知識、見識、胆識
2004年1月9日細木数子さんありがとう。
とてもためになりました。
参考文献
http://www.webmarket.co.jp/kansai-j/kansai/kansai23.html
「流れに乗る」ことと、「流れに流される」ことは違う。
なにかをしているとき、自分に問う。
なぜ、自分はこれをしているのかと。
自分が、正しい答えを観付けられなければ、流されている。
そう。
自分が、正しいと解っているなら、乗れている。
「正しい」とはどういうことなんだろうね。
『巡り廻る』
どこか遠くへ探し求めても、いつも辿り着くところは同じ場所。
まるで仏の手のひらの上にいるようだ。
その場所は、自分自身。
汝自身を知れ
とてもためになりました。
参考文献
http://www.webmarket.co.jp/kansai-j/kansai/kansai23.html
「流れに乗る」ことと、「流れに流される」ことは違う。
なにかをしているとき、自分に問う。
なぜ、自分はこれをしているのかと。
自分が、正しい答えを観付けられなければ、流されている。
そう。
自分が、正しいと解っているなら、乗れている。
「正しい」とはどういうことなんだろうね。
『巡り廻る』
どこか遠くへ探し求めても、いつも辿り着くところは同じ場所。
まるで仏の手のひらの上にいるようだ。
その場所は、自分自身。
汝自身を知れ
伝わって"欲しい"ときほど、伝わらない。
2004年1月7日戻るべきところ
「今」
っていうか、「今」ほど、先を見ることはない。
「今」ほど先はない。
あたりまえなことです。
あたりまえなことなどないけど、あたりまえなことです。
ある意味、それがすべてだと感じています。
あたりまえなことなどない。
なにを大切で、なにを大事だと"思っている"のか。
すべては大事なことで、それに関わるすべてのものが大切なんだ。
大きな事
大きく切れないもの
ひとつのことを、小事と感じるか大事と感じるか
それだけのこと
相手に伝えるって難しいね
伝えたいものは、言葉じゃない
もちろん、知識でもない
気持ちが伝えたいんだ
伝えたいものは、気持ち
俺がこの言葉をどういう気持ちで言っているのか
それが伝わって"欲しい"と思っている
言葉が解ることじゃない
気持ちを分かってもらいたいと思っている
頭で解ることとの違いってやつだろうか
自分がそう思っているということは
他の人もそう思っているということ
自分がそう思っているのなら
まず、自分がそれを解ってあげる必要がある
誰も、他の人を分かれと言ってるんじゃない
自分のことを、他の人と同じくらい分かる必要があるっていうこと
それが人を受け入れる器になる
自分の器までしか、相手を受け入れられない
自分が、「伝わって欲しい」と"思っている"ときほど、
自分は、「伝わっていない」と"思っている"。
「今」
っていうか、「今」ほど、先を見ることはない。
「今」ほど先はない。
あたりまえなことです。
あたりまえなことなどないけど、あたりまえなことです。
ある意味、それがすべてだと感じています。
あたりまえなことなどない。
なにを大切で、なにを大事だと"思っている"のか。
すべては大事なことで、それに関わるすべてのものが大切なんだ。
大きな事
大きく切れないもの
ひとつのことを、小事と感じるか大事と感じるか
それだけのこと
相手に伝えるって難しいね
伝えたいものは、言葉じゃない
もちろん、知識でもない
気持ちが伝えたいんだ
伝えたいものは、気持ち
俺がこの言葉をどういう気持ちで言っているのか
それが伝わって"欲しい"と思っている
言葉が解ることじゃない
気持ちを分かってもらいたいと思っている
頭で解ることとの違いってやつだろうか
自分がそう思っているということは
他の人もそう思っているということ
自分がそう思っているのなら
まず、自分がそれを解ってあげる必要がある
誰も、他の人を分かれと言ってるんじゃない
自分のことを、他の人と同じくらい分かる必要があるっていうこと
それが人を受け入れる器になる
自分の器までしか、相手を受け入れられない
自分が、「伝わって欲しい」と"思っている"ときほど、
自分は、「伝わっていない」と"思っている"。
求めよさらば与えられん
2004年1月6日『求める』
自分が求めているもの。
それがなにか解りますか?
自分が求めているもの。
それがなんのためか解りますか?
自分がそのために求めているもの。
なにが手に入ると思っているのですか?
自分がそれをすることで、手に入ると思っているもの。
手に入ったら自分はどう思い感じるのですか?
自分が思い感じるものとは?
ここで自分に問う。
自分が思い感じるものは、事実ですか?
それか、自分の気持ちですか?
それとも、世間体という名の肩書きですか?
自分が求めていることの意味、解りますか?
俺は、求めていることの意味を求めていました。
自分が求めているもの。
それがなにか解りますか?
自分が求めているもの。
それがなんのためか解りますか?
自分がそのために求めているもの。
なにが手に入ると思っているのですか?
自分がそれをすることで、手に入ると思っているもの。
手に入ったら自分はどう思い感じるのですか?
自分が思い感じるものとは?
ここで自分に問う。
自分が思い感じるものは、事実ですか?
それか、自分の気持ちですか?
それとも、世間体という名の肩書きですか?
自分が求めていることの意味、解りますか?
俺は、求めていることの意味を求めていました。
冷静に、そして、前向きに。
2004年1月5日『観察と考察』
物事を観察する。
物事を観察するとき、
冷静でいられればいられるほど観察力があることになる。
冷静でいられることが、
一般的に「冷たい」と呼ばれていることなわけじゃないんだ。
冷静じゃないと感情が雑ざる。
感情を把握して物事と区別できる力。
これが冷静さだと感じている。
物事を考察する。
物事を考察するとき、
前向きでいられればいられるほど活力があることになる。
前向きでいられることが、
一般的に「物事を深く考えていない」と呼ばれているわけじゃないんだ。
前向きじゃないと後向きが雑ざる。
前向きとは、肯定のこと。
後向きとは、否定のこと。
考察する中で、前向きと後向きを把握して区別できる力。
これが考察力だと感じている。
なぜ、後向きだと活力がないのか。
一度、どこまで否定できるかやってみてもらいたい。
物事を否定していってみるといい。
ただし、途中で止めることは無しとする。
行き詰まるまで突き進むこと。
はっきり言って、早い段階で行き詰まりを覚えると思うw
それは、どこかで肯定してしまうからだ。
「否定した」という事実があったとして、
これ自体、肯定しなければ成り立たないからだ。
つまり、
否定とは、事実を認めたくないという気持ちの表れなのだろう。
否定の肯定なしに否定がありえないことを知ると変わってくるものがある。
察することは、感ずること。
感ずることは、気付くこと。
最近の観方としては、
「気」とは、気持ちや気付きと呼ばれているもので、
気功等で呼ばれている「氣」が、
温かかったり冷たかったり、圧迫感があったりするんじゃないか と。
温かかったり冷たかったり、圧迫感があったりということ、
これ自体、「気」が関係しているわけだけど。
「気」は、心の作用だと感じている。
「気」は、「気」を"持つもの"次第だということ。
「気」が心の作用なら、意識を変えれば「気」が変わることを意味する。
冷静になれれば観えてくるものがある。
前向きになれれば輝いてくるものがある。
物事を観察する。
物事を観察するとき、
冷静でいられればいられるほど観察力があることになる。
冷静でいられることが、
一般的に「冷たい」と呼ばれていることなわけじゃないんだ。
冷静じゃないと感情が雑ざる。
感情を把握して物事と区別できる力。
これが冷静さだと感じている。
物事を考察する。
物事を考察するとき、
前向きでいられればいられるほど活力があることになる。
前向きでいられることが、
一般的に「物事を深く考えていない」と呼ばれているわけじゃないんだ。
前向きじゃないと後向きが雑ざる。
前向きとは、肯定のこと。
後向きとは、否定のこと。
考察する中で、前向きと後向きを把握して区別できる力。
これが考察力だと感じている。
なぜ、後向きだと活力がないのか。
一度、どこまで否定できるかやってみてもらいたい。
物事を否定していってみるといい。
ただし、途中で止めることは無しとする。
行き詰まるまで突き進むこと。
はっきり言って、早い段階で行き詰まりを覚えると思うw
それは、どこかで肯定してしまうからだ。
「否定した」という事実があったとして、
これ自体、肯定しなければ成り立たないからだ。
つまり、
否定とは、事実を認めたくないという気持ちの表れなのだろう。
否定の肯定なしに否定がありえないことを知ると変わってくるものがある。
察することは、感ずること。
感ずることは、気付くこと。
最近の観方としては、
「気」とは、気持ちや気付きと呼ばれているもので、
気功等で呼ばれている「氣」が、
温かかったり冷たかったり、圧迫感があったりするんじゃないか と。
温かかったり冷たかったり、圧迫感があったりということ、
これ自体、「気」が関係しているわけだけど。
「気」は、心の作用だと感じている。
「気」は、「気」を"持つもの"次第だということ。
「気」が心の作用なら、意識を変えれば「気」が変わることを意味する。
冷静になれれば観えてくるものがある。
前向きになれれば輝いてくるものがある。
考える前にするべきこと
2004年1月4日休みが終わる
ただそれだけなのだ
儚く思うことはない
たとえ
なにかを思ったとしよう
その事実を受け入れるまでだ
考える前にするべきこと
自覚
それはなにかを考える前にしておかなければならない
もし
準備を整える前に考え始めれば
すぐさま迷子になってしまうからだ
なんのために考えるのか
それが解っていること
準備さえ整えば
ちょっとやそっとでは迷わない
これで迷想することも減るだろう
これだけでずいぶんと変わるものがあるんだ
ただそれだけなのだ
儚く思うことはない
たとえ
なにかを思ったとしよう
その事実を受け入れるまでだ
考える前にするべきこと
自覚
それはなにかを考える前にしておかなければならない
もし
準備を整える前に考え始めれば
すぐさま迷子になってしまうからだ
なんのために考えるのか
それが解っていること
準備さえ整えば
ちょっとやそっとでは迷わない
これで迷想することも減るだろう
これだけでずいぶんと変わるものがあるんだ
実際に起こることが事実なら
2004年1月3日心の中で起こることもまた、事実なんだ。
詳しくは、秘密参照で。
『差別』
平和の平は、「平等」を意味すると感じている。
「平等」とはどういうことか。
「差別」のないこと。
俺なりに言えば、なにも思わないことだ。
なにも思わない人がいないから平等にならないのかって?
んー。
たとえば、
故郷が大阪の人が、東京に住むとする。
東京で同郷の人と出逢い、親近感を持つ。
故郷が日本の人が、アメリカに住むとする。
アメリカで同郷の人と出逢い、親近感を持つ。
故郷が地球の人が、他の銀河に住むとする。
他の銀河で同郷の人と出逢い、親近感を持つ。
同郷の人だから親近感を持つ。
それは、同郷の人じゃなければそうはならないことが含まれている。
もし、そうではないと言うのなら、同郷がどうとか思わない。
同郷がどうとか思うことが、差別なんだ。
差別っていう、一般的言葉遣いの意味で言ってるつもりはないけど。
差をつけて別ける という言葉の意味で用いている。
すべては等しい。
その心が「平等」だと感じている。
なにかを「傾けて」思うこと。
それが偏った価値観。
つまり、偏った価値観で観ること自体、平等ではないことを意味する。
『輪を抜ける』
人はさ、
遅かれ早かれ死ぬよね。
その事実になにを思うか。
それが自分の価値を決めているんじゃないかな。
親が死ぬと思ったとき、涙出るし。
これは感情。
情があるから、涙が出るのかも知れない。
もちろん、悪いことじゃないと思っている。
情が厚いのは、良いこと。
情が薄いのは、これもまた、良いこと。
悪いことなんてひとつもないと感じている。
情が薄いのが、良いとか悪いとかではなく。
情が薄いのには、意味がある。
情が厚いのには、意味がある。
人生、成るように成る。
その中で、なにを思うか。
その中で、なにに気付くか。
それがこの輪を抜ける術だと感じている。
解るまで廻ることになるのだろう。
解らなければ、輪として。
解れば、螺旋として。
『落ち着きと調和』
姿勢を正し背筋を伸ばす
首と肩を弛める
みぞおちを弛める
聞く
両耳の感覚を調える
見る
両目の感覚を調える
嗅ぐ
嗅覚を調える
味わう
味覚を調える
体感する
触覚を調える
どう感じていますか?
※秘密、長くて申し訳ないw
詳しくは、秘密参照で。
『差別』
平和の平は、「平等」を意味すると感じている。
「平等」とはどういうことか。
「差別」のないこと。
俺なりに言えば、なにも思わないことだ。
なにも思わない人がいないから平等にならないのかって?
んー。
たとえば、
故郷が大阪の人が、東京に住むとする。
東京で同郷の人と出逢い、親近感を持つ。
故郷が日本の人が、アメリカに住むとする。
アメリカで同郷の人と出逢い、親近感を持つ。
故郷が地球の人が、他の銀河に住むとする。
他の銀河で同郷の人と出逢い、親近感を持つ。
同郷の人だから親近感を持つ。
それは、同郷の人じゃなければそうはならないことが含まれている。
もし、そうではないと言うのなら、同郷がどうとか思わない。
同郷がどうとか思うことが、差別なんだ。
差別っていう、一般的言葉遣いの意味で言ってるつもりはないけど。
差をつけて別ける という言葉の意味で用いている。
すべては等しい。
その心が「平等」だと感じている。
なにかを「傾けて」思うこと。
それが偏った価値観。
つまり、偏った価値観で観ること自体、平等ではないことを意味する。
『輪を抜ける』
人はさ、
遅かれ早かれ死ぬよね。
その事実になにを思うか。
それが自分の価値を決めているんじゃないかな。
親が死ぬと思ったとき、涙出るし。
これは感情。
情があるから、涙が出るのかも知れない。
もちろん、悪いことじゃないと思っている。
情が厚いのは、良いこと。
情が薄いのは、これもまた、良いこと。
悪いことなんてひとつもないと感じている。
情が薄いのが、良いとか悪いとかではなく。
情が薄いのには、意味がある。
情が厚いのには、意味がある。
人生、成るように成る。
その中で、なにを思うか。
その中で、なにに気付くか。
それがこの輪を抜ける術だと感じている。
解るまで廻ることになるのだろう。
解らなければ、輪として。
解れば、螺旋として。
『落ち着きと調和』
姿勢を正し背筋を伸ばす
首と肩を弛める
みぞおちを弛める
聞く
両耳の感覚を調える
見る
両目の感覚を調える
嗅ぐ
嗅覚を調える
味わう
味覚を調える
体感する
触覚を調える
どう感じていますか?
※秘密、長くて申し訳ないw
ローマは一日にして成らず
2004年1月2日外面と同じくらい内面を築くことは難しい。
と、感じるかも知れない。
ローマは一日にして成らず
今、俺にはいろんな歩き方が観えている。
どの歩き方をすればどんな風になるのか、詳しくは解らないけど。
この中に、たったひとつ本当の歩き方があるのか?
そういうわけではないだろう。
今、俺の解る中の歩き方であっても、それは本当の歩き方だ。
達した歩き方となにが違うのか。
なにも違わぬのだろう。
違うのは、築いてきたものが違うということなのだろう。
気付いて行こう。そして、築いて行こう。
築きたければ歩むことだ。
歩み続けることだ。
俺は真実を気付きたい。
だから、
俺は一歩を踏みしめる。
だから、
俺は築けるんだ。
だから、
俺は歩めるんだ。
だから、
俺は書き続けているんだ。
感情に任せて縁を切ろうとする自分。
それに気付き、それを止める自分。
今までを思い返すだけでもけっこう浮かんでくる。
自分から切った縁の数々。
切った縁に対しては、反省以外に思い付かない。
ちゃんと反省ができれば、同じ過ちは起こさないだろう。
もし、
同じ過ちが起きたなら、それを認めることだ。
言い訳をすることはない。
認めることだ。
責任転嫁に成長はないのだから。
何度でもいい。
同じ過ちが起きたなら、それを認めることだ。
起こしたではなく、起きた だ。
起きたと認めることで、初めて、起きたことを自分に問うことができる。
自分に問うて観るといい。
今、自分はなぜこの日記を読んだのか。
自分に気付き始めると、
自分はなぜこの日記を読んでいるのか
という現在進行形に気付くことが増えてくる。
自分に問うこと。
それは、自分を学ぶこと。
誰かとメールするより、よりリアルタイム性のあるチャットの方が
うまく表現できる。
電話でもそうだね。
そして、会って話した方がうまく表現できる。
でも、電話の場合は、俺の感じとは違う人が多いかも知れないね。
俺は、「無言」もまた、会話だと感じている。
それは、「間」と呼ばれるものだ。
「間」の持たない人がけっこういる。
誰も話さないことが問題なんじゃない。
それは責任転嫁なんだ。
「間」があると辛いと感じたりすること。
それは、自分が「間」を保てないからだと知ること。
俺の言葉を重く聞けているなら、
それは、あなたが「耳の門」を広く開いているからさ。
自分が誰かに真剣に話すこと。
それが自分にどれだけ気付きを与えてくれていることか。
話し相手になってくれてありがとう。
俺は自分が知っていることを話すだけ。
にも関わらず、知らない自分を知ることになる。
自分の言葉が意味を成して繋がり始めるのを感じる。
自分の言葉が他と繋がっていくのを感じる。
それは、ピースの寄せ集めから、
パズルというひとつのものになるようなものだと感じている。
恥は、かけばかくほど良いものだと気付いた。
耳の門を開けていればいるほど良いように。
心の耳 と書いて、恥。
恥をかくことと聞くことは同じことを意味する。
聞くことで恥をかく。
それは、自分の知らない自分に気付けるということ。
一見して、聞けているように見えたとしても、
恥をかけないのであれば、それは、見かけだけだということ。
聞けること。
恥をかけること。
それらは、自分の幸せに繋がっていることだと感じています。
と、感じるかも知れない。
ローマは一日にして成らず
今、俺にはいろんな歩き方が観えている。
どの歩き方をすればどんな風になるのか、詳しくは解らないけど。
この中に、たったひとつ本当の歩き方があるのか?
そういうわけではないだろう。
今、俺の解る中の歩き方であっても、それは本当の歩き方だ。
達した歩き方となにが違うのか。
なにも違わぬのだろう。
違うのは、築いてきたものが違うということなのだろう。
気付いて行こう。そして、築いて行こう。
築きたければ歩むことだ。
歩み続けることだ。
俺は真実を気付きたい。
だから、
俺は一歩を踏みしめる。
だから、
俺は築けるんだ。
だから、
俺は歩めるんだ。
だから、
俺は書き続けているんだ。
感情に任せて縁を切ろうとする自分。
それに気付き、それを止める自分。
今までを思い返すだけでもけっこう浮かんでくる。
自分から切った縁の数々。
切った縁に対しては、反省以外に思い付かない。
ちゃんと反省ができれば、同じ過ちは起こさないだろう。
もし、
同じ過ちが起きたなら、それを認めることだ。
言い訳をすることはない。
認めることだ。
責任転嫁に成長はないのだから。
何度でもいい。
同じ過ちが起きたなら、それを認めることだ。
起こしたではなく、起きた だ。
起きたと認めることで、初めて、起きたことを自分に問うことができる。
自分に問うて観るといい。
今、自分はなぜこの日記を読んだのか。
自分に気付き始めると、
自分はなぜこの日記を読んでいるのか
という現在進行形に気付くことが増えてくる。
自分に問うこと。
それは、自分を学ぶこと。
誰かとメールするより、よりリアルタイム性のあるチャットの方が
うまく表現できる。
電話でもそうだね。
そして、会って話した方がうまく表現できる。
でも、電話の場合は、俺の感じとは違う人が多いかも知れないね。
俺は、「無言」もまた、会話だと感じている。
それは、「間」と呼ばれるものだ。
「間」の持たない人がけっこういる。
誰も話さないことが問題なんじゃない。
それは責任転嫁なんだ。
「間」があると辛いと感じたりすること。
それは、自分が「間」を保てないからだと知ること。
俺の言葉を重く聞けているなら、
それは、あなたが「耳の門」を広く開いているからさ。
自分が誰かに真剣に話すこと。
それが自分にどれだけ気付きを与えてくれていることか。
話し相手になってくれてありがとう。
俺は自分が知っていることを話すだけ。
にも関わらず、知らない自分を知ることになる。
自分の言葉が意味を成して繋がり始めるのを感じる。
自分の言葉が他と繋がっていくのを感じる。
それは、ピースの寄せ集めから、
パズルというひとつのものになるようなものだと感じている。
恥は、かけばかくほど良いものだと気付いた。
耳の門を開けていればいるほど良いように。
心の耳 と書いて、恥。
恥をかくことと聞くことは同じことを意味する。
聞くことで恥をかく。
それは、自分の知らない自分に気付けるということ。
一見して、聞けているように見えたとしても、
恥をかけないのであれば、それは、見かけだけだということ。
聞けること。
恥をかけること。
それらは、自分の幸せに繋がっていることだと感じています。
一年の計は元旦にあり
2004年1月1日意識を目覚めさせることは、意識を活性化させていくことに感じた。
前まで、意識を活性化させようとすると、
意識がその対象へ傾いていた。
それが、自覚することによって、傾きを戻すことができる。
傾くことなく、
自分を見失うことなく、活性化させていくことができる。
自分を見失わない限り、いずれ目覚めるだろう。
螺旋を昇り始めるのを感じている。
螺旋と表現するものは、輝き。
輝きが増し始めるのを感じることに同じ。
今を感じようとすること。
それが今を実感することへ通じている。
忘れることなかれ。
なにかに成りたいと思うなら、なにを為せばいいかを知ればいい。
必要なのは難しさではなく易しさ。
自分の心を解り難いものだと思っているなら、
それを解り易いものだと思えるようにしていけばいい。
思い込むことなく、歪めることなく。
ただ、そう思えるように。
前まで、意識を活性化させようとすると、
意識がその対象へ傾いていた。
それが、自覚することによって、傾きを戻すことができる。
傾くことなく、
自分を見失うことなく、活性化させていくことができる。
自分を見失わない限り、いずれ目覚めるだろう。
螺旋を昇り始めるのを感じている。
螺旋と表現するものは、輝き。
輝きが増し始めるのを感じることに同じ。
今を感じようとすること。
それが今を実感することへ通じている。
忘れることなかれ。
なにかに成りたいと思うなら、なにを為せばいいかを知ればいい。
必要なのは難しさではなく易しさ。
自分の心を解り難いものだと思っているなら、
それを解り易いものだと思えるようにしていけばいい。
思い込むことなく、歪めることなく。
ただ、そう思えるように。
病は気から
2003年12月31日とりあえず、「今年」と呼ばれるものが今日で終わるわけだが、
別に明日が「来年」と呼ばれるものになるだけであって、
今日は今日であり、明日は明日。
今日が明日になれば、今日だ。
俺にとっての今年一年を一文字で表すと「錬」っていう感じ。
今年を振り返ると、辛いこと苦しいことが多くあったように感じる。
でも、辛いこと苦しいことの裏には、嬉しいこと楽しいことがあった。
俺は生きているんだ。
俺は人生を楽しめる。
今年はそんな自分に気付けた。
来年の抱負は、今年と変わらない。
来年のこの時期に、自分は変わったと思える自分であること。
今年一年ありがとうございました。
そして、また明日から宜しくお願いいたしますw
『縁』
時が変わることで変わるものがある。
縁。
繋がりと呼ばれるもの。
実際はなにひとつ変わっていないんだ。
変わったと感じることも。
変わっていないと感じることも。
縁。
自分だけの"こと"じゃないんだ。
その上で自分の"こと"を観るんだ。
知っていこう。
今、自分と関わりのある人たちがいることを。
どう思ったとしても、
すべて関わりのある人だということを。
皆、縁なんだ。
すべて、縁なんだ。
別に明日が「来年」と呼ばれるものになるだけであって、
今日は今日であり、明日は明日。
今日が明日になれば、今日だ。
俺にとっての今年一年を一文字で表すと「錬」っていう感じ。
今年を振り返ると、辛いこと苦しいことが多くあったように感じる。
でも、辛いこと苦しいことの裏には、嬉しいこと楽しいことがあった。
俺は生きているんだ。
俺は人生を楽しめる。
今年はそんな自分に気付けた。
来年の抱負は、今年と変わらない。
来年のこの時期に、自分は変わったと思える自分であること。
今年一年ありがとうございました。
そして、また明日から宜しくお願いいたしますw
『縁』
時が変わることで変わるものがある。
縁。
繋がりと呼ばれるもの。
実際はなにひとつ変わっていないんだ。
変わったと感じることも。
変わっていないと感じることも。
縁。
自分だけの"こと"じゃないんだ。
その上で自分の"こと"を観るんだ。
知っていこう。
今、自分と関わりのある人たちがいることを。
どう思ったとしても、
すべて関わりのある人だということを。
皆、縁なんだ。
すべて、縁なんだ。
仮想現実世界
2003年12月30日『あたりまえ』
自覚すれば世界が変わる。
今日、外を歩いていて解ったよ。
あたりまえに空は青く。
あたりまえに雲は行き。
あたりまえに鳥は飛び。
あたりまえに花は咲き。
あたりまえに人は笑い。
あたりまえに・・・。
あたりまえなことなんて
なにひとつなかった
なにが普通だ
なにがあたりまえだ
あたりまえのことなんて
なにひとつないじゃないか・・・
俺はなにを勘違いしていたんだ
仮想 ―――
その言葉が浮かんだ。
仮想現実。
俺はどうやら仮想現実を観ていたらしい。
まだ、観てるけどw
あたりまえだと思っていること。
当然だと思っていること。
あたりまえなこと
すべては、思っていること。
自分になにか足りないと感じること。
それは、仮想しているということ。
『興味』
興味のあるもの。興味のあること。
俺はこの日記で書いているように、こういうもの・ことに興味がある。
こういうもの・ことを考えることも、すごく楽しく感じている。
皆、それぞれ自分に合う興味がある。
自分に合う興味がないと思っている人がいるかも知れない。
でも、そうじゃないんだ。
興味がないこともまた、興味なんだ。
興味がないと感じること、それ自体、興味なんだ。
自分の興味を否定しないことだ。
なにが興味かも仮想しないことだ。
『天才』
頭の良さってなんだろうね。
今の俺には、身の程をわきまえていることに観えている。
天の分をわきまえる才能
これを「天才」と呼ぶのではないか と。
「天才」だからなんでもできるということではなく。
天の分をわきまえる才能があるということ。
これを「天才」と呼ぶ。
「秀才」とは、秀でている才能があるということ。
比べることを表す言葉ではなく。
秀でている才能を「秀才」と呼ぶのではないか と。
身の程をわきまえる
身とは自身のこと。
まわりをどうこうということじゃない。
自身をよく知っている。
これが頭の良さだ。
自覚すれば世界が変わる。
今日、外を歩いていて解ったよ。
あたりまえに空は青く。
あたりまえに雲は行き。
あたりまえに鳥は飛び。
あたりまえに花は咲き。
あたりまえに人は笑い。
あたりまえに・・・。
あたりまえなことなんて
なにひとつなかった
なにが普通だ
なにがあたりまえだ
あたりまえのことなんて
なにひとつないじゃないか・・・
俺はなにを勘違いしていたんだ
仮想 ―――
その言葉が浮かんだ。
仮想現実。
俺はどうやら仮想現実を観ていたらしい。
まだ、観てるけどw
あたりまえだと思っていること。
当然だと思っていること。
あたりまえなこと
すべては、思っていること。
自分になにか足りないと感じること。
それは、仮想しているということ。
『興味』
興味のあるもの。興味のあること。
俺はこの日記で書いているように、こういうもの・ことに興味がある。
こういうもの・ことを考えることも、すごく楽しく感じている。
皆、それぞれ自分に合う興味がある。
自分に合う興味がないと思っている人がいるかも知れない。
でも、そうじゃないんだ。
興味がないこともまた、興味なんだ。
興味がないと感じること、それ自体、興味なんだ。
自分の興味を否定しないことだ。
なにが興味かも仮想しないことだ。
『天才』
頭の良さってなんだろうね。
今の俺には、身の程をわきまえていることに観えている。
天の分をわきまえる才能
これを「天才」と呼ぶのではないか と。
「天才」だからなんでもできるということではなく。
天の分をわきまえる才能があるということ。
これを「天才」と呼ぶ。
「秀才」とは、秀でている才能があるということ。
比べることを表す言葉ではなく。
秀でている才能を「秀才」と呼ぶのではないか と。
身の程をわきまえる
身とは自身のこと。
まわりをどうこうということじゃない。
自身をよく知っている。
これが頭の良さだ。
成りたい気持ち。為せない気持ち。
2003年12月29日逃げること
逃げればそれは追ってこない。
逃げればそれを観なくて済む。
と、思っている。
だが、逃げているつもりでも、それはいつもそこにある。
気付かないかも知れないが、それはいつもそこにある。
なにかをしなければ感じられないということではないように。
なにもしなくとも感じるということのように。
逃げなくて済むようになることは、
なにか行動をしなければならないということではない。
逃げなくて済むように成ることは、
逃げなくて済むように為ることだ。
成ることは、為ること。
問題じゃなく"なる"ことは、問題を解決"する"こと。
そう。気持ちの問題。
すべては、気持ちを為せば、気持ちは成るという"こと"。
『禅問答』
自分の中から外へ出てしまうのは、責任転嫁をしているから。
答えが出てこなくたっていい。
今自分はこの問いに詰まっていると自覚すること。
問いは動かず、自分が動くのではなく、
自分は動かず、問いが動くようにすること。
そうすると、いつでも、等身大の自分で観ることができる。
大事なことは、いつだって、自分で観ることができること。
大切なものは、いつだって、自分を見失わないその心。
逃げればそれは追ってこない。
逃げればそれを観なくて済む。
と、思っている。
だが、逃げているつもりでも、それはいつもそこにある。
気付かないかも知れないが、それはいつもそこにある。
なにかをしなければ感じられないということではないように。
なにもしなくとも感じるということのように。
逃げなくて済むようになることは、
なにか行動をしなければならないということではない。
逃げなくて済むように成ることは、
逃げなくて済むように為ることだ。
成ることは、為ること。
問題じゃなく"なる"ことは、問題を解決"する"こと。
そう。気持ちの問題。
すべては、気持ちを為せば、気持ちは成るという"こと"。
『禅問答』
自分の中から外へ出てしまうのは、責任転嫁をしているから。
答えが出てこなくたっていい。
今自分はこの問いに詰まっていると自覚すること。
問いは動かず、自分が動くのではなく、
自分は動かず、問いが動くようにすること。
そうすると、いつでも、等身大の自分で観ることができる。
大事なことは、いつだって、自分で観ることができること。
大切なものは、いつだって、自分を見失わないその心。
「気付き」の先へ
2003年12月28日気付くこと
気付くとは、どういうことなのか。
気付くとは、目覚めだと感じている。
なにかに気付いていくことによって、築かれていくものがある。
ふと気付いたことがある。
普段生活している中で、
気付いていることがどれくらいあるのか。
気付いていないことがどれくらいあるのか。
気付きという名の意識がない時が多いことを知る。
意識と無意識。
どちらも同じ"こと"を表しているのではないだろうか。
"こと"に気付いていないものを無意識と呼ぶ。
"こと"に気付いているものを意識と呼ぶ。
気付くこと。
それは、現実が変わることじゃない。
それは、事実が変わることじゃない。
気付くとは、無意識が意識に変わること。
気付いていくこと。
それは、自分の意識を築いていくこと。
なにかに意識を向ける。
そのなにかをどれくらい観ることができるかっていうと、
築いてきた意識のレベルで決まるっていうこと。
自分が完全に目覚めるとき。
それは、意識が完成したことを意味するということ。
気付くとは、どういうことなのか。
気付くとは、目覚めだと感じている。
なにかに気付いていくことによって、築かれていくものがある。
ふと気付いたことがある。
普段生活している中で、
気付いていることがどれくらいあるのか。
気付いていないことがどれくらいあるのか。
気付きという名の意識がない時が多いことを知る。
意識と無意識。
どちらも同じ"こと"を表しているのではないだろうか。
"こと"に気付いていないものを無意識と呼ぶ。
"こと"に気付いているものを意識と呼ぶ。
気付くこと。
それは、現実が変わることじゃない。
それは、事実が変わることじゃない。
気付くとは、無意識が意識に変わること。
気付いていくこと。
それは、自分の意識を築いていくこと。
なにかに意識を向ける。
そのなにかをどれくらい観ることができるかっていうと、
築いてきた意識のレベルで決まるっていうこと。
自分が完全に目覚めるとき。
それは、意識が完成したことを意味するということ。
好きになること
2003年12月27日出逢う人、出逢う人、笑顔を心に浮かべて観る。
その人の笑顔が観える。
温かい気持ちになる。
なにかをすることで温かい気持ちを感じること。
それは、なにかしなければ温かい気持ちを感じられないということ。
嫌いな人がいること。
それは、その人を嫌いだと思うなにかが自分の意識にあるということ。
好きな人がいること。
それは、その人を好きだと思うなにかが自分の意識にあるということ。
どちらも、自分の意識の関心ごとだということ。
自分の意識の関心ごとだと自覚すること。
ただ、これで終わっては、事実が観えるに過ぎず、
意味が解るわけじゃない。
温かいものも、冷たいものも、
それが悪いものというわけじゃないんだ。
悪いものと思っているのは自分。
なにかを感ずること。
それ自体、既に温かいことなんだね。
温かいことは、関心であり、感心だと感じている。
その人の笑顔が観える。
温かい気持ちになる。
なにかをすることで温かい気持ちを感じること。
それは、なにかしなければ温かい気持ちを感じられないということ。
嫌いな人がいること。
それは、その人を嫌いだと思うなにかが自分の意識にあるということ。
好きな人がいること。
それは、その人を好きだと思うなにかが自分の意識にあるということ。
どちらも、自分の意識の関心ごとだということ。
自分の意識の関心ごとだと自覚すること。
ただ、これで終わっては、事実が観えるに過ぎず、
意味が解るわけじゃない。
温かいものも、冷たいものも、
それが悪いものというわけじゃないんだ。
悪いものと思っているのは自分。
なにかを感ずること。
それ自体、既に温かいことなんだね。
温かいことは、関心であり、感心だと感じている。
自分が苦しいことを、自分の楽しいことと思えるように。
2003年12月26日自分の苦しみ。
なぜ、苦しい?
その苦しさは、身体の苦しさ? 気持ちの苦しさ?
自分のやりたくないことから逃れることはできない。
やりたくないこと。
それは、関心があるということ。
自分のやりたいこと、やりたくないこと。
どちらも同じ"こと"だと気付くこと。
事実が観えること。
それは観えるということに過ぎない。
事実が観える。
ただ、それだけのこと。
また、温かいものが足りないようにも感じる。
なんていうか、やっぱり螺旋だと感じるわけで。
思い出してるし、忘れているわけじゃない。
でも、足りないんだ。
足りないというより、欠けている。
これは、事実から真実を観るための一欠けらかも知れないな。
探そう。
そして、知り、自覚しよう。
事実の意味が解ること。
それは、真実への現れ。
なぜ、苦しい?
その苦しさは、身体の苦しさ? 気持ちの苦しさ?
自分のやりたくないことから逃れることはできない。
やりたくないこと。
それは、関心があるということ。
自分のやりたいこと、やりたくないこと。
どちらも同じ"こと"だと気付くこと。
事実が観えること。
それは観えるということに過ぎない。
事実が観える。
ただ、それだけのこと。
また、温かいものが足りないようにも感じる。
なんていうか、やっぱり螺旋だと感じるわけで。
思い出してるし、忘れているわけじゃない。
でも、足りないんだ。
足りないというより、欠けている。
これは、事実から真実を観るための一欠けらかも知れないな。
探そう。
そして、知り、自覚しよう。
事実の意味が解ること。
それは、真実への現れ。
自分らしく − 覆水盆に返らず
2003年12月24日最近の自己観察について
姿勢を正し、弛める。
耳で音を聞く。
ずっと聞く。
自覚しながら聞く。
弛めつつ、聞く。
たとえば、
「暖房の音が聴こえている」とか、
「車の音が聴こえている」とか。
音という音を、言語認識という形で自覚していけばいい。
いずれ、音を言語で認識しようとしなくても、認識できるようになる。
水面を観ている意識が、水中を観始める。
水面にいる自分が、水中へ潜り始める。
"自分"というものの観方が変わり始める。
観え方が変わってくると意識するものが変わってくる。
『らしく生きる』
"らしく"生きるにはどうしたらいいのか。
押さえ付けちゃだめなんだ。
自分を納得させることは、自分を言いくるめることじゃないんだ。
相手に解らせることは、相手に動作を求めることじゃないんだ。
相手が理解すれば、それ相応の動作をするんだ。
子供に教えることも同じ。
間違ったことをさせないのではなく、間違ったことをしてもしなくても、
自分に責任を持つように教えたい。
責任転嫁をしている間は、"らしく"なんて生きられない。
責任転嫁は自分の"らしさ"を奪う。
他人の中に自分の"らしさ"があるんじゃないんだ。
自分の中に"自分らしさ"はあるんだ。
『気付くことで変わるもの』
気付くことで変わるものがある。
例えば、言葉。
今まで、気にも留めていなかった他愛もない言葉。
もし、自分がそういう言葉に気付くようになったら、
それはなぜだと思う?
今まで気付きもしなかった。でも、今は気付く。
意識が変わったからなんだ。
言葉は変わらない。
でも、気持ちは変わった。
この場合どうなるかって言ったら、
違う印象を受けるんじゃないかな。
自分の気持ちが変わったら、
言葉は変わるかも知れないし、変わらないかも知れない。
言葉は変わらなくても、伝わるものは変わるんだ。
姿勢を正し、弛める。
耳で音を聞く。
ずっと聞く。
自覚しながら聞く。
弛めつつ、聞く。
たとえば、
「暖房の音が聴こえている」とか、
「車の音が聴こえている」とか。
音という音を、言語認識という形で自覚していけばいい。
いずれ、音を言語で認識しようとしなくても、認識できるようになる。
水面を観ている意識が、水中を観始める。
水面にいる自分が、水中へ潜り始める。
"自分"というものの観方が変わり始める。
観え方が変わってくると意識するものが変わってくる。
『らしく生きる』
"らしく"生きるにはどうしたらいいのか。
押さえ付けちゃだめなんだ。
自分を納得させることは、自分を言いくるめることじゃないんだ。
相手に解らせることは、相手に動作を求めることじゃないんだ。
相手が理解すれば、それ相応の動作をするんだ。
子供に教えることも同じ。
間違ったことをさせないのではなく、間違ったことをしてもしなくても、
自分に責任を持つように教えたい。
責任転嫁をしている間は、"らしく"なんて生きられない。
責任転嫁は自分の"らしさ"を奪う。
他人の中に自分の"らしさ"があるんじゃないんだ。
自分の中に"自分らしさ"はあるんだ。
『気付くことで変わるもの』
気付くことで変わるものがある。
例えば、言葉。
今まで、気にも留めていなかった他愛もない言葉。
もし、自分がそういう言葉に気付くようになったら、
それはなぜだと思う?
今まで気付きもしなかった。でも、今は気付く。
意識が変わったからなんだ。
言葉は変わらない。
でも、気持ちは変わった。
この場合どうなるかって言ったら、
違う印象を受けるんじゃないかな。
自分の気持ちが変わったら、
言葉は変わるかも知れないし、変わらないかも知れない。
言葉は変わらなくても、伝わるものは変わるんだ。
突然
2003年12月23日どう生まれたって、生まれたことに変わりはないんだ。
どう死んだって、死んだことに変わりはないんだ。
どう生きて、どう死んだって、生きていたことに変わりはないんだ。
どう生きたって、死んだことに変わりはないんだ。
どう生まれたって、生きていることに変わりはないんだ。
感傷にひたるという言葉があるけど、それは現実なんだ。
どんなに感傷にひたっても事実は変わりはしないんだ。
だから、
前を向こう。
この言葉たちを自分はどう聞いていますか?
すべては、聞いている自分次第。
今の俺にとって、悟りとは、目覚め。
目覚めとは、「我に返る」ことのように感じる。
気付くこと。
それは捉えることとは違う。
気が付くこと。気を付けること。
この違いはなんだろうね。
どう死んだって、死んだことに変わりはないんだ。
どう生きて、どう死んだって、生きていたことに変わりはないんだ。
どう生きたって、死んだことに変わりはないんだ。
どう生まれたって、生きていることに変わりはないんだ。
感傷にひたるという言葉があるけど、それは現実なんだ。
どんなに感傷にひたっても事実は変わりはしないんだ。
だから、
前を向こう。
この言葉たちを自分はどう聞いていますか?
すべては、聞いている自分次第。
今の俺にとって、悟りとは、目覚め。
目覚めとは、「我に返る」ことのように感じる。
気付くこと。
それは捉えることとは違う。
気が付くこと。気を付けること。
この違いはなんだろうね。
予感
2003年12月22日なにかに廻り逢う予感がする。
なにかであって、誰かとは限らないけど。
予感ってなんだろうね。
予感って感覚としては、偽者だろうか?
予感は予感。
俺はそういう感覚を感じたんだ。
なにかであって、誰かとは限らないけど。
予感ってなんだろうね。
予感って感覚としては、偽者だろうか?
予感は予感。
俺はそういう感覚を感じたんだ。
物より嬉しいもの
2003年12月21日物を貰って喜ぶのは、なんでだろうね。
『自分のためにできること』
自分のためにできること
それは人のためになっているということ
自分の気持ちに正しいと感じることを為せばいい。
人のためにではなく、自分のために。
なぜ、自分のためになのか。
他の人から観れば、自分もまた、誰かだから。
自分のためとは、「自分のためだけ」という意味じゃないんだ。
自分のためだけのものなら、自己満足であり、自分だけの利だよね。
相手のためになろうとして、自分を犠牲にすることは、よろしくない。
それに、「相手のためにやってあげる」と思うなら、なおさら自己満足。
自分だけの利から、相手だけの利へ。
相手だけの利から、自他共の利へ。
要は、自他共の利になることがあるんだ。
自分の自己満足を超えて、相手のためにもなっている。
自分の行いが、自分の身の回りの物事に現れるんだ。
これが解ったからって、今までの事実はなんら変わったりはしないけど。
これからの現実はすべて変わっていくんだ。
意識が変われば、観え方が変わる。
思いが変われば、気持ちが変わる。
雰囲気が変われば、接する人の雰囲気も変わる。
心の目には見える"流れ"があるんだ。
観えてくる"流れ"があるんだ。
そういえば、
今年の3月頭に占い師に占ってもらったことがあって、
(当時の彼女と)このまま進めば辛いことがある と言われていた。
それでも好きならしかたないね と。―――
そして、今どうだ。
満たされてる自分がいる。
辛いことがあるからって、避けるべきものじゃないと思うんだ。
それでも好きだから、そうしただけ。
自分が事実を乗り越えられたとき、満ちていくものがある。
思いを感じるだけでは足りず、
気持ちを実感して、初めて満ちてくる。
自分が満ちていると初めて知る。
出逢いは自ら探すものではないと知る。
出逢いは本当にお互いが出逢うものなのだろう。
探したことで、出逢うことがあるかも知れない。
ただ、間違うことなかれ。
事実を思い込むことなく、事実を歪めることなく、
出逢えたときは、ちゃんと地に足が着いているものだ。
『自分のためにできること』
自分のためにできること
それは人のためになっているということ
自分の気持ちに正しいと感じることを為せばいい。
人のためにではなく、自分のために。
なぜ、自分のためになのか。
他の人から観れば、自分もまた、誰かだから。
自分のためとは、「自分のためだけ」という意味じゃないんだ。
自分のためだけのものなら、自己満足であり、自分だけの利だよね。
相手のためになろうとして、自分を犠牲にすることは、よろしくない。
それに、「相手のためにやってあげる」と思うなら、なおさら自己満足。
自分だけの利から、相手だけの利へ。
相手だけの利から、自他共の利へ。
要は、自他共の利になることがあるんだ。
自分の自己満足を超えて、相手のためにもなっている。
自分の行いが、自分の身の回りの物事に現れるんだ。
これが解ったからって、今までの事実はなんら変わったりはしないけど。
これからの現実はすべて変わっていくんだ。
意識が変われば、観え方が変わる。
思いが変われば、気持ちが変わる。
雰囲気が変われば、接する人の雰囲気も変わる。
心の目には見える"流れ"があるんだ。
観えてくる"流れ"があるんだ。
そういえば、
今年の3月頭に占い師に占ってもらったことがあって、
(当時の彼女と)このまま進めば辛いことがある と言われていた。
それでも好きならしかたないね と。―――
そして、今どうだ。
満たされてる自分がいる。
辛いことがあるからって、避けるべきものじゃないと思うんだ。
それでも好きだから、そうしただけ。
自分が事実を乗り越えられたとき、満ちていくものがある。
思いを感じるだけでは足りず、
気持ちを実感して、初めて満ちてくる。
自分が満ちていると初めて知る。
出逢いは自ら探すものではないと知る。
出逢いは本当にお互いが出逢うものなのだろう。
探したことで、出逢うことがあるかも知れない。
ただ、間違うことなかれ。
事実を思い込むことなく、事実を歪めることなく、
出逢えたときは、ちゃんと地に足が着いているものだ。
意識、観察、洞察
2003年12月20日考えていくことと、気付いていくことは違う。
考えていくことは、繋がりの移動。
気付いていくことは、意識の拡大。
考えていくだけでは、繋がりの移動でしかなく、
繋がっていないものには移動できない。
『痛み』
痛みは自覚するものであり、乗り越えていくべきものだということ。
「死」は痛みを伴うものだ。
ただ、恐いというだけではなく、
その恐いということを受容し、
実際の痛みを自覚していけばいい。
これで「死」は恐くない。
恐怖心は、囚われ。
恐怖は乗り越えれるもの。
恐怖とは、無知による不安に他ならない。
その中で、痛みはかなりのウェイトを占めている。
痛みを受容すること。
気付いたのは、人には、リミッターがあるということ。
筋肉の力の作用とか
もっと出せるはずなのに、リミッターが働いてそれ以上出さない。
結果的に、出せない。
リミッターというものを観察すると、リミッターの機能は無意識にある。
つまり、
行き着くところは、無意識を意識に受容せよってことなのだろう。
※俺の言う意識は、感情ではないです。
見ることと観ること
今の俺はまだ観れていない。
見ることで、心の動きの中に、観ることを感じているに過ぎない。
対象
↓
見る
↓
心
↓
我(そう思う)
↓
自分を感じる
↓
自覚(自分がそう思っている)
心から直接感じているんじゃなくて、
「我」というフィルターを通したやつを感じているってこと。
つまり、自分が観ているわけではない。
観えていない。
我より上の層にある無意識は、心の中にブラックボックス化されている。
今の俺には、直接観えない。
無意識に気付くにはどうしたらいいと感じる?
まず、直接無意識に気付くことは難しい。
というより、無意識がなにか解らないし。
だから、意識と無意識の両方が現れる、"こと"を観るんだ。
現実は、事実により成り立っているのだから。
言うは易く行うは難し
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
(壁に耳あり障子にめありぃさん経由です。thx!)
賞味期限チェッカー
breakさん(男性)の賞味期限は
ズバリ2032年5月17日です。
したがってbreakさんがいっちょまえの人間として扱えるのは約52歳までです。
なお、この数値、いいのか悪いのかどうなんだ、と言いますとまあ・・・けっこういいほうです。
breakさんの賞味期限の総合評価ランク A
breakさんの賞味期限は全体から考えるとけっこういいほうでしょう。2032年5月17日までbreakさんはいっちょまえの人間として生きていけます。約52歳までbreakさんは人間として腐ることなく、ばっちり人生を楽しむことができるでしょう。
人気の期限 評価ランク C
あーらら・・・言っちゃなんですが悪いです。breakさんは約33歳までという若さで全く人気のない人間になります。33歳というあまりにも若い年からbreakさんはご隠居生活を考えなくてはなりませんぜ。あ〜あ・・・
肉体の期限 評価ランク A
ほぉーぅ・・。肉体期限約62歳まで。まあまあ良い数値でしょう。中年になってもある程度までは若々しい肉体でいられます。しかし、62歳を過ぎたらあまり体に無茶はさせないようにしましょうね。
心の期限 評価ランク A
まあまあいいほうです。breakさんの心は約53歳まで豊かなままでいられます。breakさんは中年になっても心が汚れることなく、精神的、性格的に純粋で豊かなままでいられるでしょう。
”男”としての賞味期限 評価ランク B
ふ〜ん、まあまあ普通ですよ、男性フェロモン期限40歳までという数値は。恋愛をするなら40歳までが適齢期でしょう。それ以上だとbreakさんに”男”としての価値はなくなり、魅力を感じてくれる異性はいなくなります。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
どうさつ【洞察】
(1)鋭い観察力で物事を見通すこと。見抜くこと。
(2)〔心〕
(ア)新しい事態に直面したとき、過去の経験によるのではなく、課題と関連させて全体の状況を把握し直すことにより突然課題を解決すること。見通し。
(イ)自己の行動パターンを意識化し、その原因や意味を理解すること。心理治療や問題行動の改善において重要な過程。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*- goo辞書より
考えていくことは、繋がりの移動。
気付いていくことは、意識の拡大。
考えていくだけでは、繋がりの移動でしかなく、
繋がっていないものには移動できない。
『痛み』
痛みは自覚するものであり、乗り越えていくべきものだということ。
「死」は痛みを伴うものだ。
ただ、恐いというだけではなく、
その恐いということを受容し、
実際の痛みを自覚していけばいい。
これで「死」は恐くない。
恐怖心は、囚われ。
恐怖は乗り越えれるもの。
恐怖とは、無知による不安に他ならない。
その中で、痛みはかなりのウェイトを占めている。
痛みを受容すること。
気付いたのは、人には、リミッターがあるということ。
筋肉の力の作用とか
もっと出せるはずなのに、リミッターが働いてそれ以上出さない。
結果的に、出せない。
リミッターというものを観察すると、リミッターの機能は無意識にある。
つまり、
行き着くところは、無意識を意識に受容せよってことなのだろう。
※俺の言う意識は、感情ではないです。
見ることと観ること
今の俺はまだ観れていない。
見ることで、心の動きの中に、観ることを感じているに過ぎない。
対象
↓
見る
↓
心
↓
我(そう思う)
↓
自分を感じる
↓
自覚(自分がそう思っている)
心から直接感じているんじゃなくて、
「我」というフィルターを通したやつを感じているってこと。
つまり、自分が観ているわけではない。
観えていない。
我より上の層にある無意識は、心の中にブラックボックス化されている。
今の俺には、直接観えない。
無意識に気付くにはどうしたらいいと感じる?
まず、直接無意識に気付くことは難しい。
というより、無意識がなにか解らないし。
だから、意識と無意識の両方が現れる、"こと"を観るんだ。
現実は、事実により成り立っているのだから。
言うは易く行うは難し
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
(壁に耳あり障子にめありぃさん経由です。thx!)
賞味期限チェッカー
breakさん(男性)の賞味期限は
ズバリ2032年5月17日です。
したがってbreakさんがいっちょまえの人間として扱えるのは約52歳までです。
なお、この数値、いいのか悪いのかどうなんだ、と言いますとまあ・・・けっこういいほうです。
breakさんの賞味期限の総合評価ランク A
breakさんの賞味期限は全体から考えるとけっこういいほうでしょう。2032年5月17日までbreakさんはいっちょまえの人間として生きていけます。約52歳までbreakさんは人間として腐ることなく、ばっちり人生を楽しむことができるでしょう。
人気の期限 評価ランク C
あーらら・・・言っちゃなんですが悪いです。breakさんは約33歳までという若さで全く人気のない人間になります。33歳というあまりにも若い年からbreakさんはご隠居生活を考えなくてはなりませんぜ。あ〜あ・・・
肉体の期限 評価ランク A
ほぉーぅ・・。肉体期限約62歳まで。まあまあ良い数値でしょう。中年になってもある程度までは若々しい肉体でいられます。しかし、62歳を過ぎたらあまり体に無茶はさせないようにしましょうね。
心の期限 評価ランク A
まあまあいいほうです。breakさんの心は約53歳まで豊かなままでいられます。breakさんは中年になっても心が汚れることなく、精神的、性格的に純粋で豊かなままでいられるでしょう。
”男”としての賞味期限 評価ランク B
ふ〜ん、まあまあ普通ですよ、男性フェロモン期限40歳までという数値は。恋愛をするなら40歳までが適齢期でしょう。それ以上だとbreakさんに”男”としての価値はなくなり、魅力を感じてくれる異性はいなくなります。
+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
どうさつ【洞察】
(1)鋭い観察力で物事を見通すこと。見抜くこと。
(2)〔心〕
(ア)新しい事態に直面したとき、過去の経験によるのではなく、課題と関連させて全体の状況を把握し直すことにより突然課題を解決すること。見通し。
(イ)自己の行動パターンを意識化し、その原因や意味を理解すること。心理治療や問題行動の改善において重要な過程。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*- goo辞書より
思い立つ時。想い絶つ時。
2003年12月19日日記を少し遡って見て、気付く。
1ヶ月くらい前の日記がかなり遠く感じる。
今まで近いと感じていたけど、すごく遠い。
でも、すぐ近くにも感じている。
『門』
門は、開け放ったり、閉じ込めたりできるもの。
音の門を開け放とう。
闇っていうとさ、暗いと感じたりします?
暗いっていうのは、音の日で
日とは光を指すわけで
音とは、日の"裏"
明るいのは、月
暗いのは、音
音の門を開け放て
門が開ければ、闇は光に変わる
1ヶ月くらい前の日記がかなり遠く感じる。
今まで近いと感じていたけど、すごく遠い。
でも、すぐ近くにも感じている。
『門』
門は、開け放ったり、閉じ込めたりできるもの。
音の門を開け放とう。
闇っていうとさ、暗いと感じたりします?
暗いっていうのは、音の日で
日とは光を指すわけで
音とは、日の"裏"
明るいのは、月
暗いのは、音
音の門を開け放て
門が開ければ、闇は光に変わる