ること。
姿勢に気を付けるようになってから、
自然と落ち着けてる。
姿勢を正しくすると、気持ちは自然と落ち着くんだ。
姿勢が正しい人は、物静かな人ってことかも知れないね。
分かること
それは片割れということ
自らを分ける 即ち 自分
分けられた方が自分
自らは心
自らを分けたように感じることができること。
自分のことのように感じることができること。
分かるとは、自分のことのように感じること。
分かつとは、自分のことのように感じれること。
自分が言うことにも、人が言うことにも、気付く自分がいる。
2003年9月18日「身口意(しんくい)」というものがある。
身(行動)、口(発言)、意(思想)
意を変えることは難しい。
口を変えることも難しい。
身を変えることも難しい。
もし、変えるなら、身だ。
身口意の中で一番難しい。
口や意だと反動がくる。
身しかないんだ。
一番近い道は、一番難しい道にある。
変わりたいなら、行動を変えることだ。
行動し始めたら、変わり始めてる。
近道をしようとしちゃだめだ。
それは遠回りだ。
心と身体と自分。
喩えるなら、エンジンと車体とドライバー。
ブレーキを踏みながら、アクセルを踏んでいるドライバーがいる。
もちろん、速度なんてでない。
踏んでいるアクセルを放し、踏んでいるブレーキを放そう。
ほら、クリープ現象でちょっとずつだけ前に進んでるよ。
無理してアクセル踏む必要ないんだよ。
ちょっとアクセル放してみて?
アクセル踏んでないのになんでブレーキ踏んでるの?
ほら、今車は止まってるよ。
んじゃ、ちょっとずつ、ブレーキを放してみよう。
ゆっくりでいいからね。
ゆーっくり、ゆーっくりね。
やればできるじゃん!
ほら、動きだしたよ。
自然に動くもんなんだよ。
この状態で、ちょっと一周してみよっか。
ほらほら、ゆっくりだからって甘く見ちゃだめだよw
水入りのコップが中にあるつもりでね。
急にハンドルを切らないようにするんだ。
コップの水が揺れないように。
だから、綺麗に車を曲げることに気を付けてね。
よし。んじゃ、次はアクセルだね。
ほら、また、ブレーキを踏もうとしてる。
まだ、アクセル踏んでもいないよ?w
アクセルは勢いよく踏んじゃだめだよ。
危ないからね。
それに水が揺れてこぼれちゃうかも知れないしね。
ブレーキと一緒でゆっくりでいいからね。
ゆーっくり、ゆーっくりね。
お、うまいね。
あ、今調子乗ったでしょ?w
だって、水が勢いよく揺れたもん。
アクセルを強く踏めることが大事なんじゃないんだ。
水をこぼさないことが大事。覚えといてね。
だいたいアクセルのコツはつかめたよね?
そしたら、ちょっとまた一周してみよっか。
慣れるまでは、水がよく揺れるし、こぼれちゃうかも知れないけど、
そうやって、丁寧に綺麗に曲がろうとしてるうちに、
水が車体の一部のようになるよ。
そしたら、ちょっとずつアクセルが踏めるようになって、
綺麗なラインが自然と見えてくるよ。
この水をこぼさないようにしながら
すごい速度でドリフトできる人がいるみたいだけど、
鬼だねw
あ、そうそう。
もちろん、ブレーキを踏んでも水をこぼさないようにね。
つまり、水がこぼれるような雑な運転はしちゃいけないってことなんだ。
コップの水が運転中に手にとるようにわかるようになったら、
あなたは、エンジンや車体のことがわかるドライバーだよ。
エンジンの力を引き出して、車体に効率よく伝えられるってこと。
これがあなたの持ってるポテンシャルだよ。
活かさなきゃ損だよ。
敵を知り、己を知れば、百戦錬磨
---------------------------
百戦錬磨
多くの戦いできたえられること。多くの経験を積んでいること。
---------------------------
勝敗のことなどなにひとつ書かれていないことに気付く。
敵を知り己を知ることは、敵に勝つためではなく、己を練磨するためらしい。
文字のない時代はどうやって他の人に伝えたのだろう。
伝言ゲームの如く。
じゃ、伝えられているものは、あやふやなものなのかな?
そうじゃないと思うんだ。
言葉で表現する以外にも、方法はあって、
伝えたいものは、言葉ではなく、状態っていうか。
本当に伝えなきゃいけないものは、状態の中にある心だから。
だから、伝えられる方は、自分の中にそれを育てなきゃいけない。
だから、すべて伝え終えたときには、相手の中にもあるんだろうなw
昨日「して、もらう」を書いて、PC落とす時にわかった。
あぁ、これが愛を育む術なのか とw
けっこう、かかりましたw
お互いの「らしさ」を活かしつつ、必要なものはお互いの中に育まれる。
「する」ことが、二人の間では、"伝承"なのだろう。
師が伝え、子が承る。
継承とは、後を継ぐ者が承ること。
受け継いでいく"もの"は、元は同じなんだろうなぁ と。
つまり、その"もの"を、俺らは伝承しなきゃいけないんだろうねw
骨の中の、髄の中の、真の髄。つまり、芯。
それを伝承する方法は、
自分と同じ芯を相手の中で作ってもらい、
それを感じてもらうことなんだと思う。
極々あたりまえだけども。
伝えるってこういうことなんだと思った。
もう、マイナスなんて考えやしない。
考えることがあっても、すぐやめれる。
不安になっても、すぐ安定できる。
自ら理由ありて、自らここに在る。
頑張れって言葉前に言ったじゃん?
頑固って言葉もあるねと思った。
頑なに固まるw
頑張れが悪く聞こえなくても、
頑固は少々悪く聞こえるだろうとw
頑なはよろしくないw
らしく張れ。らしく固くなれ。
自分らしくが、人から見れば頑固ならそれもよし。
あぁ、結局、言葉は悪くないのかw
俺は相手と話してる時、3人で話してるような気分。
俺は3人までしかわからないけど、きっと4人だ。
俺と相手。
俺の心と相手の心。
全部で4人。
合わせて2人。
俺の側に俺はいる。
俺は俺に帰る。
無に帰す意味がわかりつつあるように思う。
--------------------------
二重人格の人って、今の現象が間違ったほうにいってしまったとき
違う人格を作り出してしまうんだろうな。
-------------------------- 引用
人格は作り出されたんだ。自分によって。
自分の中に自分を作るっていうか。
心が俺を生んだように。
俺が俺に俺を生めば、そういうことになるんじゃないかな。
とってもシンプルじゃない言葉ですがw
俺さ
ゲーム作りたいと高校の時に思って
結局、ゲーム系の専門学校へ入って
プログラムの勉強して
俺が作りたいゲームは、仮想現実世界。
つまり、現実を表現してみたかった。
次元が違うとはそういうことなのだと思う。
3次元の俺らが、絵を描く。
絵の中は2次元で世界があるんだ。
3次元に3次元を作りだすと・・・。
すべては表現だと俺は思う。
表現の本質は、"形"で、形あるものいつかは壊れる。
大事なのは形じゃないってことなんだね。
春夏秋冬とはいいものだね。
実る春、漲る夏、収める秋、蓄える冬。
これが輝く流れだw
輝き「続ける」。
自分がシンプルになれれば、自分がわかる答えも、すべてシンプル。
身(行動)、口(発言)、意(思想)
意を変えることは難しい。
口を変えることも難しい。
身を変えることも難しい。
もし、変えるなら、身だ。
身口意の中で一番難しい。
口や意だと反動がくる。
身しかないんだ。
一番近い道は、一番難しい道にある。
変わりたいなら、行動を変えることだ。
行動し始めたら、変わり始めてる。
近道をしようとしちゃだめだ。
それは遠回りだ。
心と身体と自分。
喩えるなら、エンジンと車体とドライバー。
ブレーキを踏みながら、アクセルを踏んでいるドライバーがいる。
もちろん、速度なんてでない。
踏んでいるアクセルを放し、踏んでいるブレーキを放そう。
ほら、クリープ現象でちょっとずつだけ前に進んでるよ。
無理してアクセル踏む必要ないんだよ。
ちょっとアクセル放してみて?
アクセル踏んでないのになんでブレーキ踏んでるの?
ほら、今車は止まってるよ。
んじゃ、ちょっとずつ、ブレーキを放してみよう。
ゆっくりでいいからね。
ゆーっくり、ゆーっくりね。
やればできるじゃん!
ほら、動きだしたよ。
自然に動くもんなんだよ。
この状態で、ちょっと一周してみよっか。
ほらほら、ゆっくりだからって甘く見ちゃだめだよw
水入りのコップが中にあるつもりでね。
急にハンドルを切らないようにするんだ。
コップの水が揺れないように。
だから、綺麗に車を曲げることに気を付けてね。
よし。んじゃ、次はアクセルだね。
ほら、また、ブレーキを踏もうとしてる。
まだ、アクセル踏んでもいないよ?w
アクセルは勢いよく踏んじゃだめだよ。
危ないからね。
それに水が揺れてこぼれちゃうかも知れないしね。
ブレーキと一緒でゆっくりでいいからね。
ゆーっくり、ゆーっくりね。
お、うまいね。
あ、今調子乗ったでしょ?w
だって、水が勢いよく揺れたもん。
アクセルを強く踏めることが大事なんじゃないんだ。
水をこぼさないことが大事。覚えといてね。
だいたいアクセルのコツはつかめたよね?
そしたら、ちょっとまた一周してみよっか。
慣れるまでは、水がよく揺れるし、こぼれちゃうかも知れないけど、
そうやって、丁寧に綺麗に曲がろうとしてるうちに、
水が車体の一部のようになるよ。
そしたら、ちょっとずつアクセルが踏めるようになって、
綺麗なラインが自然と見えてくるよ。
この水をこぼさないようにしながら
すごい速度でドリフトできる人がいるみたいだけど、
鬼だねw
あ、そうそう。
もちろん、ブレーキを踏んでも水をこぼさないようにね。
つまり、水がこぼれるような雑な運転はしちゃいけないってことなんだ。
コップの水が運転中に手にとるようにわかるようになったら、
あなたは、エンジンや車体のことがわかるドライバーだよ。
エンジンの力を引き出して、車体に効率よく伝えられるってこと。
これがあなたの持ってるポテンシャルだよ。
活かさなきゃ損だよ。
敵を知り、己を知れば、百戦錬磨
---------------------------
百戦錬磨
多くの戦いできたえられること。多くの経験を積んでいること。
---------------------------
勝敗のことなどなにひとつ書かれていないことに気付く。
敵を知り己を知ることは、敵に勝つためではなく、己を練磨するためらしい。
文字のない時代はどうやって他の人に伝えたのだろう。
伝言ゲームの如く。
じゃ、伝えられているものは、あやふやなものなのかな?
そうじゃないと思うんだ。
言葉で表現する以外にも、方法はあって、
伝えたいものは、言葉ではなく、状態っていうか。
本当に伝えなきゃいけないものは、状態の中にある心だから。
だから、伝えられる方は、自分の中にそれを育てなきゃいけない。
だから、すべて伝え終えたときには、相手の中にもあるんだろうなw
昨日「して、もらう」を書いて、PC落とす時にわかった。
あぁ、これが愛を育む術なのか とw
けっこう、かかりましたw
お互いの「らしさ」を活かしつつ、必要なものはお互いの中に育まれる。
「する」ことが、二人の間では、"伝承"なのだろう。
師が伝え、子が承る。
継承とは、後を継ぐ者が承ること。
受け継いでいく"もの"は、元は同じなんだろうなぁ と。
つまり、その"もの"を、俺らは伝承しなきゃいけないんだろうねw
骨の中の、髄の中の、真の髄。つまり、芯。
それを伝承する方法は、
自分と同じ芯を相手の中で作ってもらい、
それを感じてもらうことなんだと思う。
極々あたりまえだけども。
伝えるってこういうことなんだと思った。
もう、マイナスなんて考えやしない。
考えることがあっても、すぐやめれる。
不安になっても、すぐ安定できる。
自ら理由ありて、自らここに在る。
頑張れって言葉前に言ったじゃん?
頑固って言葉もあるねと思った。
頑なに固まるw
頑張れが悪く聞こえなくても、
頑固は少々悪く聞こえるだろうとw
頑なはよろしくないw
らしく張れ。らしく固くなれ。
自分らしくが、人から見れば頑固ならそれもよし。
あぁ、結局、言葉は悪くないのかw
俺は相手と話してる時、3人で話してるような気分。
俺は3人までしかわからないけど、きっと4人だ。
俺と相手。
俺の心と相手の心。
全部で4人。
合わせて2人。
俺の側に俺はいる。
俺は俺に帰る。
無に帰す意味がわかりつつあるように思う。
--------------------------
二重人格の人って、今の現象が間違ったほうにいってしまったとき
違う人格を作り出してしまうんだろうな。
-------------------------- 引用
人格は作り出されたんだ。自分によって。
自分の中に自分を作るっていうか。
心が俺を生んだように。
俺が俺に俺を生めば、そういうことになるんじゃないかな。
とってもシンプルじゃない言葉ですがw
俺さ
ゲーム作りたいと高校の時に思って
結局、ゲーム系の専門学校へ入って
プログラムの勉強して
俺が作りたいゲームは、仮想現実世界。
つまり、現実を表現してみたかった。
次元が違うとはそういうことなのだと思う。
3次元の俺らが、絵を描く。
絵の中は2次元で世界があるんだ。
3次元に3次元を作りだすと・・・。
すべては表現だと俺は思う。
表現の本質は、"形"で、形あるものいつかは壊れる。
大事なのは形じゃないってことなんだね。
春夏秋冬とはいいものだね。
実る春、漲る夏、収める秋、蓄える冬。
これが輝く流れだw
輝き「続ける」。
自分がシンプルになれれば、自分がわかる答えも、すべてシンプル。
心と身体と自分
2003年9月17日心ってさ。
自分が考えてることの答えを示してくれてる。
俺にこうやれって教えてくれる。
心の声は自分の中から聴こえてくるから、
自分が思ってるのか?とか思ったりもするけど。
自分は心じゃない。
心は自分の一部だけど。
自分は心じゃない。
身体も同じ。
自分は身体じゃない。
身体は自分の一部だけど。
自分は身体じゃない。
前にも言った、身調、息調、心調。
違う捉え方もできるよう。
身体に無理をさせず、自分を落ち着かせ、心に素直に。
心と身体と自分のバランスがとれた点を探そう。
元々、心と自分はひとつのように思う。
となると、自分ってなんなんだろう。
今思ったのは、
自分とは、心が己を磨くために、"知る"ことで生まれたものじゃないか と。
心が己自身を磨くためにつけた研磨剤。
知れば知るほど、重くなる自分。
気付けば気付くほど、良質になる自分。
悟れば悟るほど、軽くなる自分、磨かれる心。
そして、元の輝きより、増す輝き。
最も大事なのは、
本来の輝きを取り戻し、輝きが増し始めてからの、
"最後のひと磨き"なんだろうな。
現象の中にいる自分。
存在の中にある心。
この現象を支えてくれている身体。
他の存在が現象の波に乗せてその存在を表現してくれている。
自分という存在もまた、自分を通して表現している。
俺は、自分を磨くために。
そして、人のためになるように。
俺は、そのために今ここにいる。
------------------------------------
2003/09/18 00:30
俺が反応しないことに、あなたはなにを思う?
俺が四股を踏まず、相撲をとろうとしないのに、
なぜ、あなたは俺と相撲をとろうとする?
俺は、あなたと相撲をとりたくない。
相撲はひとりじゃできないよ。
違う形で、対話ができたらなと思う。
争わず、一緒にいれたらよかったのにね。
「して、あげる」ではなく、「して、もらう」。
「して、あげる」と、自分からなにかが無くなっちゃうよ。
「して、もらう」と、自分からなにかが無くなったりはしないよ。
自分がしたにも関わらず、もらえるってどういうこと!?みたいな。
でも、現実にはそういうものなんだ。
注意しなきゃいけないのは、
自分がしたから、もらうよっていうわけじゃないんだ。
それは「して、あげた」になる。
自分がしたくてしたなら、なにも相手に求める必要はないんだ。
自分がしたくてしたんだから。
その上で、相手が、「して、くれる」なら、
それは、「(自分が)して、(相手がすることによって=)もらう」ということ。
あたりまえだけど、お互いがそれをできるって、とても難しく思う。
------------------------------------
自分が考えてることの答えを示してくれてる。
俺にこうやれって教えてくれる。
心の声は自分の中から聴こえてくるから、
自分が思ってるのか?とか思ったりもするけど。
自分は心じゃない。
心は自分の一部だけど。
自分は心じゃない。
身体も同じ。
自分は身体じゃない。
身体は自分の一部だけど。
自分は身体じゃない。
前にも言った、身調、息調、心調。
違う捉え方もできるよう。
身体に無理をさせず、自分を落ち着かせ、心に素直に。
心と身体と自分のバランスがとれた点を探そう。
元々、心と自分はひとつのように思う。
となると、自分ってなんなんだろう。
今思ったのは、
自分とは、心が己を磨くために、"知る"ことで生まれたものじゃないか と。
心が己自身を磨くためにつけた研磨剤。
知れば知るほど、重くなる自分。
気付けば気付くほど、良質になる自分。
悟れば悟るほど、軽くなる自分、磨かれる心。
そして、元の輝きより、増す輝き。
最も大事なのは、
本来の輝きを取り戻し、輝きが増し始めてからの、
"最後のひと磨き"なんだろうな。
現象の中にいる自分。
存在の中にある心。
この現象を支えてくれている身体。
他の存在が現象の波に乗せてその存在を表現してくれている。
自分という存在もまた、自分を通して表現している。
俺は、自分を磨くために。
そして、人のためになるように。
俺は、そのために今ここにいる。
------------------------------------
2003/09/18 00:30
俺が反応しないことに、あなたはなにを思う?
俺が四股を踏まず、相撲をとろうとしないのに、
なぜ、あなたは俺と相撲をとろうとする?
俺は、あなたと相撲をとりたくない。
相撲はひとりじゃできないよ。
違う形で、対話ができたらなと思う。
争わず、一緒にいれたらよかったのにね。
「して、あげる」ではなく、「して、もらう」。
「して、あげる」と、自分からなにかが無くなっちゃうよ。
「して、もらう」と、自分からなにかが無くなったりはしないよ。
自分がしたにも関わらず、もらえるってどういうこと!?みたいな。
でも、現実にはそういうものなんだ。
注意しなきゃいけないのは、
自分がしたから、もらうよっていうわけじゃないんだ。
それは「して、あげた」になる。
自分がしたくてしたなら、なにも相手に求める必要はないんだ。
自分がしたくてしたんだから。
その上で、相手が、「して、くれる」なら、
それは、「(自分が)して、(相手がすることによって=)もらう」ということ。
あたりまえだけど、お互いがそれをできるって、とても難しく思う。
------------------------------------
続いていて、繋がって気付くこと
2003年9月16日気負う
なにか対処しなければならない問題(悪い方面)を考え込んでいる時、
気負う感じがする。っていうか、気負ってた。
勝手にひとりで悪い雰囲気に包まれてる。
んで、「これを気負ってるというのか」とか思ったら、
ふっと軽くなったw
案ずるより産むが易し。
気負うことなどなにもない。
プレッシャーも人の動かし方としては、悪いものだろうな。
本当の気は、意識してなくとも自然とでるもの。
会話とかしてると特にね。
実際人と接して話すより、
ネットを通して話す方がその感覚はわかりやすい。
本当の気に悪いものはないような気がする。
自分が思うこと・考えることと、
心や身体が感じていることとは違う。
もちろん、考えない人なら同じかも知れないけどね。
自分がなにもしてない状態の流れを感じることが、
自分の本質を知ることになっていく。
人の本質を見ようとしたらさ
輝きの光具合しか見えないw
ダイヤモンドが輝いて見えるのは、光が当たるせい。
それと同じように人にはなにかの光が当たっている。
人の本質は磨くことでもっと輝かせることができる。
磨かなければそのままか、曇ってくる。
知らなくとも幸せ。
なのに、なぜ知ろうとするのか。
知ることで苦しくなることを知っていてもだ。
苦しいからやめるっていうようなもんじゃないってことだろうな。
それを乗り越えて、気付き、実感し、
自分の身として理解できれば輝きが増す。
こうやって、
知らなくとも幸せなのに、
自分から知り、悩み、気付き、実感し、悟り、
そして、輝く。
ひとつを見れば、また、同じ状態に戻ってくる。
でも、同じじゃない。
前より少し輝けてるよ。
俺が"輝く道"と表現しているあの詩はこういう意味なのかも知れない。
不思議な感じだ。
あの時自分はわかってるつもりで書いた。
でも、今あの詩を見れば、あの時の自分より深く理解している気がする。
深くわからないなりにも、あの詩は出来上がるわけだから、
表現の本質は、形という名のものなんだろうな。
今俺が考えれる最高の形は、なんでも"当てはめる"ことのできるものだ。
まぁ、俺の美的センスかも知れませんけどね。
この考え方は1年やそこらじゃ変わっていない。
昔からそう思っていた。
表現できなかったけどw
やっとできるようになったよw
-------------------------------------
実は先日、手相・人相占い(+生年月日)を占い師にしてもらった。
友達とラーメン食べて、ひと歩きしたところに占いを開いてて、
外人らしき人が占ってもらってるのを横目に一度通り過ぎ、
5歩ほど歩いたところで、立ち止まり、占いしてもらおうとふと思った。
そして、占いをしてもらう。
占ってもらったことは、
仕事、恋愛、総合運。
まぁ、内容は割愛しますがw
今日会社で、仲のよかった女の人が今月で会社を辞めると聞いた。
まぁ、派遣だからぜんぜん驚きもしないけど。
10月は運勢落ちるってその占い師に言われててねw
その女の人から話さなきゃいけないことがあるって言われた時、
ピンときた。
あぁ、いなくなるんだなと。
ほんと、驚くことじゃない。
なんか、当然のような気さえした。
なんで、いなくなるのが当然のような気がしたかって?
たぶん、その女の人が俺にとってソウルメイトだから。
この会社に来て、1ヶ月目の月(5月最終週)に入ってきた人。
俺と顔の雰囲気や目が似てる。
自然とその人が会社に来てから2日目にして、普通に話すことに。
俺の雰囲気にすんなり入ってこれる人は限られてる。
俺のその頃の状態は過去参照してもらえばわかるかも知れませんが、
かなり苦しんでましたw
落ちてる上に腐り気味で。
そんな時にその人は来ました。
その人と昼とか一緒に食堂でご飯食べたりして、
話してると俺と性格が反対で合わなかったりw
でもね。
その人は合わなくてもそこにいるのが自然だったんだ。
同じ職場ってこともあるしね。
7月の頭くらいにその人に言ったことがある。
あなたが会社にいるから、会社が少し楽しくなったよと。
その人が言う。私もあなたがいるからまだ続けられてると。
そうやって、今日までやってきた。
そして、気付くと会社の雰囲気にも慣れ、自然としていられる。
肉体的に疲れることはあれど、精神的に苦しいことなどほぼなくなった。
だから。
そうなんじゃないかなってわかったんだ。
その人がいなくなるのも自然なんだと。
やけにあっさりしてるなって?
冷たくないかって?
いやいや。仕方のないことなんだ。
そういうものなんだから。
いつかまた出逢うよ。この人とは。
わかってるからw
だから、笑って今月終わりまで見送れるよ。
ありがとう。
助けに来てくれて。
ありがとう。
-------------------------------------
なにか対処しなければならない問題(悪い方面)を考え込んでいる時、
気負う感じがする。っていうか、気負ってた。
勝手にひとりで悪い雰囲気に包まれてる。
んで、「これを気負ってるというのか」とか思ったら、
ふっと軽くなったw
案ずるより産むが易し。
気負うことなどなにもない。
プレッシャーも人の動かし方としては、悪いものだろうな。
本当の気は、意識してなくとも自然とでるもの。
会話とかしてると特にね。
実際人と接して話すより、
ネットを通して話す方がその感覚はわかりやすい。
本当の気に悪いものはないような気がする。
自分が思うこと・考えることと、
心や身体が感じていることとは違う。
もちろん、考えない人なら同じかも知れないけどね。
自分がなにもしてない状態の流れを感じることが、
自分の本質を知ることになっていく。
人の本質を見ようとしたらさ
輝きの光具合しか見えないw
ダイヤモンドが輝いて見えるのは、光が当たるせい。
それと同じように人にはなにかの光が当たっている。
人の本質は磨くことでもっと輝かせることができる。
磨かなければそのままか、曇ってくる。
知らなくとも幸せ。
なのに、なぜ知ろうとするのか。
知ることで苦しくなることを知っていてもだ。
苦しいからやめるっていうようなもんじゃないってことだろうな。
それを乗り越えて、気付き、実感し、
自分の身として理解できれば輝きが増す。
こうやって、
知らなくとも幸せなのに、
自分から知り、悩み、気付き、実感し、悟り、
そして、輝く。
ひとつを見れば、また、同じ状態に戻ってくる。
でも、同じじゃない。
前より少し輝けてるよ。
俺が"輝く道"と表現しているあの詩はこういう意味なのかも知れない。
不思議な感じだ。
あの時自分はわかってるつもりで書いた。
でも、今あの詩を見れば、あの時の自分より深く理解している気がする。
深くわからないなりにも、あの詩は出来上がるわけだから、
表現の本質は、形という名のものなんだろうな。
今俺が考えれる最高の形は、なんでも"当てはめる"ことのできるものだ。
まぁ、俺の美的センスかも知れませんけどね。
この考え方は1年やそこらじゃ変わっていない。
昔からそう思っていた。
表現できなかったけどw
やっとできるようになったよw
-------------------------------------
実は先日、手相・人相占い(+生年月日)を占い師にしてもらった。
友達とラーメン食べて、ひと歩きしたところに占いを開いてて、
外人らしき人が占ってもらってるのを横目に一度通り過ぎ、
5歩ほど歩いたところで、立ち止まり、占いしてもらおうとふと思った。
そして、占いをしてもらう。
占ってもらったことは、
仕事、恋愛、総合運。
まぁ、内容は割愛しますがw
今日会社で、仲のよかった女の人が今月で会社を辞めると聞いた。
まぁ、派遣だからぜんぜん驚きもしないけど。
10月は運勢落ちるってその占い師に言われててねw
その女の人から話さなきゃいけないことがあるって言われた時、
ピンときた。
あぁ、いなくなるんだなと。
ほんと、驚くことじゃない。
なんか、当然のような気さえした。
なんで、いなくなるのが当然のような気がしたかって?
たぶん、その女の人が俺にとってソウルメイトだから。
この会社に来て、1ヶ月目の月(5月最終週)に入ってきた人。
俺と顔の雰囲気や目が似てる。
自然とその人が会社に来てから2日目にして、普通に話すことに。
俺の雰囲気にすんなり入ってこれる人は限られてる。
俺のその頃の状態は過去参照してもらえばわかるかも知れませんが、
かなり苦しんでましたw
落ちてる上に腐り気味で。
そんな時にその人は来ました。
その人と昼とか一緒に食堂でご飯食べたりして、
話してると俺と性格が反対で合わなかったりw
でもね。
その人は合わなくてもそこにいるのが自然だったんだ。
同じ職場ってこともあるしね。
7月の頭くらいにその人に言ったことがある。
あなたが会社にいるから、会社が少し楽しくなったよと。
その人が言う。私もあなたがいるからまだ続けられてると。
そうやって、今日までやってきた。
そして、気付くと会社の雰囲気にも慣れ、自然としていられる。
肉体的に疲れることはあれど、精神的に苦しいことなどほぼなくなった。
だから。
そうなんじゃないかなってわかったんだ。
その人がいなくなるのも自然なんだと。
やけにあっさりしてるなって?
冷たくないかって?
いやいや。仕方のないことなんだ。
そういうものなんだから。
いつかまた出逢うよ。この人とは。
わかってるからw
だから、笑って今月終わりまで見送れるよ。
ありがとう。
助けに来てくれて。
ありがとう。
-------------------------------------
来る者拒まず、去る者追わず
2003年9月15日やっとこの言葉が言えました。
この言葉ってさ。
行動のことだけじゃないよね。
気持ちも含めて、去る者追わず。
執着していてるものは追ってる。
そうなるべくして、なるのだ。
縁起のひとつを表しているように思う。
「頑張れ」という言葉について
この言葉、頑なに張れ ということですよね。
「頑張れ」という言葉が嫌いな人はいますよね。
本来知っているものなのかも知れないね。
頑なに張ることがいいことではないと。
人にはそれぞれ"勢い"と呼ばれるものがある。
「頑張れ」って、
"本来の自分そのものであれ"ってことが「頑張れ」と言う意味だと思う。
ちゃんと自分の力は出せているか?と。
そしてその力は、人それぞれ違う。
言う感覚が人それぞれ違ってるのかも知れないね。
頑張ってる人に「頑張れ」を言うのは意味がないことなのか?
自己確認の意味であると思ってる。
「頑張れ!」を「大丈夫か?」と捉えれば、
相手も「大丈夫だ!」となるような。
伝わらなきゃわからないよね。
知ってるのと、知らないのとの差
産まれた当初、無垢と呼ばれるなにも垢のついていない状態。
物心がつき始め、いろんなことを認識し始める。
認識する=知るということ。
いつしか、認識したことに価値を見出し、悩む。
そして、悩んだ結果として、気付く。
知らなくてここにいるのと、知っていてここにいるのとは違う。
知らなくて幸せなのと、知っていて幸せなのとは違う。
わかるよねw
知っている上で、幸せになれること。
これが上にいく鍵かも。
天上天下唯我独尊って、
極々あたりまえのことなんだろうね。
仮想現実(イメージ)と現実の差
イメージすることで目標を達成することができる。
でも、イメージでは超えられないものがある。
それは現実。
イメージにはイレギュラーがない。
現実にはイレギュラーがある。
イメージには、なぜ、イレギュラーがないのかって?
それは自分がイメージしたもので、自分の範囲を超えれないから。
現実には、自分が変えれるものと変えれないものが混在している。
それは、"偶然は必然"と呼べるものが現実にはあるということ。
改めて書いてみる。
俺は幸せになりたい。
素直に、あるがままに、心を満たし、輝けるように。
行き着くところは、天上天下唯我独尊ってことなのかも。
ここ2,3日、この言葉が気になってる。
"勢い"ではなく、"状態"でもなく、"存在"なんだと。
辿り着いたら、違う表現になるんだろうなw
----------------------------
2003/09/15 18:00
なにかに辿り着いた気分。
輝きの奥に、そのものの本質がある。
その本質を感じるとき、そのものの良さがわかる。
ある方の日記を拝見していて、はっと気付くことがあり、
すぐ書こうと思って書いてる。
俺にとって「考えない」人はとても魅力的に映る。
自然と考えることが染み付いてしまっている自分。
いつからだ。
気付いたら考えてた。
今俺が向かっている方向は、正に「考えない」だ。
「考えない」人は、他の人に迷惑をかけているかも知れない。
それは、その人の人格の高さに問題がある。
考えること
それは、自分の中にある、滞っている意識。
練ることで解すのもひとつ。
"無心"とは、あれこれ「考えない」ことだ。
ありがとう。
----------------------------
----------------------------
2003/09/15 19:00
いやはや、1時間しか経ってないてw
輝くために
---------------
不求不得 求めなければ得られない
求則不得 しかし、求めれば得られず
不求而得 求めずに得られるようにしなければならない
--------------- 引用
知らなくとも幸せなのだが、
知ることで苦しみも知ることになるが、
知ろうとしなければ進歩なく、
知ることを恐れてはいけない。
知ることを自分のものとできれば、
今よりも幸せを感じれるだろう。
俺は幸せになりたいと言っているが、輝きたいんだろうな。
俺は輝きたい。
----------------------------
この言葉ってさ。
行動のことだけじゃないよね。
気持ちも含めて、去る者追わず。
執着していてるものは追ってる。
そうなるべくして、なるのだ。
縁起のひとつを表しているように思う。
「頑張れ」という言葉について
この言葉、頑なに張れ ということですよね。
「頑張れ」という言葉が嫌いな人はいますよね。
本来知っているものなのかも知れないね。
頑なに張ることがいいことではないと。
人にはそれぞれ"勢い"と呼ばれるものがある。
「頑張れ」って、
"本来の自分そのものであれ"ってことが「頑張れ」と言う意味だと思う。
ちゃんと自分の力は出せているか?と。
そしてその力は、人それぞれ違う。
言う感覚が人それぞれ違ってるのかも知れないね。
頑張ってる人に「頑張れ」を言うのは意味がないことなのか?
自己確認の意味であると思ってる。
「頑張れ!」を「大丈夫か?」と捉えれば、
相手も「大丈夫だ!」となるような。
伝わらなきゃわからないよね。
知ってるのと、知らないのとの差
産まれた当初、無垢と呼ばれるなにも垢のついていない状態。
物心がつき始め、いろんなことを認識し始める。
認識する=知るということ。
いつしか、認識したことに価値を見出し、悩む。
そして、悩んだ結果として、気付く。
知らなくてここにいるのと、知っていてここにいるのとは違う。
知らなくて幸せなのと、知っていて幸せなのとは違う。
わかるよねw
知っている上で、幸せになれること。
これが上にいく鍵かも。
天上天下唯我独尊って、
極々あたりまえのことなんだろうね。
仮想現実(イメージ)と現実の差
イメージすることで目標を達成することができる。
でも、イメージでは超えられないものがある。
それは現実。
イメージにはイレギュラーがない。
現実にはイレギュラーがある。
イメージには、なぜ、イレギュラーがないのかって?
それは自分がイメージしたもので、自分の範囲を超えれないから。
現実には、自分が変えれるものと変えれないものが混在している。
それは、"偶然は必然"と呼べるものが現実にはあるということ。
改めて書いてみる。
俺は幸せになりたい。
素直に、あるがままに、心を満たし、輝けるように。
行き着くところは、天上天下唯我独尊ってことなのかも。
ここ2,3日、この言葉が気になってる。
"勢い"ではなく、"状態"でもなく、"存在"なんだと。
辿り着いたら、違う表現になるんだろうなw
----------------------------
2003/09/15 18:00
なにかに辿り着いた気分。
輝きの奥に、そのものの本質がある。
その本質を感じるとき、そのものの良さがわかる。
ある方の日記を拝見していて、はっと気付くことがあり、
すぐ書こうと思って書いてる。
俺にとって「考えない」人はとても魅力的に映る。
自然と考えることが染み付いてしまっている自分。
いつからだ。
気付いたら考えてた。
今俺が向かっている方向は、正に「考えない」だ。
「考えない」人は、他の人に迷惑をかけているかも知れない。
それは、その人の人格の高さに問題がある。
考えること
それは、自分の中にある、滞っている意識。
練ることで解すのもひとつ。
"無心"とは、あれこれ「考えない」ことだ。
ありがとう。
----------------------------
----------------------------
2003/09/15 19:00
いやはや、1時間しか経ってないてw
輝くために
---------------
不求不得 求めなければ得られない
求則不得 しかし、求めれば得られず
不求而得 求めずに得られるようにしなければならない
--------------- 引用
知らなくとも幸せなのだが、
知ることで苦しみも知ることになるが、
知ろうとしなければ進歩なく、
知ることを恐れてはいけない。
知ることを自分のものとできれば、
今よりも幸せを感じれるだろう。
俺は幸せになりたいと言っているが、輝きたいんだろうな。
俺は輝きたい。
----------------------------
感情
2003年9月14日俺なにを考えてんだろうなぁ。
いや、なにをて。
人と接したり、日常の生活をおくる中で、
イライラしたり、落ち込んだり、嬉しかったり、楽しかったり。
この感情をなだめるのってたいへんですねw
それぞれ理由があって湧き上がってくる感情だから。
感情をなだめるには、それぞれの理由をみつめる必要がある。
みつめる時に注意することは、
みつめる自分自身が感情と共にいてはならないということ。
偏見を持たず、それはそれとありのままに判断しなければならない。
いや、感情を抑えろってわけではなく。
感情に使われるなってことで。
いや、なにをて。
人と接したり、日常の生活をおくる中で、
イライラしたり、落ち込んだり、嬉しかったり、楽しかったり。
この感情をなだめるのってたいへんですねw
それぞれ理由があって湧き上がってくる感情だから。
感情をなだめるには、それぞれの理由をみつめる必要がある。
みつめる時に注意することは、
みつめる自分自身が感情と共にいてはならないということ。
偏見を持たず、それはそれとありのままに判断しなければならない。
いや、感情を抑えろってわけではなく。
感情に使われるなってことで。
光の世界 〜光の扉〜
2003年9月13日/**
* 光の世界 〜 光の扉 〜
*
* 2003/07/30 - 2003/07/31
*/
あの世には、すべてが光り輝く光の世界があるという。
その光の世界へと繋がる扉がこの世にはあるという。
その扉はどこにあるというのだろう・・・。
ある村にヨシュアという人がいた。
ヨシュアはいつもこの世はつまらないものだと思いながら生きてきた。
なにをしてもつまらない。
こんな世界なら、いつ死んでもいいと思いながら極々平凡に暮らしてきた。
ある時、ヨシュアはすべてが光り輝く光の世界があの世にはあるのだと知る。
ヨシュアは光の世界に興味を持ち、光の世界へどうすれば行けるのか考え始めた。
ヨシュアはどうせこのまま暮らしていても平凡に死んでしまうのなら、
光の世界へ行こうと決断する。
そして、この世にあるという光の世界へと繋がる扉、光の扉を探す旅に出る。―――
ヨシュアが光の扉を探し始め、ずいぶんと時が流れたある日、
ひとりの老人に出会う。
その老人は言う。
「この世で一番綺麗な湖の底に扉がある」と。
それを聞き必死にこの世で一番綺麗な湖を探すヨシュア。―――
そして、ひとつの湖に辿り着く。
青い夜の水面に漂う丸い月があたり一面を照らしている。
それを見て、
ヨシュアはこの世で一番綺麗な湖を探し出したと思う。
一心不乱にヨシュアは湖に飛び込んだ。
光の溢れる湖底へ潜る。
潜る。
どんどん潜る。
だけど、光によってか、底が見えない。
息が苦しくなる。
それでも潜る。
光の中に黒い点が見え始めた。
ついに光の扉をみつけたと必死に潜る。
黒い点が少しずつ大きくなる。
息が苦しいことも忘れ潜りつづける。
黒い点が大きくなるにつれ、黒い点に意識が吸い込まれる。
そして、黒い点が自分の体くらいのでかさになった時、
突如黒い点にぶち当たった。
黒い点を見たヨシュアは愕然とする。
自分の形をした黒い点。
それは底に映る自分の影だったのだと。
あたりを見渡す。
自分の影以外、なにひとつ見えない。
底に光の扉があるものと思って一心不乱に飛び込み、
息も絶え絶えになりながらやっとで辿り着いた底に扉は見当たらない。
期待や、執着でもっていたヨシュアの意識が次第に薄れていく。
ふっと体の力が抜け、水面を見上げるように体が浮き始める。
薄れていく意識の中、水面の向こう側に闇の中光る点があることを知った。―――
―――
気付くと大きな扉の前に立っていた。
―――
* 光の世界 〜 光の扉 〜
*
* 2003/07/30 - 2003/07/31
*/
あの世には、すべてが光り輝く光の世界があるという。
その光の世界へと繋がる扉がこの世にはあるという。
その扉はどこにあるというのだろう・・・。
ある村にヨシュアという人がいた。
ヨシュアはいつもこの世はつまらないものだと思いながら生きてきた。
なにをしてもつまらない。
こんな世界なら、いつ死んでもいいと思いながら極々平凡に暮らしてきた。
ある時、ヨシュアはすべてが光り輝く光の世界があの世にはあるのだと知る。
ヨシュアは光の世界に興味を持ち、光の世界へどうすれば行けるのか考え始めた。
ヨシュアはどうせこのまま暮らしていても平凡に死んでしまうのなら、
光の世界へ行こうと決断する。
そして、この世にあるという光の世界へと繋がる扉、光の扉を探す旅に出る。―――
ヨシュアが光の扉を探し始め、ずいぶんと時が流れたある日、
ひとりの老人に出会う。
その老人は言う。
「この世で一番綺麗な湖の底に扉がある」と。
それを聞き必死にこの世で一番綺麗な湖を探すヨシュア。―――
そして、ひとつの湖に辿り着く。
青い夜の水面に漂う丸い月があたり一面を照らしている。
それを見て、
ヨシュアはこの世で一番綺麗な湖を探し出したと思う。
一心不乱にヨシュアは湖に飛び込んだ。
光の溢れる湖底へ潜る。
潜る。
どんどん潜る。
だけど、光によってか、底が見えない。
息が苦しくなる。
それでも潜る。
光の中に黒い点が見え始めた。
ついに光の扉をみつけたと必死に潜る。
黒い点が少しずつ大きくなる。
息が苦しいことも忘れ潜りつづける。
黒い点が大きくなるにつれ、黒い点に意識が吸い込まれる。
そして、黒い点が自分の体くらいのでかさになった時、
突如黒い点にぶち当たった。
黒い点を見たヨシュアは愕然とする。
自分の形をした黒い点。
それは底に映る自分の影だったのだと。
あたりを見渡す。
自分の影以外、なにひとつ見えない。
底に光の扉があるものと思って一心不乱に飛び込み、
息も絶え絶えになりながらやっとで辿り着いた底に扉は見当たらない。
期待や、執着でもっていたヨシュアの意識が次第に薄れていく。
ふっと体の力が抜け、水面を見上げるように体が浮き始める。
薄れていく意識の中、水面の向こう側に闇の中光る点があることを知った。―――
―――
気付くと大きな扉の前に立っていた。
―――
身体が変わることが底辺かも
2003年9月12日中国には「道教」というものがある。
この「道教」いいかも。
興味があればgoogleででも調べみてくださいw
調身、調息、調心
この3つは気功の基本と呼ばれるものですが、
身体、息、心のことだと思っていたら、
姿勢を調えること
息を調えること
心からくる力みを調えること
つまり、この3つともに身体の調え方について表しているよう。
幸せになるには
心の型を外し、
心のあるがままに満たし、
心の輝きを感じること。
先ず心と言ってるけど、
身体から始めなきゃいけないよう。
先ず、心を変えると反動がくる。
でも、身体を(よい状態に)変えると(悪い状態の)反動がくる?
満たされるようなことはあっても、悪くなることはない。
幸せになりたいと思う中で、
自分ができる最善は身体を調えること。
身体を調えていくことによって、心も調っていく。
心が調ってくるっていうか、心を反動なく変えることができるというか。
そうやって、心が調ってくると、心が輝き始める。
身体が変わり、心が変わり、身体が変わる。
まぁ、強いて言うならやっぱり心構えが変わることが起点なのかな。
この「道教」いいかも。
興味があればgoogleででも調べみてくださいw
調身、調息、調心
この3つは気功の基本と呼ばれるものですが、
身体、息、心のことだと思っていたら、
姿勢を調えること
息を調えること
心からくる力みを調えること
つまり、この3つともに身体の調え方について表しているよう。
幸せになるには
心の型を外し、
心のあるがままに満たし、
心の輝きを感じること。
先ず心と言ってるけど、
身体から始めなきゃいけないよう。
先ず、心を変えると反動がくる。
でも、身体を(よい状態に)変えると(悪い状態の)反動がくる?
満たされるようなことはあっても、悪くなることはない。
幸せになりたいと思う中で、
自分ができる最善は身体を調えること。
身体を調えていくことによって、心も調っていく。
心が調ってくるっていうか、心を反動なく変えることができるというか。
そうやって、心が調ってくると、心が輝き始める。
身体が変わり、心が変わり、身体が変わる。
まぁ、強いて言うならやっぱり心構えが変わることが起点なのかな。
あるHPを見て
2003年9月11日俺が「型」と呼んでいるものは「壁」とも表現されるよう。
ある気付いている人が、気付いていることを表現してくれている。
そんな表現を見て、鳥肌が立つ。
なんか、鳥肌の立ち方っていろいろと種類があるように感じる。
俺は「(心の)揺れ」と表現する。
この揺れを感じているとき、自分は変われる気がする。
変わり方もその揺れの種類によると思う。
揺れは、部分や度合いも違う。
何度も連続して揺れることもある。
気付かせてくれてありがとう。
今日、なんか好きとか嫌いとかわからなくなった。
なにが好きで、なにが嫌い?
なぜ好きで、なぜ嫌い?
俺なにを基準に好きとか嫌いとか言ってたんだっけ?
好きとか嫌いとか、どんな意味があるんだっけ?
俺がなにを思おうとそこには在るわけで。
俺なんでそんなこと言ってたんだろうw
(相手を)好きだと(自分に)思わせるために、頑張るのか。
(相手を)好きだと(自分が)思うから、頑張るのか。
育むってどうやるんだろう。
育む難しさを知った。
「酒を飲んで口にすること」「酒を飲まずに口にすること」
酒を飲むとなにかが麻痺するっていうか、
一時的になにかを外してくれる気がする。
酒を飲むことによって本音がでるとして、
酒を飲まない状態は本音じゃないかっていうと本音だよね。
素直じゃない本音。
裏を返せば表だし。
すべては本音。
酒を飲んで紛らわすのもありだよね。
なんのために飲むんだろう?
気持ちよくなるため?
だったら、飲まずに素直になれていた方が気持ちいいよね?
いいたいのはそんだけw
ほのぼのと話せる人がいる。
この人と話すのと、他の人と話す、この差はなんだろう。
原点の0からすべてがプラスしかありえないような。
マイナスになるよりいい。
だから、ほのぼのとしていられるのかな。
お互い、どっちかが0よりマイナスを考えるならこうはならんよなw
それもどの方向に考えたって変わらないのに だ。
だからこそ、プラスに考えれるっていいなぁと。
頭でわかっていても、体感して言うのにずいぶんとかかったけどw
でも、これでいいんだ。
遅いとか早いとかなにを基準にして言ってる?
俺は俺さw
誰と比べて言ってる?w
--------------------------------
美香さんへ
改めて、ありがとう♪
こういう話ができるって、
俺は素敵なことだと思ってます。
--------------------------------
ある気付いている人が、気付いていることを表現してくれている。
そんな表現を見て、鳥肌が立つ。
なんか、鳥肌の立ち方っていろいろと種類があるように感じる。
俺は「(心の)揺れ」と表現する。
この揺れを感じているとき、自分は変われる気がする。
変わり方もその揺れの種類によると思う。
揺れは、部分や度合いも違う。
何度も連続して揺れることもある。
気付かせてくれてありがとう。
今日、なんか好きとか嫌いとかわからなくなった。
なにが好きで、なにが嫌い?
なぜ好きで、なぜ嫌い?
俺なにを基準に好きとか嫌いとか言ってたんだっけ?
好きとか嫌いとか、どんな意味があるんだっけ?
俺がなにを思おうとそこには在るわけで。
俺なんでそんなこと言ってたんだろうw
(相手を)好きだと(自分に)思わせるために、頑張るのか。
(相手を)好きだと(自分が)思うから、頑張るのか。
育むってどうやるんだろう。
育む難しさを知った。
「酒を飲んで口にすること」「酒を飲まずに口にすること」
酒を飲むとなにかが麻痺するっていうか、
一時的になにかを外してくれる気がする。
酒を飲むことによって本音がでるとして、
酒を飲まない状態は本音じゃないかっていうと本音だよね。
素直じゃない本音。
裏を返せば表だし。
すべては本音。
酒を飲んで紛らわすのもありだよね。
なんのために飲むんだろう?
気持ちよくなるため?
だったら、飲まずに素直になれていた方が気持ちいいよね?
いいたいのはそんだけw
ほのぼのと話せる人がいる。
この人と話すのと、他の人と話す、この差はなんだろう。
原点の0からすべてがプラスしかありえないような。
マイナスになるよりいい。
だから、ほのぼのとしていられるのかな。
お互い、どっちかが0よりマイナスを考えるならこうはならんよなw
それもどの方向に考えたって変わらないのに だ。
だからこそ、プラスに考えれるっていいなぁと。
頭でわかっていても、体感して言うのにずいぶんとかかったけどw
でも、これでいいんだ。
遅いとか早いとかなにを基準にして言ってる?
俺は俺さw
誰と比べて言ってる?w
--------------------------------
美香さんへ
改めて、ありがとう♪
こういう話ができるって、
俺は素敵なことだと思ってます。
--------------------------------
日々書くこと
2003年9月10日いろいろと言ってみたいことはある。
てか、今も書いててやめた。
いや、まとまるのに時間がかかりそうだから忘れることにした。
忘れるかどうかは別にして。
今は気にしないことにする。
日々書くこと
これからどれくらい続くかわかんないけど、
日々を練るために書いていこうと思う。
いろいろと考えてることもあるし、
それを表現したいと思うこともある。
でもね、はっきり言って、
今の俺が言うことは俺の一通過点で、
それを俺の通過点として残しておくということを
これまでやってきたけど、
ちょっとこれからはなにかを書くのではなく、
自分が乗るように練り書きます。謎
半年以上前に一度やったけど、
***
***
***
↑これなんか感じます?
まじで込めてみましたけど。
きついかも知れません。
心が感じることを原点にして、
心が動くことを起点に。
流水の如く
いずれ行雲流水の如く。
なんか、心を落ち着かせようとすることより、
心を愛や感謝に変えていく方がいい。
落ち着かせることは、現状を知ることになるけど。
愛や感謝に変えることの方がいい感じ。
もちろん、変えるから変わるになるまで高める必要があるけど。
変えるでもいいじゃん。変われるなら。
変わることは本質であり目標だ。
まずは、変えることから気付いていけばいい。
忘れちゃいけないのは、自分はなにを見ていたいのかだね。
とりあえず、自分で満たしとく。
自然に満ちるにはもうちょっと。
------------------------------------
美香さんへ
ありがとう。
"自分のため"は、いずれ"人のため"になると思ってます。
------------------------------------
てか、今も書いててやめた。
いや、まとまるのに時間がかかりそうだから忘れることにした。
忘れるかどうかは別にして。
今は気にしないことにする。
日々書くこと
これからどれくらい続くかわかんないけど、
日々を練るために書いていこうと思う。
いろいろと考えてることもあるし、
それを表現したいと思うこともある。
でもね、はっきり言って、
今の俺が言うことは俺の一通過点で、
それを俺の通過点として残しておくということを
これまでやってきたけど、
ちょっとこれからはなにかを書くのではなく、
自分が乗るように練り書きます。謎
半年以上前に一度やったけど、
***
***
***
↑これなんか感じます?
まじで込めてみましたけど。
きついかも知れません。
心が感じることを原点にして、
心が動くことを起点に。
流水の如く
いずれ行雲流水の如く。
なんか、心を落ち着かせようとすることより、
心を愛や感謝に変えていく方がいい。
落ち着かせることは、現状を知ることになるけど。
愛や感謝に変えることの方がいい感じ。
もちろん、変えるから変わるになるまで高める必要があるけど。
変えるでもいいじゃん。変われるなら。
変わることは本質であり目標だ。
まずは、変えることから気付いていけばいい。
忘れちゃいけないのは、自分はなにを見ていたいのかだね。
とりあえず、自分で満たしとく。
自然に満ちるにはもうちょっと。
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美香さんへ
ありがとう。
"自分のため"は、いずれ"人のため"になると思ってます。
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うぉーたーぼーいず♪
2003年9月9日いやぁ、やっぱ好きです。
ウォーターボーイズ。
俺は映画の方が好きだけど、
それでもいいなぁと思うわけで。
フラミンゴとかひとつとってみても、
あれだけ揃えるのって大変よね。
そういうところが好きですw
んで、
日記は温かい方がいいなぁと思ったりします。
それでも、暗いことを書きたくなることはあります。
てか、明るいとか暗いとか含めて、温かいものを表現したいな。
改めてなんだってねw
いや、書いてみたくなったんだってw
だって、俺のまわりでそれに気付いていて、
それを俺に教えてくれる人がいるんだもの。
ありがとう。
あまりつべこべ考えずに心の整理のために日記を書く。
これも練ることのひとつですね。
いい修練になってますw
---------------------------
空さんへ
その「霊能者さん」紹介して頂けないでしょうか。
逢ってみたいと思ったので。
よろしくお願いいたします。
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ウォーターボーイズ。
俺は映画の方が好きだけど、
それでもいいなぁと思うわけで。
フラミンゴとかひとつとってみても、
あれだけ揃えるのって大変よね。
そういうところが好きですw
んで、
日記は温かい方がいいなぁと思ったりします。
それでも、暗いことを書きたくなることはあります。
てか、明るいとか暗いとか含めて、温かいものを表現したいな。
改めてなんだってねw
いや、書いてみたくなったんだってw
だって、俺のまわりでそれに気付いていて、
それを俺に教えてくれる人がいるんだもの。
ありがとう。
あまりつべこべ考えずに心の整理のために日記を書く。
これも練ることのひとつですね。
いい修練になってますw
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空さんへ
その「霊能者さん」紹介して頂けないでしょうか。
逢ってみたいと思ったので。
よろしくお願いいたします。
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人のことを気にする時
2003年9月8日人のことを気にする時ってさ
手につかないことが多い。
ふと思うんだ。
自分のことじゃないのに、なんで人のことで自分を見失うのか?と。
人のことを自分のことのように気にしちゃってるからよねw
おもいっきし人の舞台の上に立ってた。
なんでこんなに人のことで不安になったりするんだ。
人は人。
自分は自分。
てか、ちゃんと身体で理解できてたら、こういうことにはならないね。
これも課題のようだ。
「気が合う」という言葉。
-----------------------------
その人の考え方や好みが自分に似ていて、うまく調子を合わせてつきあえる。(goo辞書)
-----------------------------
とある。
「気」ってさ、「気持ち」や「雰囲気」って言われてるもの。
「氣」や「エネルギー」と呼ばれるものとは違う。
気持ちや雰囲気が合う=気が合うということ。
そもそも「気」って、心の性質みたいだし。
ちなみに、「気付く」もまた「気」ね。
気付くと心が広がる感じがする。
気が合う人っているよね。
そういう人はその相手と気が似てるのさ。
ここで注意しなければならないのは、
合わせていることと、合うことは違うってこと。
気を合わせずとも合う人。
こういう人がまわりにいると安心する。
気を合わせて合う人。
こういう人がまわりにいると気付かせてくれる。
気を合わせずとも合っているのにも関わらず、
気が合わなくなるのは気付きが足りないせいなんじゃないかな。
一緒にいて、ほんとにいることを感じさせない人はいる。
それも、合わせずに合っているから、ぜんぜん気付かないw
この「ぜんぜん気付かない」部分に気付いていけることが、
自分のことや、まわりのことを思いやるってことなのかもね。
手につかないことが多い。
ふと思うんだ。
自分のことじゃないのに、なんで人のことで自分を見失うのか?と。
人のことを自分のことのように気にしちゃってるからよねw
おもいっきし人の舞台の上に立ってた。
なんでこんなに人のことで不安になったりするんだ。
人は人。
自分は自分。
てか、ちゃんと身体で理解できてたら、こういうことにはならないね。
これも課題のようだ。
「気が合う」という言葉。
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その人の考え方や好みが自分に似ていて、うまく調子を合わせてつきあえる。(goo辞書)
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とある。
「気」ってさ、「気持ち」や「雰囲気」って言われてるもの。
「氣」や「エネルギー」と呼ばれるものとは違う。
気持ちや雰囲気が合う=気が合うということ。
そもそも「気」って、心の性質みたいだし。
ちなみに、「気付く」もまた「気」ね。
気付くと心が広がる感じがする。
気が合う人っているよね。
そういう人はその相手と気が似てるのさ。
ここで注意しなければならないのは、
合わせていることと、合うことは違うってこと。
気を合わせずとも合う人。
こういう人がまわりにいると安心する。
気を合わせて合う人。
こういう人がまわりにいると気付かせてくれる。
気を合わせずとも合っているのにも関わらず、
気が合わなくなるのは気付きが足りないせいなんじゃないかな。
一緒にいて、ほんとにいることを感じさせない人はいる。
それも、合わせずに合っているから、ぜんぜん気付かないw
この「ぜんぜん気付かない」部分に気付いていけることが、
自分のことや、まわりのことを思いやるってことなのかもね。