頭や全身に纏う見えない光
2003年10月18日部屋にひとりで静かに座っていられること。
静かに座っていられないのは、なぜか。
静かにしていることの意味。
"自分が"なにもしないこと。
なにもしないと言いながら、息をしている。
心臓が動いている。
身体がなにもしていないことなどない。
身体は生きている。
いや、身体が生きているのか?
じゃ、自分は?
身体を纏うものかな。
ちょっと違うけど。
気は、身体で感じれるが、
気は、心でも感じれるものだ。
"自分"というものが、身体であったり、心であったりと感じる。
俺は心から観る身体と感じる。
ここ1週間の話なんだけど、
リアルな夢ってあるじゃん?
すぐ切り替わっちゃうような夢じゃなく。
なんか、はっきりとしてるやつ。
そのはっきりとした夢を見る状態が解った感じ。
それは心の囚われがなくなったとき。
夢のときと同じような視点になる。
そして、夢の中で自分を認識しようとすることは、
自分を捉えるということ。
んで、最近けっこう囚われが外れてきて、
自分が身体から出ていて、上の方から自分を観る感じ。
この状態じゃいけないように感じるんだよなぁ。
ムハンマドだったか誰だったかの絵には、
皆、頭に透明なヘルメットっていうか球体を纏っているのね。
その絵の主役は全身金色で頭に透明な球体を纏っている。
なぜ、金色かは置いといて。
頭の球体については、飽和っていうか、
天と地が釣り合ってる状態だと感じる。
身体で言えば、身体の中心はお腹。
心(というもの)の中心は、頭とお腹の間、つまり、胸。
天と自分の中心は、頭(頭頂)。
地と自分の中心は、足(足の裏)。
天と地の中心は、自分。つまり、人。
天
人
地
地に足を着けること。落ち着き。
天に広がること。解放。
自分を落ち着け、心を解放する。
あの球体を纏う姿を観て、
そのバランスがとれている状態だと感じた。
天と釣り合い、地と釣り合っていなければ、
身体に光を纏うことはないのだろう。
両極あってこその太極ってことかな。
気で言えば、
気持ちを落ち着けていけば、縦横に広がる勢いが出てくる。
自然と頭に昇ってくるもの。
昇ってくるっていうか、広がってくるもの。
もちろん、落ち着かず、自分で上げようなんてすれば身を滅ぼす。
それが、俺にとっての気功の意味。
そこから、法を知り、智慧をつけ、物事が観えるようになり、
物事という型・囚われから解放されると、
身体を超えて外から観える。
確かに前よりバランスがよくなってる。
でも、自分が身体を感じるとバランスが崩れる。
そこで。
外から自分を捉える。
落ち着き、囚われのない状態で、心と身体を繋ぐ。
その繋ぐ点が、頭と足の中心、つまり、お腹だということ。
口ではすんなり言えるようになってきたけど、
これができるようになるのはまだかかりそう。
最近忘れていた感覚を思い出す。
昨日は恋というものを。
今日は温かい気持ちというものを。
でも、忘れていたんじゃないのかも。
ひとつ廻って辿り着いた気がする。
ひとつの砂時計のように。
砂が流れている間は感じれてる。
でも、砂がなくなると忘れる。
そして、逆さまになった時、
改めて、砂が流れているのを感じる。
これを思い出すという。
ずっと回しつづけるにはどうしたらいいんだ?
それはその砂時計が観えるようになることだ。
自分が観ていないから、他の人が教えてくれるんだ。
そして、行き着くところは
観ることなく、観ずること。
静かに座っていられないのは、なぜか。
静かにしていることの意味。
"自分が"なにもしないこと。
なにもしないと言いながら、息をしている。
心臓が動いている。
身体がなにもしていないことなどない。
身体は生きている。
いや、身体が生きているのか?
じゃ、自分は?
身体を纏うものかな。
ちょっと違うけど。
気は、身体で感じれるが、
気は、心でも感じれるものだ。
"自分"というものが、身体であったり、心であったりと感じる。
俺は心から観る身体と感じる。
ここ1週間の話なんだけど、
リアルな夢ってあるじゃん?
すぐ切り替わっちゃうような夢じゃなく。
なんか、はっきりとしてるやつ。
そのはっきりとした夢を見る状態が解った感じ。
それは心の囚われがなくなったとき。
夢のときと同じような視点になる。
そして、夢の中で自分を認識しようとすることは、
自分を捉えるということ。
んで、最近けっこう囚われが外れてきて、
自分が身体から出ていて、上の方から自分を観る感じ。
この状態じゃいけないように感じるんだよなぁ。
ムハンマドだったか誰だったかの絵には、
皆、頭に透明なヘルメットっていうか球体を纏っているのね。
その絵の主役は全身金色で頭に透明な球体を纏っている。
なぜ、金色かは置いといて。
頭の球体については、飽和っていうか、
天と地が釣り合ってる状態だと感じる。
身体で言えば、身体の中心はお腹。
心(というもの)の中心は、頭とお腹の間、つまり、胸。
天と自分の中心は、頭(頭頂)。
地と自分の中心は、足(足の裏)。
天と地の中心は、自分。つまり、人。
天
人
地
地に足を着けること。落ち着き。
天に広がること。解放。
自分を落ち着け、心を解放する。
あの球体を纏う姿を観て、
そのバランスがとれている状態だと感じた。
天と釣り合い、地と釣り合っていなければ、
身体に光を纏うことはないのだろう。
両極あってこその太極ってことかな。
気で言えば、
気持ちを落ち着けていけば、縦横に広がる勢いが出てくる。
自然と頭に昇ってくるもの。
昇ってくるっていうか、広がってくるもの。
もちろん、落ち着かず、自分で上げようなんてすれば身を滅ぼす。
それが、俺にとっての気功の意味。
そこから、法を知り、智慧をつけ、物事が観えるようになり、
物事という型・囚われから解放されると、
身体を超えて外から観える。
確かに前よりバランスがよくなってる。
でも、自分が身体を感じるとバランスが崩れる。
そこで。
外から自分を捉える。
落ち着き、囚われのない状態で、心と身体を繋ぐ。
その繋ぐ点が、頭と足の中心、つまり、お腹だということ。
口ではすんなり言えるようになってきたけど、
これができるようになるのはまだかかりそう。
最近忘れていた感覚を思い出す。
昨日は恋というものを。
今日は温かい気持ちというものを。
でも、忘れていたんじゃないのかも。
ひとつ廻って辿り着いた気がする。
ひとつの砂時計のように。
砂が流れている間は感じれてる。
でも、砂がなくなると忘れる。
そして、逆さまになった時、
改めて、砂が流れているのを感じる。
これを思い出すという。
ずっと回しつづけるにはどうしたらいいんだ?
それはその砂時計が観えるようになることだ。
自分が観ていないから、他の人が教えてくれるんだ。
そして、行き着くところは
観ることなく、観ずること。
なにもないということは、ありのままということ。
2003年10月17日なぜ、不安になると思う?
それは、知らないからなんだ。
先が見えないから?
うん。見えないから。
見えていたら不安にはならない。
見えていればこその恐怖は感じるかも知れないけどw
それでも、知っていたら覚悟の決めようもある。
覚悟が決めれない不安ってやつかな。
そういうのが観えないんだ。
だから、不安なんだ。
相手の気持ちが分からないとか。
それで不安になるのは、物事が観えていないから。
観えれば不安じゃなくなる。
だって、"そういうもの"なんだからw
至極自然なんだ。
無為自然なんだ。
極みに至ること自然なり。
何も無く為すこと自然なり。
なにもないということは、自然・ありのままということ。
智慧とは、法が観えるようになること
法とは、物事の成り立ち
つまり、不安を取り除くために智慧がある。
智慧がつくということは、安心だということ。
"自分はなぜ考えているのか"考えてみたことがありますか?
知ること。
知れば知った分、不安じゃなくなる。
言葉は恐い。
知れば知るほど。
自分は笑いながら話してるのに、
使ってる言葉はすごく悲しい言葉とかねw
言葉がなにかを語ってる。
その言葉を使う理由もあるだろうしね。
無意識に選んでるということもある。
本当の型すら扱えていない自分を知ることになる。
世界は無限
自分の中もまた無限
宇宙の意味は、そういう意味だったよね
限り有るものを、儚いという
限り無いものを、尊いという
それは、知らないからなんだ。
先が見えないから?
うん。見えないから。
見えていたら不安にはならない。
見えていればこその恐怖は感じるかも知れないけどw
それでも、知っていたら覚悟の決めようもある。
覚悟が決めれない不安ってやつかな。
そういうのが観えないんだ。
だから、不安なんだ。
相手の気持ちが分からないとか。
それで不安になるのは、物事が観えていないから。
観えれば不安じゃなくなる。
だって、"そういうもの"なんだからw
至極自然なんだ。
無為自然なんだ。
極みに至ること自然なり。
何も無く為すこと自然なり。
なにもないということは、自然・ありのままということ。
智慧とは、法が観えるようになること
法とは、物事の成り立ち
つまり、不安を取り除くために智慧がある。
智慧がつくということは、安心だということ。
"自分はなぜ考えているのか"考えてみたことがありますか?
知ること。
知れば知った分、不安じゃなくなる。
言葉は恐い。
知れば知るほど。
自分は笑いながら話してるのに、
使ってる言葉はすごく悲しい言葉とかねw
言葉がなにかを語ってる。
その言葉を使う理由もあるだろうしね。
無意識に選んでるということもある。
本当の型すら扱えていない自分を知ることになる。
世界は無限
自分の中もまた無限
宇宙の意味は、そういう意味だったよね
限り有るものを、儚いという
限り無いものを、尊いという
大殺界
2003年10月16日銀のペガサス/自分に正直なペガサス
火星人(+)
二黒土星
申
--- 俺の生年月日より ---
火星人(+)の人は一昨年、去年、今年。3年間大殺界。
思い返すとほんと落ちてるって感じでした。
googleで自分と同じような境遇を検索してたら、
2chにおもいっきしスレがあることを知るw
やっぱ、皆同じなんだなと分かったわけで。
同じ火星人(+)であっても、もちろん、個人差はある。
それでも落ちていることに変わりはない。
さて、なにが落ちているんでしょうね?
「やること為すことうまくいかない」
こんな感じですかね?
運気が落ちることと、自分の気持ちが落ちることは違うようです。
っていうか、日記でも書いてきましたが、
自分で超えられるものがあると感じます。
大殺界も今年で終わるわけですが、
来年から「やること為すことうまくいく」
確かによい状態ですよね。
でも、これが"あたりまえ"だと思っているなら、
いずれ、また、落ちるでしょう。
少なくとも、こういう流れがあることを知っていれば、
自分は不幸だと思うこともないでしょう。
ここで皆も不幸だと思うなら、それは違います。
落ちていても幸せを感じている人はいます。
世の中を知っていくと、いろんな流れや軸が観えてきます。
なにかが動いている。
そこにはなんらかの理由があるんです。
もし、その理由が解ったなら、
今までの悩み苦しんだりしたことも、
苦悩の原因が自分にあることを知ります。
なにかが動いている中で起きる物事に一喜一憂する。
流れの中で起きる物事と自分は繋がってはいますが、
直結しているわけではありません。
人生を他のなにかに左右されたままじゃ不安が付きまといます。
例えどんな道でも、
自分で切り開くしかないと思えれば不安がなくなります。
自分の歩む道は、自分が決めましょうよ。
やっぱ、無理をすることってさ、
悪いことならもちろん、どんなによいことであっても、
あまりすべきことじゃないね。
道理に反すること。無理。
自分はなんのために無理をしているんだろうね。
----------------------------------------------------------
日記書いた後、細木数子の本を見に行ってきました。
俺の場合、だいたい占いって信じちゃうほうなのでw
友達にしてもそう。
信じてから始まってる。
んで、内容について。
俺が読んだのは「六星占術による火星人の運命 平成16年版」。
恋愛、仕事、お金、健康等々・・・。
ふーんとか。へぇとか。ほぉみたいな。
本読んでからもやっぱ同じ気分だ。
まぁ、俺は自分を信じるよw
占いは占いで信じるけどw
俺だけがすべてじゃないし、占いだけがすべてじゃない。
ある意味、毎回思うんだけど、
占ってもらう。それなら俺も占えるようになりたい と。
もし、興味があるなら。
自分でそれを扱えるようになれ と。
そうやって、
自分なりなものが昔から少しずつなりともできてきている気がする。
火星人(+)
二黒土星
申
--- 俺の生年月日より ---
火星人(+)の人は一昨年、去年、今年。3年間大殺界。
思い返すとほんと落ちてるって感じでした。
googleで自分と同じような境遇を検索してたら、
2chにおもいっきしスレがあることを知るw
やっぱ、皆同じなんだなと分かったわけで。
同じ火星人(+)であっても、もちろん、個人差はある。
それでも落ちていることに変わりはない。
さて、なにが落ちているんでしょうね?
「やること為すことうまくいかない」
こんな感じですかね?
運気が落ちることと、自分の気持ちが落ちることは違うようです。
っていうか、日記でも書いてきましたが、
自分で超えられるものがあると感じます。
大殺界も今年で終わるわけですが、
来年から「やること為すことうまくいく」
確かによい状態ですよね。
でも、これが"あたりまえ"だと思っているなら、
いずれ、また、落ちるでしょう。
少なくとも、こういう流れがあることを知っていれば、
自分は不幸だと思うこともないでしょう。
ここで皆も不幸だと思うなら、それは違います。
落ちていても幸せを感じている人はいます。
世の中を知っていくと、いろんな流れや軸が観えてきます。
なにかが動いている。
そこにはなんらかの理由があるんです。
もし、その理由が解ったなら、
今までの悩み苦しんだりしたことも、
苦悩の原因が自分にあることを知ります。
なにかが動いている中で起きる物事に一喜一憂する。
流れの中で起きる物事と自分は繋がってはいますが、
直結しているわけではありません。
人生を他のなにかに左右されたままじゃ不安が付きまといます。
例えどんな道でも、
自分で切り開くしかないと思えれば不安がなくなります。
自分の歩む道は、自分が決めましょうよ。
やっぱ、無理をすることってさ、
悪いことならもちろん、どんなによいことであっても、
あまりすべきことじゃないね。
道理に反すること。無理。
自分はなんのために無理をしているんだろうね。
----------------------------------------------------------
日記書いた後、細木数子の本を見に行ってきました。
俺の場合、だいたい占いって信じちゃうほうなのでw
友達にしてもそう。
信じてから始まってる。
んで、内容について。
俺が読んだのは「六星占術による火星人の運命 平成16年版」。
恋愛、仕事、お金、健康等々・・・。
ふーんとか。へぇとか。ほぉみたいな。
本読んでからもやっぱ同じ気分だ。
まぁ、俺は自分を信じるよw
占いは占いで信じるけどw
俺だけがすべてじゃないし、占いだけがすべてじゃない。
ある意味、毎回思うんだけど、
占ってもらう。それなら俺も占えるようになりたい と。
もし、興味があるなら。
自分でそれを扱えるようになれ と。
そうやって、
自分なりなものが昔から少しずつなりともできてきている気がする。
もし、結婚式の仲人を頼まれたらどうする?
2003年10月15日そして、おもいっきし真っ白になっちゃったらどうする?w
もう、こうなったら、どうしようもありませんw
言いたかったことも出てこないことでしょう。
それでいいんです。
なにがいいのかって?w
考えて作った言葉が人に届きますか?
言ってはいけない言葉を正し、無いところから作ったりもする。
そんなの、あなたに仲人をしてもらう理由ですか?
理由なんて本人たちしか解りませんけどw
でもさ、言うなら、正直に言ってみません?
別に悪いことでも正直に言うべきと言ってるんじゃないし。
そういう今までのことをひっくるめて、なにか思いが湧きあがりませんか?
感じればいいんです。
あとはそれを言葉にできるかどうかです。
でも、どんな言葉でもいいと思うんです。
思いは伝わるものだから。
ね。
_________________________________________________________
やっぱ、細木数子好きだw
もう、こうなったら、どうしようもありませんw
言いたかったことも出てこないことでしょう。
それでいいんです。
なにがいいのかって?w
考えて作った言葉が人に届きますか?
言ってはいけない言葉を正し、無いところから作ったりもする。
そんなの、あなたに仲人をしてもらう理由ですか?
理由なんて本人たちしか解りませんけどw
でもさ、言うなら、正直に言ってみません?
別に悪いことでも正直に言うべきと言ってるんじゃないし。
そういう今までのことをひっくるめて、なにか思いが湧きあがりませんか?
感じればいいんです。
あとはそれを言葉にできるかどうかです。
でも、どんな言葉でもいいと思うんです。
思いは伝わるものだから。
ね。
_________________________________________________________
やっぱ、細木数子好きだw
囚われること、捉えること
2003年10月14日悩まないものは安心を求めない。
悩まないから不安にならない。
悩むから不安になり、安心を求める。
悩むからこそ安心に辿り着ける。
気功だけでは足りないと言う意味が解りかけてる。
気功をすることで、囚われのないようになる。
法を知ることで、捉えれるようになる。
戻る(囚われのない)ことでも、進む(捉える)ことでもない。
廻っているのだから。
----------------------------------------------------------
私信
皆からどう思われるのか考えてしまうなら、
誰かひとりの人に宛てて書いてみるのはいかがでしょう。
少なくとも皆からどう思われるかより、
たったひとりの人に深く伝えれる方がよいと思うので。
いつも俺は皆に分かってもらえると思って書いてはいません。
自分に宛てたり、時には誰かひとりに宛てて書いたりしてます。
あなたとはいろんな場で話せる気がしていますし、
そういう意味で、こちらにも気が向いたら書いてみようかと思ってw
パワーがない時は動かない方がいいかも知れません。
動きたくなるまでじっと待つのも手ですよw
いつかゆっくり話せるといいですね。
あなたには知っていてもらいたい。
俺の言葉が矛盾しているように聞こえても。
すべてを肯定して聞いてもらいたい。
矛盾ではないのだと。
ほぼ関係ない私信で申し訳ないw
----------------------------------------------------------
悩まないから不安にならない。
悩むから不安になり、安心を求める。
悩むからこそ安心に辿り着ける。
気功だけでは足りないと言う意味が解りかけてる。
気功をすることで、囚われのないようになる。
法を知ることで、捉えれるようになる。
戻る(囚われのない)ことでも、進む(捉える)ことでもない。
廻っているのだから。
----------------------------------------------------------
私信
皆からどう思われるのか考えてしまうなら、
誰かひとりの人に宛てて書いてみるのはいかがでしょう。
少なくとも皆からどう思われるかより、
たったひとりの人に深く伝えれる方がよいと思うので。
いつも俺は皆に分かってもらえると思って書いてはいません。
自分に宛てたり、時には誰かひとりに宛てて書いたりしてます。
あなたとはいろんな場で話せる気がしていますし、
そういう意味で、こちらにも気が向いたら書いてみようかと思ってw
パワーがない時は動かない方がいいかも知れません。
動きたくなるまでじっと待つのも手ですよw
いつかゆっくり話せるといいですね。
あなたには知っていてもらいたい。
俺の言葉が矛盾しているように聞こえても。
すべてを肯定して聞いてもらいたい。
矛盾ではないのだと。
ほぼ関係ない私信で申し訳ないw
----------------------------------------------------------
名
2003年10月13日人や物には名がある。
名とは存在を表すもの。
名が存在を表しているんじゃない。
物事は無から始まるものなんじゃないかな。
有から始まるものじゃない。
名もまた、名があるから名ということじゃない。
存在があるから、名なんだ。
名がなければ、
存在は感じれているが、呼べないというか、捉えれないというか。
そういうものをひとつずつ、捉えていく、呼んでいく、呼びかけていく。
これが言霊や呪文と呼ばれるものになっていくんじゃないかな。
名は体を表すという。
親が付けたものが、体を表していない名ならどうなるんだ。
それでも、名は体を表すというなら、試練か?w
親に付けられたものが名だとするなら、本当の名がある。本来の名が。
思い出せる人がいるかは別としてw
陰陽師では、名のことを「呪」と呼んでたかな。
名を名前として捉えると、ちょっと理解に困るかも。
俺が言う"名"とは、"型"のこと。
この世で付いた名は、この世のものだ。
この世で生を受けるのに、肉体が付くように。
この世で、我を受けるのに、名が付く。
名を超えること。
この世に存在するために、肉体というものが必要で
この世で他と言葉を交わすのに、名が必要で
肉体を失うとき、名が外れる
死んだ人に付ける戒名。
あの世のものと繋ぐために付ける名。
人はいろんなものに名を付ける。
今日からお前を「ポチ」と呼ぼうみたいな。
「蓮」と呼ぶことも。
出身大学等を「名誉」と呼ぶのと同じなんじゃないかな。
名はなくてもいい
肩書きなんてなくてもいい
名という型がなくなったら、すんげぃ世界が変わるねw
シンプル(自由)に向かえる人っていうのは、
なにかを知っているからだね。
でないと、シンプルに向かうことを恐いと思ったり、
つまらないと思ったりする。
芯がある。
名がない世界であっても、自分がいる。
自分がいなくなると思ったら、
名がない世界なんていられないと思うだろう。
自分は名があろうとなかろうと関係ないことを知っている。
自分を知っているから、シンプルになれるとも言えるのかな。
自分だけになれるというか。
記憶・覚えるっていう感覚。
俺が覚えるときって、自分の中に入ってきたとき。
だから、俺はけっこう忘れない。
思い出すときは、自分の中にあるから、自然とみつかる。
自分の身に刻んでおくっていうかね。
自分の身になっているものは忘れない。
身にならないものは忘れる。
じゃ、小学生の頃にやってたファミコンのパスワードを覚えてるってのは
身になっているからなのね_| ̄|○
なかなか忘れませんねぇw
普通に覚えてるしw
勉強をあまりしていない俺ですが
興味のあるものに対しては努力をしてきた模様w
努力と呼ぶのは端から見た話だけども。
覚えたかったんだって!
だから、覚えたんだって。
たぶん、そういうもんだろうねw
覚えたかったから覚えたんだ。
時が経てば忘れるものがある。
時が経っても忘れないものがある。
本当に必要なものって、それだけなんだろうね。
他は忘れてもいいもの。
真髄さえ覚えていれば、また、すぐ取り戻せる。
だから、始める場所は、外側からなんだ。
絶対に外側から。
内側から始まることはない・・・と、思うw
コップの水をかき回すとするじゃん?
外側からかき回さないとよく回らないよね。
じゃ、湯船だったらどうだろう?
外側から大きくかき回さないとよく回らないよね。
海だったらどうだろう?
そして、空の場合はどうだろう?
人には肉体がある。
肉体がある以上、この外を考える必要はない。
海の中で、渦を作るにはどうすればいいと思う?
空の中で、渦を作るにはどうすればいいと思う?
型のない中で回すから、難しい。
普通は回らない。
そこで「呪」だ。
捉えるんだ。
そしたら、回せる。
だから、回るんだ。
捉えればそれは形となる。
自分を捉えればいいんだ。
無念無想から、捉えるんだ。
無に辿り着くことが、回すことになっていく。
無=なにものにも囚われていない、または、なにも捉えていない状態。
幸せもまた無に帰さねばならない。
囚われてちゃいけない。
囚われのないところに本当の幸せがある。
幸も不幸もひとつの事の裏表。
そこから離れれることが幸せ と。
繋げるということは、
囚われのない状態になり、
そこから、捉えていくこと。
それは繋げているってこと。
繋がっているのではなく、繋げている。
というか、繋げていく。
端から観れば、繋がっていく。
そして、繋がっているということになる。
真理と呼ばれるものは、廻っている。
幸せというか辿り着くべきものが観える高さには何階層かあると感じる。
各階層には壁がある。
どれくらいの階層があるかは解らないけど、
俺が解るのは、
運勢とか、そういう外的要素のすべてが影響を及ぼさない層。
素直になって円滑に流れる層。
流れに逆らってでも辿り着く層。
流れに逆らい溺れながらなにかにしがみつく層。
目指すは、できるだけ上の層へ。
上の層を目指すのに、なにかが恐いと感じるなら、
なにかを知らないからなんだ。
下の層で、それでよしとするのは、知らないから。
いや、それはそれで、その層での幸せをつかめてるわけだけど。
一度観えてしまったら頑張るしかない。
観えるからこそ、頑なに張れるんだ。
外的要素のすべてが影響を及ぼさない層になにがあるのかって?
安心と呼ばれる穏やかさがある。
やる気が出ないとか関係なかった。
信念があるなら為すだけだ。
素直に為していけばいい。
気付くことだった。
本来の姿に。
それこそが"やる"理由なのだと。
名とは存在を表すもの。
名が存在を表しているんじゃない。
物事は無から始まるものなんじゃないかな。
有から始まるものじゃない。
名もまた、名があるから名ということじゃない。
存在があるから、名なんだ。
名がなければ、
存在は感じれているが、呼べないというか、捉えれないというか。
そういうものをひとつずつ、捉えていく、呼んでいく、呼びかけていく。
これが言霊や呪文と呼ばれるものになっていくんじゃないかな。
名は体を表すという。
親が付けたものが、体を表していない名ならどうなるんだ。
それでも、名は体を表すというなら、試練か?w
親に付けられたものが名だとするなら、本当の名がある。本来の名が。
思い出せる人がいるかは別としてw
陰陽師では、名のことを「呪」と呼んでたかな。
名を名前として捉えると、ちょっと理解に困るかも。
俺が言う"名"とは、"型"のこと。
この世で付いた名は、この世のものだ。
この世で生を受けるのに、肉体が付くように。
この世で、我を受けるのに、名が付く。
名を超えること。
この世に存在するために、肉体というものが必要で
この世で他と言葉を交わすのに、名が必要で
肉体を失うとき、名が外れる
死んだ人に付ける戒名。
あの世のものと繋ぐために付ける名。
人はいろんなものに名を付ける。
今日からお前を「ポチ」と呼ぼうみたいな。
「蓮」と呼ぶことも。
出身大学等を「名誉」と呼ぶのと同じなんじゃないかな。
名はなくてもいい
肩書きなんてなくてもいい
名という型がなくなったら、すんげぃ世界が変わるねw
シンプル(自由)に向かえる人っていうのは、
なにかを知っているからだね。
でないと、シンプルに向かうことを恐いと思ったり、
つまらないと思ったりする。
芯がある。
名がない世界であっても、自分がいる。
自分がいなくなると思ったら、
名がない世界なんていられないと思うだろう。
自分は名があろうとなかろうと関係ないことを知っている。
自分を知っているから、シンプルになれるとも言えるのかな。
自分だけになれるというか。
記憶・覚えるっていう感覚。
俺が覚えるときって、自分の中に入ってきたとき。
だから、俺はけっこう忘れない。
思い出すときは、自分の中にあるから、自然とみつかる。
自分の身に刻んでおくっていうかね。
自分の身になっているものは忘れない。
身にならないものは忘れる。
じゃ、小学生の頃にやってたファミコンのパスワードを覚えてるってのは
身になっているからなのね_| ̄|○
なかなか忘れませんねぇw
普通に覚えてるしw
勉強をあまりしていない俺ですが
興味のあるものに対しては努力をしてきた模様w
努力と呼ぶのは端から見た話だけども。
覚えたかったんだって!
だから、覚えたんだって。
たぶん、そういうもんだろうねw
覚えたかったから覚えたんだ。
時が経てば忘れるものがある。
時が経っても忘れないものがある。
本当に必要なものって、それだけなんだろうね。
他は忘れてもいいもの。
真髄さえ覚えていれば、また、すぐ取り戻せる。
だから、始める場所は、外側からなんだ。
絶対に外側から。
内側から始まることはない・・・と、思うw
コップの水をかき回すとするじゃん?
外側からかき回さないとよく回らないよね。
じゃ、湯船だったらどうだろう?
外側から大きくかき回さないとよく回らないよね。
海だったらどうだろう?
そして、空の場合はどうだろう?
人には肉体がある。
肉体がある以上、この外を考える必要はない。
海の中で、渦を作るにはどうすればいいと思う?
空の中で、渦を作るにはどうすればいいと思う?
型のない中で回すから、難しい。
普通は回らない。
そこで「呪」だ。
捉えるんだ。
そしたら、回せる。
だから、回るんだ。
捉えればそれは形となる。
自分を捉えればいいんだ。
無念無想から、捉えるんだ。
無に辿り着くことが、回すことになっていく。
無=なにものにも囚われていない、または、なにも捉えていない状態。
幸せもまた無に帰さねばならない。
囚われてちゃいけない。
囚われのないところに本当の幸せがある。
幸も不幸もひとつの事の裏表。
そこから離れれることが幸せ と。
繋げるということは、
囚われのない状態になり、
そこから、捉えていくこと。
それは繋げているってこと。
繋がっているのではなく、繋げている。
というか、繋げていく。
端から観れば、繋がっていく。
そして、繋がっているということになる。
真理と呼ばれるものは、廻っている。
幸せというか辿り着くべきものが観える高さには何階層かあると感じる。
各階層には壁がある。
どれくらいの階層があるかは解らないけど、
俺が解るのは、
運勢とか、そういう外的要素のすべてが影響を及ぼさない層。
素直になって円滑に流れる層。
流れに逆らってでも辿り着く層。
流れに逆らい溺れながらなにかにしがみつく層。
目指すは、できるだけ上の層へ。
上の層を目指すのに、なにかが恐いと感じるなら、
なにかを知らないからなんだ。
下の層で、それでよしとするのは、知らないから。
いや、それはそれで、その層での幸せをつかめてるわけだけど。
一度観えてしまったら頑張るしかない。
観えるからこそ、頑なに張れるんだ。
外的要素のすべてが影響を及ぼさない層になにがあるのかって?
安心と呼ばれる穏やかさがある。
やる気が出ないとか関係なかった。
信念があるなら為すだけだ。
素直に為していけばいい。
気付くことだった。
本来の姿に。
それこそが"やる"理由なのだと。
The 思いつきゲーム
2003年10月12日思い出した。
俺がノってる時、ふとした時にしたくなるゲームがある。
The 思いつきゲーム
(自分と相手のふたり推奨、3人以上でも可)
連想ゲームに近いノリなんだけど、
その言葉を見て・聞いて心に浮かんだものを言う。
続いていなくても、繋がっていなくてもいい。
浮かんだものを言う。
名詞でなければならないとか、そういう制限はない。
っていうか、相手に応えを返す以外、どんな制限もない。
強いて制限をかけるなら、自分の浮かんだものに偽らないこと。
もちろん、浮かんだものを絶対に言えってわけじゃない。
んで、このゲームをやっていくと、
ルールの無さにつまらなさを感じる人もいる。
そういう人とは続かない。
このゲームに面白みを見出せる人とやると、かなり続く。
とってもシンプルなゲームだけど、
続けることもシンプルなことなんだけど、
続けられない人には続けられない理由があるんだ。
先ず、途中で詰まるタイプ。
このタイプは、
相手の言った言葉になにかを捉えているか捉えられている。
次に、相手が同じ言葉を使いまわし嫌気が差すタイプ。
このタイプは、
相手自身の中に捉えているものがあるか捉えられているものがある。
そして、それが嫌になる自分がいる。
最後に、このゲームをやる気も起こらないタイプ。
このタイプは、
論外w
結論から言うと、
俺はこのゲームを一生続けられる人と一緒にいたい。
"気持ちのキャッチボール"みたいな言葉があるよね。
相手に投げ返すこと。
これがルール。
これ以外のルールはない。
投げるのが下手でもいいよ。
どっか変な方向へ飛んでってもいいよ。
ちゃんと俺の方へ投げてくれるなら。
どんな変化球投げてきてもいいよ。
俺が受け止めれるよう努力するから。
うまくキャッチできなくたっていいじゃん。
なにがどうとか、どうってことないよ。
ふたりがちゃんと投げ合えてると感じるなら。
ね。
※秘密メモにゲーム解説&ゲーム感想
俺がノってる時、ふとした時にしたくなるゲームがある。
The 思いつきゲーム
(自分と相手のふたり推奨、3人以上でも可)
連想ゲームに近いノリなんだけど、
その言葉を見て・聞いて心に浮かんだものを言う。
続いていなくても、繋がっていなくてもいい。
浮かんだものを言う。
名詞でなければならないとか、そういう制限はない。
っていうか、相手に応えを返す以外、どんな制限もない。
強いて制限をかけるなら、自分の浮かんだものに偽らないこと。
もちろん、浮かんだものを絶対に言えってわけじゃない。
んで、このゲームをやっていくと、
ルールの無さにつまらなさを感じる人もいる。
そういう人とは続かない。
このゲームに面白みを見出せる人とやると、かなり続く。
とってもシンプルなゲームだけど、
続けることもシンプルなことなんだけど、
続けられない人には続けられない理由があるんだ。
先ず、途中で詰まるタイプ。
このタイプは、
相手の言った言葉になにかを捉えているか捉えられている。
次に、相手が同じ言葉を使いまわし嫌気が差すタイプ。
このタイプは、
相手自身の中に捉えているものがあるか捉えられているものがある。
そして、それが嫌になる自分がいる。
最後に、このゲームをやる気も起こらないタイプ。
このタイプは、
論外w
結論から言うと、
俺はこのゲームを一生続けられる人と一緒にいたい。
"気持ちのキャッチボール"みたいな言葉があるよね。
相手に投げ返すこと。
これがルール。
これ以外のルールはない。
投げるのが下手でもいいよ。
どっか変な方向へ飛んでってもいいよ。
ちゃんと俺の方へ投げてくれるなら。
どんな変化球投げてきてもいいよ。
俺が受け止めれるよう努力するから。
うまくキャッチできなくたっていいじゃん。
なにがどうとか、どうってことないよ。
ふたりがちゃんと投げ合えてると感じるなら。
ね。
※秘密メモにゲーム解説&ゲーム感想
日常
2003年10月11日一日でも日記をつけていないと、その日の気付きは書けない。
それは、時間が経つにつれて違うものになってしまうから。
一日の中で思うこと。
それは次の日から観て見れば、一言で表せるようなもの。
でも、今日から観た今日は、言い尽くすことはない。
思うなら今のことを。
ただ、過去も未来もあるものにしてないものだから、
どんな思いであれ、解放していかねばならない。
ひとつ解放できれば、ひとつ幸せを感じれる。
ひとつ思いを残せば、ひとつ幸せを感じれなくなる。
心の束縛を解き放つ鍵。
それは、過去も未来も関係ない。
思いがあるところを解放すること。
思うのには理由があり、理由は自分の中にある。
思うことが問題なんじゃなく、思いを残してくることが問題なんだ。
昨日、今日と、書きたいこといろいろと浮かんでたけど、
書き留めることなく過ごしてみた。
いや、いつも書き留めなんてしてないですけどw
書く機会がなかった。
それでいいんじゃないかと思ったりして。
自分は自分だよね。
だから、仮面や殻を創らないようにしていきたいね。
まわりの表現に対し、自分の創った仮面や殻で対処しちゃう。
自分で創ったものは自分で捨てることができるから。
もし、自分に仮面や殻があると感じるなら、
勇気を持ってそれを捨てよう。
なにかをするための道具は素晴らしいものだ。
だが、いつしか、その道具がなくては生きられなくなる。
道具に頼ってしまうから。
道具をいつか捨てなきゃいけない時がくる。
ある一定のレベルを超えると、自分の成長は止まる。
そして、自分が進んでないように思えてくる。
事実、高さとしての自分は進んでいないかも知れない。
でも、長さとしての自分は進んでいるよ。勝手にね。
もし、自分になにか起こったとしたら、
受け入れなきゃいけないね。
もし、道具に頼っていたとしたら、
道具なしでも生きていけるように。
もし、自分の目が見えなくなったとしたら、
目が見えなくとも生きていけるように。
もし、親が死んだとしたら、
親がいなくとも生きていけるように。
もし、最も大切な人が死んだとしたら、
最も大切な人がここにいなくとも生きていけるように。
あなたはこの言葉たちを"温かい"と思う?
あなたはこの言葉たちを"冷たい"と思う?
言葉になにを感じるかは、言葉というものを感じる高さにかかってる。
それは、時間が経つにつれて違うものになってしまうから。
一日の中で思うこと。
それは次の日から観て見れば、一言で表せるようなもの。
でも、今日から観た今日は、言い尽くすことはない。
思うなら今のことを。
ただ、過去も未来もあるものにしてないものだから、
どんな思いであれ、解放していかねばならない。
ひとつ解放できれば、ひとつ幸せを感じれる。
ひとつ思いを残せば、ひとつ幸せを感じれなくなる。
心の束縛を解き放つ鍵。
それは、過去も未来も関係ない。
思いがあるところを解放すること。
思うのには理由があり、理由は自分の中にある。
思うことが問題なんじゃなく、思いを残してくることが問題なんだ。
昨日、今日と、書きたいこといろいろと浮かんでたけど、
書き留めることなく過ごしてみた。
いや、いつも書き留めなんてしてないですけどw
書く機会がなかった。
それでいいんじゃないかと思ったりして。
自分は自分だよね。
だから、仮面や殻を創らないようにしていきたいね。
まわりの表現に対し、自分の創った仮面や殻で対処しちゃう。
自分で創ったものは自分で捨てることができるから。
もし、自分に仮面や殻があると感じるなら、
勇気を持ってそれを捨てよう。
なにかをするための道具は素晴らしいものだ。
だが、いつしか、その道具がなくては生きられなくなる。
道具に頼ってしまうから。
道具をいつか捨てなきゃいけない時がくる。
ある一定のレベルを超えると、自分の成長は止まる。
そして、自分が進んでないように思えてくる。
事実、高さとしての自分は進んでいないかも知れない。
でも、長さとしての自分は進んでいるよ。勝手にね。
もし、自分になにか起こったとしたら、
受け入れなきゃいけないね。
もし、道具に頼っていたとしたら、
道具なしでも生きていけるように。
もし、自分の目が見えなくなったとしたら、
目が見えなくとも生きていけるように。
もし、親が死んだとしたら、
親がいなくとも生きていけるように。
もし、最も大切な人が死んだとしたら、
最も大切な人がここにいなくとも生きていけるように。
あなたはこの言葉たちを"温かい"と思う?
あなたはこの言葉たちを"冷たい"と思う?
言葉になにを感じるかは、言葉というものを感じる高さにかかってる。
立ち止まり振り返ってみる
2003年10月9日この1年で君がやってきたことをレポート提出しなさい
みたいに言われたら俺はどうするんだろうなと。
とりあえず、人にレポートを求められる時ってさ、
なんか、具体的な出来事について書かねばならないような気になる。
俺毎回これが嫌だったように思うw
この1年で君がやってきたことで、
思ったこと・感じたことを文にして提出しなさい。
こんな感じなら、楽勝です。
スラスラ書けます。
仕事のことでも、恋愛のことでもなんでもスラスラ書けます。
人に分かるように書く難しさっていうか。
人に分からせることは不可能で。
押しつけることと、かわらないことになる。
だから、そうではなく、
作家は人様に分かり易い表現を心掛ける必要があるけど、
先ずは、表現するに至る気持ち。
もし、俺が先生だったら。
ってことで、考えてみた。
先生の立場で上記の提出指示を出すなら、
それって、なにか目的があってよね。
あたりまえですが。
んで、そういうものの提出を指示する時って、
そのなにかについての意見や見解を知りたい場合とかかな。
っていうか、
先生と生徒のレベルの違いってあるよね。
先生のレベルを生徒に求めちゃいけないよね。
生徒のレベルに先生がレベルを合わせる時、
生徒の視点が観えてくるんじゃないかな。
生徒の視点で観ていくことで、
先生(自分)と生徒の差も観えてくる。
その差分が自分の生きてきた経験の差と
生徒の「らしさ」、そして自分の「らしさ」。
生徒の「らしさ」を伸ばし活かしていくことが、
先生が、生徒のためにできることなんじゃないかな。
自分で表現してる言葉が恐くなる。
知れば知るほど自分の使ってる言葉は、
本当は言葉に使われているのだと解る。
なにげない言葉の中に、自分の型が観える。
_______________________________________________________________
不思議体験〜運命の扉 "beyond chance"
知ってる人少ないんだろうけどw
いや、見たの初めてなんだけどね。
なんか、再放送っぽいんですけど。
こういう番組に出逢えて嬉しい。
http://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E4%BD%93%E9%A8%93%E3%80%9C%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%89%89&ie=UTF-8&hl=ja
みたいに言われたら俺はどうするんだろうなと。
とりあえず、人にレポートを求められる時ってさ、
なんか、具体的な出来事について書かねばならないような気になる。
俺毎回これが嫌だったように思うw
この1年で君がやってきたことで、
思ったこと・感じたことを文にして提出しなさい。
こんな感じなら、楽勝です。
スラスラ書けます。
仕事のことでも、恋愛のことでもなんでもスラスラ書けます。
人に分かるように書く難しさっていうか。
人に分からせることは不可能で。
押しつけることと、かわらないことになる。
だから、そうではなく、
作家は人様に分かり易い表現を心掛ける必要があるけど、
先ずは、表現するに至る気持ち。
もし、俺が先生だったら。
ってことで、考えてみた。
先生の立場で上記の提出指示を出すなら、
それって、なにか目的があってよね。
あたりまえですが。
んで、そういうものの提出を指示する時って、
そのなにかについての意見や見解を知りたい場合とかかな。
っていうか、
先生と生徒のレベルの違いってあるよね。
先生のレベルを生徒に求めちゃいけないよね。
生徒のレベルに先生がレベルを合わせる時、
生徒の視点が観えてくるんじゃないかな。
生徒の視点で観ていくことで、
先生(自分)と生徒の差も観えてくる。
その差分が自分の生きてきた経験の差と
生徒の「らしさ」、そして自分の「らしさ」。
生徒の「らしさ」を伸ばし活かしていくことが、
先生が、生徒のためにできることなんじゃないかな。
自分で表現してる言葉が恐くなる。
知れば知るほど自分の使ってる言葉は、
本当は言葉に使われているのだと解る。
なにげない言葉の中に、自分の型が観える。
_______________________________________________________________
不思議体験〜運命の扉 "beyond chance"
知ってる人少ないんだろうけどw
いや、見たの初めてなんだけどね。
なんか、再放送っぽいんですけど。
こういう番組に出逢えて嬉しい。
http://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E4%BD%93%E9%A8%93%E3%80%9C%E9%81%8B%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%89%89&ie=UTF-8&hl=ja
人の言うこと、人に言うこと
2003年10月8日人の言うことを受け入れる こと。
それを「信じる」と言う。
自信とは、自分のことについて人の言うことを受け入れる ということ。
履き違えると、自ら人に言う ということになる。
なにを人に言いたい?
自信と呼ばれるものが、人になにかを言うためのものなら、
なくてもいいものなんじゃないかな。
先ず、自分の型が観えるようになること。
そして、その型を外せるようになること。
観えないものは外せないから。
型をひとつ外せるようになったとしても、
すべてを外せなければ、型にハマっておく必要がある。
いつでも外せる状態でね。
でないと散っちゃうから。
すべての型を外せるようになっても終わりじゃない。
芯ができあがるまでは。
そして、流れ出る元の栓を制御できるようになるまでは。
それを「信じる」と言う。
自信とは、自分のことについて人の言うことを受け入れる ということ。
履き違えると、自ら人に言う ということになる。
なにを人に言いたい?
自信と呼ばれるものが、人になにかを言うためのものなら、
なくてもいいものなんじゃないかな。
先ず、自分の型が観えるようになること。
そして、その型を外せるようになること。
観えないものは外せないから。
型をひとつ外せるようになったとしても、
すべてを外せなければ、型にハマっておく必要がある。
いつでも外せる状態でね。
でないと散っちゃうから。
すべての型を外せるようになっても終わりじゃない。
芯ができあがるまでは。
そして、流れ出る元の栓を制御できるようになるまでは。
本来知っているもの
2003年10月7日本当は知っている
でも、知らない
だから、知るんだろうな
そして、戻ってくるんだ
知っている自分に。
本来知っているのに、今知らないのには理由があるのだろう。
理由は解らないが、それさえも、本来知っているものだ。
今自分にできること。それは知ること。
本来知っていることのすべてを知る自分に戻ること。
すべてという表現は外向きというより、内向き。
まわりを知ることではなく、自分を知ること。
鏡に映る自分に勝つにはどうしたらいいと思う?
鏡に映るっていうか、もう1人の自分と闘うことになったら。
やる事為すこと、同じことをする自分。
俺の中では闘うっていうと、自分の内面のように感じる。
確かに敵は目の前にいるのかも知れないけど。
それをどう思っているかは自分の内面にあって。
目の前の敵には、自分のできる限りのことをしても、
勝てるかどうかってのは決まってる。
できる限りの力を出せるかどうか、
これが自分の内面との闘いに勝てるかどうかのように感じる。
勝てれば、本来の力が出せる。
勝てなければ、本来の力が出せない。
自分に勝てなくて、本来の力が出せなくても、
目の前にいる敵に勝てるかもしれない。
そう考えていくと
やれるだけのことをやって、目の前の敵に敗れたら、
仕方ないことだね。
やれるだけのことをしないで、目の前の敵に敗れたら、
仕方ないでは済ませないよね。
人に負けてもいい。
自分に負けなければそれでいいんだよ。
- 百戦錬磨 -
でも、知らない
だから、知るんだろうな
そして、戻ってくるんだ
知っている自分に。
本来知っているのに、今知らないのには理由があるのだろう。
理由は解らないが、それさえも、本来知っているものだ。
今自分にできること。それは知ること。
本来知っていることのすべてを知る自分に戻ること。
すべてという表現は外向きというより、内向き。
まわりを知ることではなく、自分を知ること。
鏡に映る自分に勝つにはどうしたらいいと思う?
鏡に映るっていうか、もう1人の自分と闘うことになったら。
やる事為すこと、同じことをする自分。
俺の中では闘うっていうと、自分の内面のように感じる。
確かに敵は目の前にいるのかも知れないけど。
それをどう思っているかは自分の内面にあって。
目の前の敵には、自分のできる限りのことをしても、
勝てるかどうかってのは決まってる。
できる限りの力を出せるかどうか、
これが自分の内面との闘いに勝てるかどうかのように感じる。
勝てれば、本来の力が出せる。
勝てなければ、本来の力が出せない。
自分に勝てなくて、本来の力が出せなくても、
目の前にいる敵に勝てるかもしれない。
そう考えていくと
やれるだけのことをやって、目の前の敵に敗れたら、
仕方ないことだね。
やれるだけのことをしないで、目の前の敵に敗れたら、
仕方ないでは済ませないよね。
人に負けてもいい。
自分に負けなければそれでいいんだよ。
- 百戦錬磨 -
答えを出す
2003年10月6日※書いたのに、消えた・・・遠い目
※気が向いたらもう一度挑戦します><
答えは自分で出すものじゃない。
答えは自分の中にある。
それを感じ、見つけ出すこと。
これを「答えを出す」という。
結局、一度表現したものと同じものは再現できず。
ってことで、そのまま表現しないことにw
今日因果応報的な辛いことに逢った。
因果応報だから、あたりまえなんだけど。
いやぁ、やっぱ頭に血が上るわけで。
そして、気も上るわけで。
でも、そんな中でも、心の声はちゃんと聴けました。
やっぱ守護霊さんや、他の人の声じゃないと感じた。
俺の声だ。
てか、自分が心の中で「思ってる」時の声。
あの声と同じ声。
上記のことが逢った後に、久々に俺が先生と呼んでる人から電話があった。
なんで、今日なんだろう?と思いつつ、
機会ってやつなのかな。時期とも言うかな。
温かい人と話すのっていいですね。
自分である程度は収めてたけど、
それでも身体にはまだ影響がでてたから。
なにかあると誰かが話し掛けてくれる。
その都度救われてる。
やっぱ姿勢がいいと、少なくとも姿勢が悪いときより落ち着く。
なにかしているときより、
姿勢を正しくして、なにもしない方がずっと落ち着く。
もちろん、
なにかすることで、落ち着きがなくなるのも理由があることだけど。
※気が向いたらもう一度挑戦します><
答えは自分で出すものじゃない。
答えは自分の中にある。
それを感じ、見つけ出すこと。
これを「答えを出す」という。
結局、一度表現したものと同じものは再現できず。
ってことで、そのまま表現しないことにw
今日因果応報的な辛いことに逢った。
因果応報だから、あたりまえなんだけど。
いやぁ、やっぱ頭に血が上るわけで。
そして、気も上るわけで。
でも、そんな中でも、心の声はちゃんと聴けました。
やっぱ守護霊さんや、他の人の声じゃないと感じた。
俺の声だ。
てか、自分が心の中で「思ってる」時の声。
あの声と同じ声。
上記のことが逢った後に、久々に俺が先生と呼んでる人から電話があった。
なんで、今日なんだろう?と思いつつ、
機会ってやつなのかな。時期とも言うかな。
温かい人と話すのっていいですね。
自分である程度は収めてたけど、
それでも身体にはまだ影響がでてたから。
なにかあると誰かが話し掛けてくれる。
その都度救われてる。
やっぱ姿勢がいいと、少なくとも姿勢が悪いときより落ち着く。
なにかしているときより、
姿勢を正しくして、なにもしない方がずっと落ち着く。
もちろん、
なにかすることで、落ち着きがなくなるのも理由があることだけど。
技を磨く
2003年10月5日技を磨くっていう表現ってさ
手段を磨くようなもんに感じる。
ひとつの技を練り上げる意味
技をたくさん創る意味
全部、「技」だけを観れば、手段・方法と感じる。
もちろん、「技」だけを観なければ、
技を磨くということは、心と身体を磨くということ。
心と身体が磨かれてくれば、自ずと技は磨かれる。
技を磨くことは、その動作を上手にできるようになったり、
綺麗にできるようになったりすることではないってこと。
心と身体が磨かれていけば、
自然に物事は上手になり、動作も綺麗になる。
心と身体の織り成すものが、技というものを作る。
というより、他の人から見れば技であっても、
自分から見れば、あたりまえにしていること。
それが練ることであり、技と呼ばれるもの。
そうか。
あたりまえと呼ぶところまで、自然になることが、練るということか。
"空気みたいな存在"もまた、そういうことか。
これを解らないで、空気みたいな存在を目指すのと、
解って、空気みたいな存在を目指すのとではワケが違うねw
音楽とは、音を楽しむこと。
気楽とは、気を楽しむこと。
極楽とは、極みを楽しむこと。
感謝とは、感じ謝ること。
愛情とは、愛に情ずること。愛を感じることで起きる心の動き。
情とは、心青いと書く。
感とは、咸("あまねく"の意)の心と書く。
あまねく【遍く/普く】とは、すべてにわたってという意。
詰まるところ、感とは、すべてにわたる心。
詰まり、感覚・感じるとは、すべてにわたる心を知ること。
手段を磨くようなもんに感じる。
ひとつの技を練り上げる意味
技をたくさん創る意味
全部、「技」だけを観れば、手段・方法と感じる。
もちろん、「技」だけを観なければ、
技を磨くということは、心と身体を磨くということ。
心と身体が磨かれてくれば、自ずと技は磨かれる。
技を磨くことは、その動作を上手にできるようになったり、
綺麗にできるようになったりすることではないってこと。
心と身体が磨かれていけば、
自然に物事は上手になり、動作も綺麗になる。
心と身体の織り成すものが、技というものを作る。
というより、他の人から見れば技であっても、
自分から見れば、あたりまえにしていること。
それが練ることであり、技と呼ばれるもの。
そうか。
あたりまえと呼ぶところまで、自然になることが、練るということか。
"空気みたいな存在"もまた、そういうことか。
これを解らないで、空気みたいな存在を目指すのと、
解って、空気みたいな存在を目指すのとではワケが違うねw
音楽とは、音を楽しむこと。
気楽とは、気を楽しむこと。
極楽とは、極みを楽しむこと。
感謝とは、感じ謝ること。
愛情とは、愛に情ずること。愛を感じることで起きる心の動き。
情とは、心青いと書く。
感とは、咸("あまねく"の意)の心と書く。
あまねく【遍く/普く】とは、すべてにわたってという意。
詰まるところ、感とは、すべてにわたる心。
詰まり、感覚・感じるとは、すべてにわたる心を知ること。
自分のために頑張る
2003年10月4日自分のために頑張れる人は、他のもののために頑張れる人。
少なくとも、自分のために頑張れなければ、
他のもののためになぜ頑張るのかも解らない。
自分を大事にできるなら、他のものを大事にできる。
たとえ、物や事であっても。
自分のためだから、頑張る。
自分のため。だから、頑張る。
自分のため。
だから、頑張れる。
自分のことだから、頑なに張れる。
人の頑張っている姿を見て、なにを思う。
なぜ、その人は頑張っているのか。
思っていても観えてはこない。
その人には頑なに張りたいものがあるんだ。
その人が頑張っている物事を理解することが分かることじゃない。
頑なに張りたいものがなんなのか
それが解ることが、分かることなんだ。
水の"真"力 という本を買いました。
機会が廻ってきたら是非。
少なくとも、自分のために頑張れなければ、
他のもののためになぜ頑張るのかも解らない。
自分を大事にできるなら、他のものを大事にできる。
たとえ、物や事であっても。
自分のためだから、頑張る。
自分のため。だから、頑張る。
自分のため。
だから、頑張れる。
自分のことだから、頑なに張れる。
人の頑張っている姿を見て、なにを思う。
なぜ、その人は頑張っているのか。
思っていても観えてはこない。
その人には頑なに張りたいものがあるんだ。
その人が頑張っている物事を理解することが分かることじゃない。
頑なに張りたいものがなんなのか
それが解ることが、分かることなんだ。
水の"真"力 という本を買いました。
機会が廻ってきたら是非。
流れている
2003年10月3日なにかを表現するということ。
それは、なにかを表現できなくするということ。
「ザ・ビーチ」のこととか書こうと思った。
そして、メッセで「ザ・ビーチ」の話をしていて、話がどんどん違う方向へw
違う方向っていうか、繋がっているものの渦を辿るっていうか ね。
んで、日記で、話したことを表現しようと思った。
でも、"そのもの"を形にすることは俺にはできない。
というより、型にはめ込む時、
型からはみ出た部分が明らかに"そのもの"として足りない。
だから、"そのもの"を型で伝えるのは無理。
だから、違う方法で伝えようと思う。
法
コツ・ポイントとして、伝える。
蓮が泥水からでてくるのはなんのため?
水面へ伸びようとするのはなんのため?
水上をより高く伸びようとするのはなんのため?
蓮の花が咲いて観なければ解らないものがある。
なぜ、勉強をするのか。
勉強を終えて観なければ解らない。
人生という勉強は、死んでから解る。
人生は終わって観なければ解らない。
始まりと終わり
一番近い表現は "砂時計"
俺の中では人が瞬間移動するようなもの。
素粒子が移動していくようなもの。
一粒一粒が終わりへ移動する。
その流れが生きるということであり、
移動が終われば、また、固体として存在する。
移動するためには、固体を液体とも気体とも言えないものになり、
移動するべきところへ移動する。
肉体もまた固体であり、液体であり、気体なんだろうな。
世界の物質は素粒子だと。
素粒子ひとつひとつが、共鳴する。
その一粒一粒は、大した事ないのだが、大事なのだ。
今耳に入ってくる音が聴こえるかい?
自分の身体の音を聴くのではなく。
身体の音が聴こえるのは、身体が自分と共鳴していないから。
なにかをすることが、感じることじゃない。
感じたことを言葉にする必要もない。
耳を澄ます必要もない。
俺は文字を連ねているだけ。
なにかを思った・感じたのはあなたさ。
感じると"そのもの"が分かる。
そして、自分のことが解る。
思うとそのものは観えないけど、なにかを疑問に思う。
物事の真髄に辿り着くことは、
砂時計が流れ終わることを意味する。
人生もまた同じ。
これが達するということ。
観え方が変わるということ。
知ることは、砂時計を流し始めること。
悟ることは、砂時計を流し終えること。
砂時計を引っ繰り返すことが、悟ったものを使うということ。
時間と観ているものが変わった。
砂時計を回転させてみて。
大事なのは軸。
軸がないのに回転しようとするから、歪む。
軸がないものは散る。
軸があるものだけが維持できる。
時間とは、砂時計を繰り返すこと。
それが時の間。
一時・一瞬とは、ひとつの砂時計、一回に同じ。
練ることもまた、砂時計に同じ。
そして、生きることもまた、一時に同じ。
無に帰すとは、無くなることではない。
有があり無がある。
無に帰すとは、有を創ること。
有を創ることは、無に帰するということ。
そして、有も無もないのだ。
流水
流れる(回る)ものなのだ。
夢の中にいたい?現実の中にいたい?
両方にいたいって?
そして両方をいったりきたりしたいって?
そこから離れることです。
両方が感じれるとは、両方にいることではない。
蓮を思い浮かべてみて
自分を投影するんじゃないんだ
自分は離れて観ているから素晴らしさが解るんだ
悟ることは、"そのもの"に帰すること
発している言葉の中に見え隠れしているものが、そのものに帰す
すべては回るもの
軸(芯)が大事
回転(現象)を追いかけてはいけない
芯が大事
型を外すとは、離れること。
真髄へ辿り着くためには
渦を描く人もいれば、直線を描く人もいる
俺は渦を描いてる
てか、直線描ける人ってどんな人だろw
ひとつのことだけをとらえることのできる人なのだろうw
後ろ向きに進んでいるのに、まっすぐに進める人。
直線は弱くないかって?
そう、そこなんだ。
能力があるから病気にかかる。
それは才能があるが故の病気。
病気を克服した時、その才能が花を咲かす。
(by 週刊モーニング "OPEN MIND"より+アレンジ)
芯を軸にして
軸の中心へと近づく自分
決して、自分の芯を観ることはできない
軸に対して、絶対に後ろ向き
その中で気になるものがあるから、回るんだ
人はそれを遠回りと呼ぶ
その遠回りをした分だけ、力が付くんだ
大きな渦を描ける人ほど力強い
その力を扱えるようになるのは、芯に辿り着いた時。
それまでは使われているに等しい
思うことの意味、感じることの意味
すべてのものが、ふたつの意味を理解したら、平和になる。
我欲とか、あるとかないとかが平和じゃない
皆がふたつの意味を理解していることが皆のユートピアなんだ。
物心ついた頃から、"自分"としての旅は始まってるっぽい
我が無くなることは、無我を有すること
バランス
だから、流れるんだ
我のままでもだめ、無我のままでもだめ
だから、流れてバランスをとってるんだ
芯は、我でも無我でもない
芯は色々な色に変化するのかって?
芯はそういう類いのものではないよ。
色がつくのは、流れているものにだ
芯に色はつかない。
というより、色(という概念)は無い。
無色が色だとするなら、空気という呼び方になる。
気だったらね。
金や銀の色について
色じゃないんだ
色なうちは、まだまだで
色が無くなって、やっと、そこそこ
そこから、初めて、色を回せるんだ
金や銀は、色が回っているのだ
色と空のバランス・砂時計がね
回ってるんだ
砂に色があることを言ってるのではなく
砂が流れることで、観えるものが、本当の色なんだ
これが、金や銀
砂時計をひっくり返すのは誰だ?
砂時計の回転を制御しているのは誰だ?
そこには、違う軸が存在してる。
砂時計を回転させているのが自分だとして
その自分を制御しているのも自分
制御している自分を、制御できるようになること
天上天下唯我独尊
始まりにして、終わりなる言葉らしい
零(0、ゼロ)と呼ばれるもの
能力があるから悩むんだ
才能があるが故の悩みだということを、理解しておかねばならない
悩むのにも、才能がいる
輝ける才能
渦を回せる力
大きく渦を回せるものほど、難しいけど、
それができるものは大きく輝く
最初の出発点は
自分を知ってしまうこと
自分とはなにか
それを探す旅にでる
戻ってくるとき気付く
気にしなくてもよいのだと
そして、解る
自分とはなにかと考えることこそ必要なかったのだと
汝己を知れ ←法が観えるようになること
心を解放せよ ←砂時計の回転を操れるようになること
「解放」というキーワードを身体に投げかけると
ふわっとなるよw ふわっとw
でも、芯がでてきないうちは、疲れる
だから、頑張るしかない
頑なにでも芯を張る
芯と見立ててでも張る
すべては、感じることだった
理解しようとすることではなかった
伝えることでもなかった
それは、なにかを表現できなくするということ。
「ザ・ビーチ」のこととか書こうと思った。
そして、メッセで「ザ・ビーチ」の話をしていて、話がどんどん違う方向へw
違う方向っていうか、繋がっているものの渦を辿るっていうか ね。
んで、日記で、話したことを表現しようと思った。
でも、"そのもの"を形にすることは俺にはできない。
というより、型にはめ込む時、
型からはみ出た部分が明らかに"そのもの"として足りない。
だから、"そのもの"を型で伝えるのは無理。
だから、違う方法で伝えようと思う。
法
コツ・ポイントとして、伝える。
蓮が泥水からでてくるのはなんのため?
水面へ伸びようとするのはなんのため?
水上をより高く伸びようとするのはなんのため?
蓮の花が咲いて観なければ解らないものがある。
なぜ、勉強をするのか。
勉強を終えて観なければ解らない。
人生という勉強は、死んでから解る。
人生は終わって観なければ解らない。
始まりと終わり
一番近い表現は "砂時計"
俺の中では人が瞬間移動するようなもの。
素粒子が移動していくようなもの。
一粒一粒が終わりへ移動する。
その流れが生きるということであり、
移動が終われば、また、固体として存在する。
移動するためには、固体を液体とも気体とも言えないものになり、
移動するべきところへ移動する。
肉体もまた固体であり、液体であり、気体なんだろうな。
世界の物質は素粒子だと。
素粒子ひとつひとつが、共鳴する。
その一粒一粒は、大した事ないのだが、大事なのだ。
今耳に入ってくる音が聴こえるかい?
自分の身体の音を聴くのではなく。
身体の音が聴こえるのは、身体が自分と共鳴していないから。
なにかをすることが、感じることじゃない。
感じたことを言葉にする必要もない。
耳を澄ます必要もない。
俺は文字を連ねているだけ。
なにかを思った・感じたのはあなたさ。
感じると"そのもの"が分かる。
そして、自分のことが解る。
思うとそのものは観えないけど、なにかを疑問に思う。
物事の真髄に辿り着くことは、
砂時計が流れ終わることを意味する。
人生もまた同じ。
これが達するということ。
観え方が変わるということ。
知ることは、砂時計を流し始めること。
悟ることは、砂時計を流し終えること。
砂時計を引っ繰り返すことが、悟ったものを使うということ。
時間と観ているものが変わった。
砂時計を回転させてみて。
大事なのは軸。
軸がないのに回転しようとするから、歪む。
軸がないものは散る。
軸があるものだけが維持できる。
時間とは、砂時計を繰り返すこと。
それが時の間。
一時・一瞬とは、ひとつの砂時計、一回に同じ。
練ることもまた、砂時計に同じ。
そして、生きることもまた、一時に同じ。
無に帰すとは、無くなることではない。
有があり無がある。
無に帰すとは、有を創ること。
有を創ることは、無に帰するということ。
そして、有も無もないのだ。
流水
流れる(回る)ものなのだ。
夢の中にいたい?現実の中にいたい?
両方にいたいって?
そして両方をいったりきたりしたいって?
そこから離れることです。
両方が感じれるとは、両方にいることではない。
蓮を思い浮かべてみて
自分を投影するんじゃないんだ
自分は離れて観ているから素晴らしさが解るんだ
悟ることは、"そのもの"に帰すること
発している言葉の中に見え隠れしているものが、そのものに帰す
すべては回るもの
軸(芯)が大事
回転(現象)を追いかけてはいけない
芯が大事
型を外すとは、離れること。
真髄へ辿り着くためには
渦を描く人もいれば、直線を描く人もいる
俺は渦を描いてる
てか、直線描ける人ってどんな人だろw
ひとつのことだけをとらえることのできる人なのだろうw
後ろ向きに進んでいるのに、まっすぐに進める人。
直線は弱くないかって?
そう、そこなんだ。
能力があるから病気にかかる。
それは才能があるが故の病気。
病気を克服した時、その才能が花を咲かす。
(by 週刊モーニング "OPEN MIND"より+アレンジ)
芯を軸にして
軸の中心へと近づく自分
決して、自分の芯を観ることはできない
軸に対して、絶対に後ろ向き
その中で気になるものがあるから、回るんだ
人はそれを遠回りと呼ぶ
その遠回りをした分だけ、力が付くんだ
大きな渦を描ける人ほど力強い
その力を扱えるようになるのは、芯に辿り着いた時。
それまでは使われているに等しい
思うことの意味、感じることの意味
すべてのものが、ふたつの意味を理解したら、平和になる。
我欲とか、あるとかないとかが平和じゃない
皆がふたつの意味を理解していることが皆のユートピアなんだ。
物心ついた頃から、"自分"としての旅は始まってるっぽい
我が無くなることは、無我を有すること
バランス
だから、流れるんだ
我のままでもだめ、無我のままでもだめ
だから、流れてバランスをとってるんだ
芯は、我でも無我でもない
芯は色々な色に変化するのかって?
芯はそういう類いのものではないよ。
色がつくのは、流れているものにだ
芯に色はつかない。
というより、色(という概念)は無い。
無色が色だとするなら、空気という呼び方になる。
気だったらね。
金や銀の色について
色じゃないんだ
色なうちは、まだまだで
色が無くなって、やっと、そこそこ
そこから、初めて、色を回せるんだ
金や銀は、色が回っているのだ
色と空のバランス・砂時計がね
回ってるんだ
砂に色があることを言ってるのではなく
砂が流れることで、観えるものが、本当の色なんだ
これが、金や銀
砂時計をひっくり返すのは誰だ?
砂時計の回転を制御しているのは誰だ?
そこには、違う軸が存在してる。
砂時計を回転させているのが自分だとして
その自分を制御しているのも自分
制御している自分を、制御できるようになること
天上天下唯我独尊
始まりにして、終わりなる言葉らしい
零(0、ゼロ)と呼ばれるもの
能力があるから悩むんだ
才能があるが故の悩みだということを、理解しておかねばならない
悩むのにも、才能がいる
輝ける才能
渦を回せる力
大きく渦を回せるものほど、難しいけど、
それができるものは大きく輝く
最初の出発点は
自分を知ってしまうこと
自分とはなにか
それを探す旅にでる
戻ってくるとき気付く
気にしなくてもよいのだと
そして、解る
自分とはなにかと考えることこそ必要なかったのだと
汝己を知れ ←法が観えるようになること
心を解放せよ ←砂時計の回転を操れるようになること
「解放」というキーワードを身体に投げかけると
ふわっとなるよw ふわっとw
でも、芯がでてきないうちは、疲れる
だから、頑張るしかない
頑なにでも芯を張る
芯と見立ててでも張る
すべては、感じることだった
理解しようとすることではなかった
伝えることでもなかった
天に届く
2003年10月2日ちょっとふと思った。
蓮の花について。
蓮は泥水から水面へ伸び、水上で花を咲かす。
泥水の中にいる蓮には水上の世界は観えない。
水面間近な蓮には水上の世界がうっすらと観える。
水上に出てからは華やかに咲くために空へより高く伸びようとする。
蓮の花について。
蓮は泥水から水面へ伸び、水上で花を咲かす。
泥水の中にいる蓮には水上の世界は観えない。
水面間近な蓮には水上の世界がうっすらと観える。
水上に出てからは華やかに咲くために空へより高く伸びようとする。
誰に言われても同じもの
2003年10月1日誰の口から聞いたとしても、同じもの。
同じものじゃないと思う?
でも、どんな人から言われようと同じもの。
いいことであれ、わるいことであれ。
あの人にこう言ってもらいたい。
あの人にだったら言われてもいい。
誰が言っても言葉は同じだよ?
同じことを他の人が言うとき、
違う価値が自分の中に感じれるなら、
それは自分の価値観だよ。
その人に価値があるのではなく、自分がその人に価値を求めてるんだ。
言葉は形の型であって、中身じゃない。
中身は発するものの中にあって、
その型自体に中身があるわけじゃないんだ。
感じながら表現してたら、肯定的な文章になる。
自分が感じているものを「思う」なんて言わないよね。
言う人はいるかも知れないけど。
でも、思ってるんじゃないので。
言葉は思わなければ表現できませんけど。
自分で感じたことに自信があるのかって?w
あるよ?w
てか、自分が解らなかったら誰が解るのさw
分かってくれる人はいても、解れるのは自分だけだよ。
同じものじゃないと思う?
でも、どんな人から言われようと同じもの。
いいことであれ、わるいことであれ。
あの人にこう言ってもらいたい。
あの人にだったら言われてもいい。
誰が言っても言葉は同じだよ?
同じことを他の人が言うとき、
違う価値が自分の中に感じれるなら、
それは自分の価値観だよ。
その人に価値があるのではなく、自分がその人に価値を求めてるんだ。
言葉は形の型であって、中身じゃない。
中身は発するものの中にあって、
その型自体に中身があるわけじゃないんだ。
感じながら表現してたら、肯定的な文章になる。
自分が感じているものを「思う」なんて言わないよね。
言う人はいるかも知れないけど。
でも、思ってるんじゃないので。
言葉は思わなければ表現できませんけど。
自分で感じたことに自信があるのかって?w
あるよ?w
てか、自分が解らなかったら誰が解るのさw
分かってくれる人はいても、解れるのは自分だけだよ。
人のふり見て我がふり直せ
2003年9月30日人の行動観て、ほんとよく自分のことが解るわw
自分のことっていうのは、自分の価値観とか、気持ちに関わるものね。
自分の価値観さ加減に笑えてくる。
今一番いい時期なんじゃなかろうか。
前までなんて、やる気がでないとかってそんなになかったし。
乗ってるときってそんなもんかも知れませんね。
後押しがない時、ほんと考える方向に逆流しそうになる。
でも、仕事とか、できるだけ考えずにやってると、
けっこう乗ってくるもんだねw
-----------------------------------------------------------------
「史上最強の超占い師!!細木数子VS ウンナン!あの超有名人100人の運命メッタ斬りSP!!」
気になって見てました。
やっぱ、見てると自分に響いてくるものってあるね。
自分にっていうより、自分が気に止めるものがある。
注意して感じなきゃいけないのは、
それが我からくるものなのか、
もっと奥の方からくるものなのか。
[追伸]
感謝したいのは俺の方です。
あなたを観ることで、俺は自分を観ることができます。
思っている時に出る表現と、
感じている時に出る表現。
感じなきゃ出てこない表現があります。
本音。
我の本音じゃなく、
その奥にある本音。
自分の本音があなたのおかげで聞けました。
だから、こちらこそ、ありがとうございます。
自分のことっていうのは、自分の価値観とか、気持ちに関わるものね。
自分の価値観さ加減に笑えてくる。
今一番いい時期なんじゃなかろうか。
前までなんて、やる気がでないとかってそんなになかったし。
乗ってるときってそんなもんかも知れませんね。
後押しがない時、ほんと考える方向に逆流しそうになる。
でも、仕事とか、できるだけ考えずにやってると、
けっこう乗ってくるもんだねw
-----------------------------------------------------------------
「史上最強の超占い師!!細木数子VS ウンナン!あの超有名人100人の運命メッタ斬りSP!!」
気になって見てました。
やっぱ、見てると自分に響いてくるものってあるね。
自分にっていうより、自分が気に止めるものがある。
注意して感じなきゃいけないのは、
それが我からくるものなのか、
もっと奥の方からくるものなのか。
[追伸]
感謝したいのは俺の方です。
あなたを観ることで、俺は自分を観ることができます。
思っている時に出る表現と、
感じている時に出る表現。
感じなきゃ出てこない表現があります。
本音。
我の本音じゃなく、
その奥にある本音。
自分の本音があなたのおかげで聞けました。
だから、こちらこそ、ありがとうございます。
ちょこっと気の話
2003年9月29日俺が気を感じようとする時って、
意識を足の裏に集中させといて云々と言ってました。
でも、最近の日記を見てもらうと解るように、
「思わないこと」の大切さが解り、
意識を使うことなく、
姿勢を正しくして、リラックスしながら、
なにも思わないようにすると意識が静まっていく。
最初、
頭で止まっていた意識が、日数・回数を重ねることで、
自然と胸に静まり、下腹部に静まってきた。
時々足の裏まで静まった感じがする。
まだ、時々なんだけどねw
今までずっと意念(意識)で下げるものだと思ってきた。
だいたいのHPでもそう書いてあったしw
でも、本来自然と沈むものだと思われる。
てか、実際自然と沈んでるしね。
よい姿勢、よい体調、よい環境(俺んとこはよいとは言えないけど)。
残るは自分の気持ちだけみたい。
気を浮かばせるも沈ませるも自分次第。
地に足を着ける という表現があるけど、
地に足が着くまで落ち着けるってたいへんですねw
逆に、浮き足立つってのは注意が必要ってことみたいですねw
"そうなる"ものを、自分で"そうさせる"のは、
自分が"そうしたい"と思うから。
やっぱり、感じてたら"そうはならない"よね。
"そうしよう"ではなく、"そうなる"。
答えは出ている。それを理解するためにここにいる。みたいなw
意識を足の裏に集中させといて云々と言ってました。
でも、最近の日記を見てもらうと解るように、
「思わないこと」の大切さが解り、
意識を使うことなく、
姿勢を正しくして、リラックスしながら、
なにも思わないようにすると意識が静まっていく。
最初、
頭で止まっていた意識が、日数・回数を重ねることで、
自然と胸に静まり、下腹部に静まってきた。
時々足の裏まで静まった感じがする。
まだ、時々なんだけどねw
今までずっと意念(意識)で下げるものだと思ってきた。
だいたいのHPでもそう書いてあったしw
でも、本来自然と沈むものだと思われる。
てか、実際自然と沈んでるしね。
よい姿勢、よい体調、よい環境(俺んとこはよいとは言えないけど)。
残るは自分の気持ちだけみたい。
気を浮かばせるも沈ませるも自分次第。
地に足を着ける という表現があるけど、
地に足が着くまで落ち着けるってたいへんですねw
逆に、浮き足立つってのは注意が必要ってことみたいですねw
"そうなる"ものを、自分で"そうさせる"のは、
自分が"そうしたい"と思うから。
やっぱり、感じてたら"そうはならない"よね。
"そうしよう"ではなく、"そうなる"。
答えは出ている。それを理解するためにここにいる。みたいなw
鏡で観る自分
2003年9月28日昨日友達を怒らせた。
怒らせようとして怒らせたのではなく。
素でいる自分。
改めて自分という性格を感じた。
俺って口悪い><
口悪いって、喧嘩口調とかではなく、いらないことを言ってしまう。
一言余計な口悪さ。
相手は聞きたくないのに言ってしまう口悪さ。
口が悪いってことは、意もまた悪いってこと。
身もまた悪いんだろうね。
今までは、自分のことをここが悪いと思って、自分で直そうとしてた。
でも、今は、人が教えてくれる。
素直な自分でいるから、返ってくる応えも素直に受け止めれる。
自分が素直じゃなかったら、返ってきた応えも素直に受け止められない。
ひとつシンプルになったよ。
素直になれたら、思うことや考えることが減る。
これはいいこと。
でも、自分という人格の高さは変わっちゃいない。
だから、身口意をしたときに、素直な自分がでる。
ありのままの自分。
これが人に影響を与えていて、それが悪いことだと感じるなら、
素直に自分を見つめていけばいい。
そしたら、ちょっとずつだけど自然に変われるよ。
"すべて なすがままに"
在るがままであることはもちろん、
為すがままであることは自分も為せるってことだね。
心の感じるままに 為していけばいい
それが俺の道だから
怒らせようとして怒らせたのではなく。
素でいる自分。
改めて自分という性格を感じた。
俺って口悪い><
口悪いって、喧嘩口調とかではなく、いらないことを言ってしまう。
一言余計な口悪さ。
相手は聞きたくないのに言ってしまう口悪さ。
口が悪いってことは、意もまた悪いってこと。
身もまた悪いんだろうね。
今までは、自分のことをここが悪いと思って、自分で直そうとしてた。
でも、今は、人が教えてくれる。
素直な自分でいるから、返ってくる応えも素直に受け止めれる。
自分が素直じゃなかったら、返ってきた応えも素直に受け止められない。
ひとつシンプルになったよ。
素直になれたら、思うことや考えることが減る。
これはいいこと。
でも、自分という人格の高さは変わっちゃいない。
だから、身口意をしたときに、素直な自分がでる。
ありのままの自分。
これが人に影響を与えていて、それが悪いことだと感じるなら、
素直に自分を見つめていけばいい。
そしたら、ちょっとずつだけど自然に変われるよ。
"すべて なすがままに"
在るがままであることはもちろん、
為すがままであることは自分も為せるってことだね。
心の感じるままに 為していけばいい
それが俺の道だから