「らしさ」
2003年11月7日ここ半年以上前から、いろんなもの・ことが俺の中で繋がり始めている。
日記で出逢う人も最近そういう風に感じています。
言いたいことが分かるっていうか。
WEBであっても、日常のあらゆるもの・ことであっても繋がりを感じます。
世界中で皆"同じもの"を受け取っているのかも知れないね。
"同じもの"を受け取っているんだ。
なのに、皆表現が違い、そして、段階が違う。
つまり、人によって差があるんだ。
糸電話で伝言ゲームをするみたいに。
補足すると、糸電話で皆に伝言し伝えられた皆はそれを実行するゲーム。
実際、自分に伝えられたものが、
本当に他の皆も、自分と同じように伝えられているのか解らないよね。
伝言の発信者、つまり、親がいて、
そこから一人ひとりの皆と繋がっている糸電話で
伝えたいもの・ことを伝える。
皆、自分が受け取ったものをお互い表現し合うんだ。
答え合わせをするように。
他の人が聴いたものをもっと知ろうとするように。
共感するように。
そして、その親の意図をもっと感じようとするように。
このゲームを、ただのゲームと片付けるも、片付けないも自分次第。
親は"同じもの"を伝えている。
受け取っているものは、皆同じ。
感じ方が皆違うんだ。
感じたものを表現する仕方もまた、皆違うんだ。
もし、他の皆に、自分と同じものが伝えられていないと思うなら、
確かめてみるといいよ。
受け取り方、感じ方、表現の仕方
この3つを知っていくと皆と繋がっていくね。
人のらしさを解ってあげられるようになるっていうか。
自分のらしさを伝えられるようになるっていうか。
let it be を思い出した。
*****************************************
傷つき 失意に生きる人々が
ともに ひとつの世界に結ばれる時
道は必ず開けてゆく
それまでは ”すべて なすがままに”
*****************************************
ひとつの世界に結ばれるっていうことは、
繋がれるっていうことだと感じています。
皆との繋がり。
親との繋がり。
"皆"がひとつに繋がるとき、ひとつの流れができるように感じます。
親の意図することを皆でする。
皆でなにかをすることの喜びや感動。
ひとつとなった時の言葉で表せないような感覚を感じたいと願う。
出逢いって、すごいタイミングだよね。
タイミングがちょっとでも違うだけで、違うものになる。
例えば、昨日出逢っていたら?
1年前に出逢っていたら?
たぶんさ、1年前に出逢っていたら、今とは違う気持ちだっただろう。
昨日出逢っていたら、ほんの1時間前に出逢っていたら、
今とは違う気分だっただろう。
今、もし、なにか温かい気持ちがするなら、それは今だからなんだよ。
今だから感じれるんだよ。
昨日の方が気分も調子もよかったから、昨日ならもっと感じれたよって?
そうかも知れないし、そうじゃないかも知れないよね。
調子がいいときほど浮き足立つから。
今だから、感じれるのかも知れないよ。
季節を感じること
自分が歩いていく中で感じるのか
それとも
立ち止まって感じるのか
景色は同じものなんだ
季節は同じなんだ
違うのは自分の中にあるものが違うんだ
歩いていても、立ち止まっていても。
景色を感じていこう。
季節を感じていこう。
自分を感じていこう。
言葉というものは無いものなのかも知れない。
有るものと思い・感じようとするから有るのであり、
無いものは無いのだ。
笑って過ごせるように頑張ろうね
苦しいこと、辛いことがあったら笑えなくてもいいじゃない
心から笑っていられるように、前を向いて頑張ろうよ
秘密メモ「手当て と 水見式」↓
日記で出逢う人も最近そういう風に感じています。
言いたいことが分かるっていうか。
WEBであっても、日常のあらゆるもの・ことであっても繋がりを感じます。
世界中で皆"同じもの"を受け取っているのかも知れないね。
"同じもの"を受け取っているんだ。
なのに、皆表現が違い、そして、段階が違う。
つまり、人によって差があるんだ。
糸電話で伝言ゲームをするみたいに。
補足すると、糸電話で皆に伝言し伝えられた皆はそれを実行するゲーム。
実際、自分に伝えられたものが、
本当に他の皆も、自分と同じように伝えられているのか解らないよね。
伝言の発信者、つまり、親がいて、
そこから一人ひとりの皆と繋がっている糸電話で
伝えたいもの・ことを伝える。
皆、自分が受け取ったものをお互い表現し合うんだ。
答え合わせをするように。
他の人が聴いたものをもっと知ろうとするように。
共感するように。
そして、その親の意図をもっと感じようとするように。
このゲームを、ただのゲームと片付けるも、片付けないも自分次第。
親は"同じもの"を伝えている。
受け取っているものは、皆同じ。
感じ方が皆違うんだ。
感じたものを表現する仕方もまた、皆違うんだ。
もし、他の皆に、自分と同じものが伝えられていないと思うなら、
確かめてみるといいよ。
受け取り方、感じ方、表現の仕方
この3つを知っていくと皆と繋がっていくね。
人のらしさを解ってあげられるようになるっていうか。
自分のらしさを伝えられるようになるっていうか。
let it be を思い出した。
*****************************************
傷つき 失意に生きる人々が
ともに ひとつの世界に結ばれる時
道は必ず開けてゆく
それまでは ”すべて なすがままに”
*****************************************
ひとつの世界に結ばれるっていうことは、
繋がれるっていうことだと感じています。
皆との繋がり。
親との繋がり。
"皆"がひとつに繋がるとき、ひとつの流れができるように感じます。
親の意図することを皆でする。
皆でなにかをすることの喜びや感動。
ひとつとなった時の言葉で表せないような感覚を感じたいと願う。
出逢いって、すごいタイミングだよね。
タイミングがちょっとでも違うだけで、違うものになる。
例えば、昨日出逢っていたら?
1年前に出逢っていたら?
たぶんさ、1年前に出逢っていたら、今とは違う気持ちだっただろう。
昨日出逢っていたら、ほんの1時間前に出逢っていたら、
今とは違う気分だっただろう。
今、もし、なにか温かい気持ちがするなら、それは今だからなんだよ。
今だから感じれるんだよ。
昨日の方が気分も調子もよかったから、昨日ならもっと感じれたよって?
そうかも知れないし、そうじゃないかも知れないよね。
調子がいいときほど浮き足立つから。
今だから、感じれるのかも知れないよ。
季節を感じること
自分が歩いていく中で感じるのか
それとも
立ち止まって感じるのか
景色は同じものなんだ
季節は同じなんだ
違うのは自分の中にあるものが違うんだ
歩いていても、立ち止まっていても。
景色を感じていこう。
季節を感じていこう。
自分を感じていこう。
言葉というものは無いものなのかも知れない。
有るものと思い・感じようとするから有るのであり、
無いものは無いのだ。
笑って過ごせるように頑張ろうね
苦しいこと、辛いことがあったら笑えなくてもいいじゃない
心から笑っていられるように、前を向いて頑張ろうよ
秘密メモ「手当て と 水見式」↓
汝己を知れ "break a spell of mind"
2003年11月6日呪縛を解くこと
http://www.jfecr.or.jp/h13_kiyou31/t1-7.html
『幸せ恐怖症』という言葉を聞いたことがあるかな?
自分で呪縛を解き放てなくなっている。
呪縛を自分の一部だ と。
本当に、幸せになろうとすれば、なれることを思い出して。
他が自分を幸せ恐怖症から抜け出させてくれるなんて思わないで。
王子はいるかも知れない。
だからって、自分で抜け出さないのは理由にならない。
本当に幸せになりたいなら、自分で幸せな自分になろう。
人が教えてくれる幸せには限界があるんだ。
だって、その限界は、自分が作っているからなんだよ。
限界はそれ以上自分が幸せにならないようにあるもの。
今もなんで押さえ込んでいるんだろうね?
もちろん、親のことだけじゃないよ。
自分の身口意が関わるものすべてなんだ。
一緒に、笑顔で微笑み、笑い合ってみませんか?
ただ、笑おう。
自分が最高に気持ちよく笑えるように。
ただ、ただ、一生懸命に。
その限界を"呪縛"と呼んでる。
通してきた呼び方だと"型"だ。"囚われ"とも呼んでる。
落ち着けてたら、いきなり心臓がズキンとした。
親しき人になにかあったのか?と、思ったりもした。
ズキンとしたあと、強い気が流れ込んできた。
俺の心臓の血管が詰まりがちだったってことかな。
それが解消された と、思いたい。
現代人の感覚で使う日本語
それは表音文字だと気付く
表意文字であれば 文字の認識の違いだけで済むのだが
現代人は文字を言葉とし 文字の意味を言葉の意味として捉えている
文字を文字とせず 言葉を言葉とも捉えない
文字の上に成り立つ言葉 言葉の上に成り立つ言語
言葉を言葉とするなら 文字は文字
自分が発する言葉の意味を知ると
自分が言いたいことの"かけら"が観えてくるよ
http://www.jfecr.or.jp/h13_kiyou31/t1-7.html
『幸せ恐怖症』という言葉を聞いたことがあるかな?
自分で呪縛を解き放てなくなっている。
呪縛を自分の一部だ と。
本当に、幸せになろうとすれば、なれることを思い出して。
他が自分を幸せ恐怖症から抜け出させてくれるなんて思わないで。
王子はいるかも知れない。
だからって、自分で抜け出さないのは理由にならない。
本当に幸せになりたいなら、自分で幸せな自分になろう。
人が教えてくれる幸せには限界があるんだ。
だって、その限界は、自分が作っているからなんだよ。
限界はそれ以上自分が幸せにならないようにあるもの。
今もなんで押さえ込んでいるんだろうね?
もちろん、親のことだけじゃないよ。
自分の身口意が関わるものすべてなんだ。
一緒に、笑顔で微笑み、笑い合ってみませんか?
ただ、笑おう。
自分が最高に気持ちよく笑えるように。
ただ、ただ、一生懸命に。
その限界を"呪縛"と呼んでる。
通してきた呼び方だと"型"だ。"囚われ"とも呼んでる。
落ち着けてたら、いきなり心臓がズキンとした。
親しき人になにかあったのか?と、思ったりもした。
ズキンとしたあと、強い気が流れ込んできた。
俺の心臓の血管が詰まりがちだったってことかな。
それが解消された と、思いたい。
現代人の感覚で使う日本語
それは表音文字だと気付く
表意文字であれば 文字の認識の違いだけで済むのだが
現代人は文字を言葉とし 文字の意味を言葉の意味として捉えている
文字を文字とせず 言葉を言葉とも捉えない
文字の上に成り立つ言葉 言葉の上に成り立つ言語
言葉を言葉とするなら 文字は文字
自分が発する言葉の意味を知ると
自分が言いたいことの"かけら"が観えてくるよ
発することにより、発生するもの。
2003年11月5日気になることは自分へのサイン。
すべて自分のためにある気付き。
やっぱ導かれてると感じる。
また新しい「水」の本を手にとることに。
すべては振動で、愛や感謝も振動のことみたい。
ひとつ愛を発することで、ふたつ感謝が発生する。
自分の"場"がポジティブかネガティブかによって、
発し、発生するすべてのものがどちらかとなる。
どちらでもないとするならそれは活動していないことになる。
発することと感じること。
感じることによって生まれるもの。
発するものとは、流れの中に滲み出るもののこと。
『初心忘るべからず』
おもいっきし初心に戻らさせてもらってます。
詳しいことは秘密にて↓
すべて自分のためにある気付き。
やっぱ導かれてると感じる。
また新しい「水」の本を手にとることに。
すべては振動で、愛や感謝も振動のことみたい。
ひとつ愛を発することで、ふたつ感謝が発生する。
自分の"場"がポジティブかネガティブかによって、
発し、発生するすべてのものがどちらかとなる。
どちらでもないとするならそれは活動していないことになる。
発することと感じること。
感じることによって生まれるもの。
発するものとは、流れの中に滲み出るもののこと。
『初心忘るべからず』
おもいっきし初心に戻らさせてもらってます。
詳しいことは秘密にて↓
言葉の裏側
2003年11月4日文字には、象形文字、表音文字、表意文字、表語文字などがある。
象形、文字、言葉、言語と呼ばれるそれらは、それ自体に意味を有する。
俺が気持ちを言葉で表現するときに
意識を向けていることは、言葉の補完だ。
ただ言葉を連ねているだけでは足りない。
そういう足りないものをできるだけ言葉にしていく。
気持ちを表現することに始まり、
言葉を補完し、
言葉を気持ちある分だけ連ね、
言葉を集約するに到り、
言葉はひとつとなる。
言葉を集約しなくとも、
言葉を気持ちある分だけ連ねることでも意味は通じる。
ある時を境に、
自分の外へ表現していくことから、自分の内へ集めていくことに変わる。
表現していることが、自分の中にあるもので、
相手が分かるのは、
自分の中にあるものだと気付いた時から流れが変わり始めるんだ。
表現は必要ないんだ。
自分と同じものが相手の中にもあれば。
相手に気持ちを解ってもらう為に、表に現して形にする必要はないんだ。
本当に必要なのは、
表に現して形にしたい"自分の気持ち"を知っていることなんだ。
そして、相手と分かち合うこと。
分かち合うために、言葉を集約していかなければならないんだ。
意味が通じることと、分かち合うことはちょっと違うんだ。
表に現すのは自分の気持ちを分かってもらう為にする。
でも、自分の気持ちを分かってもらうのに、
自分が形として気持ちを表すことは、
相手もその形を理解しなければならず、
自分と相手が形を通して疎通をするということになる。
一番分かち合うのに遠い状態は、お互いが表現する手段を持たない状態。
古代人になったつもりで、思い浮かべてもらいたいんですが、
表現手段を持っていない状態で、表現しようとするならどうやってする?
言葉は分かち合うためではなく、形として残す方法だったんじゃないかな。
表現すること、それはなにかを創り残すことになるんじゃないかな。
時代の流れみたいなものがあったんじゃないかなと思ったりする。
手紙がEメールに向かいつつあるように。
自転車ができ、自動車ができ、人は出来るだけ歩くことを避ける。
理由は歩くと時間がかかるからかも知れないし、疲れるからかも知れない。
人が歩く意味、人が立つ意味みたいなものから遠ざかってるように感じる。
そして、一番分かち合える状態は、
お互いが表現しなくてもよいという状態なんじゃないかな。
じゃ、どうすれば分かち合えるのかって?
分かち合うのに、解ってもらおうとする必要はなく、
一緒にいるだけで分かち合えているものなんだ。
つまり、繋がっているんだ。
自分 ⇔ もの・こと ⇔ 相手
自分ともの・ことが繋がっていて、もの・ことと相手が繋がっている。
自分 ⇔ 相手
自分と相手が繋がっている。
相手と繋がっているという感覚を感じたことはあるだろうか。
肉体の意味ではなくね。
気持ちが繋がっているという感覚。
俺は"空気のような存在の人"を求めていた。
空気だと気付かないじゃん!と言われることもあったw
あの頃、自分で思うように言えなかったけど、今なら言えるかな。
空気のようなとは、正に繋がっている状態に他ならない。
繋がっていて自然。
気付いていなければ、解りもしない存在。
そう、気付いていれば解る存在。
自分の内面とハッキリと繋がっている存在。
そんな人を求めていた。
お互いの気持ちが
繋がっているってことに気付いても、気付いていなくても、
空気のような存在に変わりはない。
目に見えないもの。そして、目に見えなくてもなくてはならないもの。
空気とはこれほど身近なものなんだ。
それくらい繋がりを感じれる人を求めていた。
でも、求めるだけじゃ得られないんだ。
自分が求めずとも得られるようにならなければ。
求めるなら、得られている自分になればいい。
それになりたいなら、なっている自分になればいい。
幸せになりたいのなら、幸せな自分になればいい。
空気の存在になりたいのなら、
空気の存在になっている自分になればいい。
俺の場合、相手がいるかいないかが問題じゃないんだ。
自分がそうなれていなければ、たとえ相手が現れてもなれはしない。
すべてに言えることだけど、『初心忘るべからず』だね。
象形、文字、言葉、言語と呼ばれるそれらは、それ自体に意味を有する。
俺が気持ちを言葉で表現するときに
意識を向けていることは、言葉の補完だ。
ただ言葉を連ねているだけでは足りない。
そういう足りないものをできるだけ言葉にしていく。
気持ちを表現することに始まり、
言葉を補完し、
言葉を気持ちある分だけ連ね、
言葉を集約するに到り、
言葉はひとつとなる。
言葉を集約しなくとも、
言葉を気持ちある分だけ連ねることでも意味は通じる。
ある時を境に、
自分の外へ表現していくことから、自分の内へ集めていくことに変わる。
表現していることが、自分の中にあるもので、
相手が分かるのは、
自分の中にあるものだと気付いた時から流れが変わり始めるんだ。
表現は必要ないんだ。
自分と同じものが相手の中にもあれば。
相手に気持ちを解ってもらう為に、表に現して形にする必要はないんだ。
本当に必要なのは、
表に現して形にしたい"自分の気持ち"を知っていることなんだ。
そして、相手と分かち合うこと。
分かち合うために、言葉を集約していかなければならないんだ。
意味が通じることと、分かち合うことはちょっと違うんだ。
表に現すのは自分の気持ちを分かってもらう為にする。
でも、自分の気持ちを分かってもらうのに、
自分が形として気持ちを表すことは、
相手もその形を理解しなければならず、
自分と相手が形を通して疎通をするということになる。
一番分かち合うのに遠い状態は、お互いが表現する手段を持たない状態。
古代人になったつもりで、思い浮かべてもらいたいんですが、
表現手段を持っていない状態で、表現しようとするならどうやってする?
言葉は分かち合うためではなく、形として残す方法だったんじゃないかな。
表現すること、それはなにかを創り残すことになるんじゃないかな。
時代の流れみたいなものがあったんじゃないかなと思ったりする。
手紙がEメールに向かいつつあるように。
自転車ができ、自動車ができ、人は出来るだけ歩くことを避ける。
理由は歩くと時間がかかるからかも知れないし、疲れるからかも知れない。
人が歩く意味、人が立つ意味みたいなものから遠ざかってるように感じる。
そして、一番分かち合える状態は、
お互いが表現しなくてもよいという状態なんじゃないかな。
じゃ、どうすれば分かち合えるのかって?
分かち合うのに、解ってもらおうとする必要はなく、
一緒にいるだけで分かち合えているものなんだ。
つまり、繋がっているんだ。
自分 ⇔ もの・こと ⇔ 相手
自分ともの・ことが繋がっていて、もの・ことと相手が繋がっている。
自分 ⇔ 相手
自分と相手が繋がっている。
相手と繋がっているという感覚を感じたことはあるだろうか。
肉体の意味ではなくね。
気持ちが繋がっているという感覚。
俺は"空気のような存在の人"を求めていた。
空気だと気付かないじゃん!と言われることもあったw
あの頃、自分で思うように言えなかったけど、今なら言えるかな。
空気のようなとは、正に繋がっている状態に他ならない。
繋がっていて自然。
気付いていなければ、解りもしない存在。
そう、気付いていれば解る存在。
自分の内面とハッキリと繋がっている存在。
そんな人を求めていた。
お互いの気持ちが
繋がっているってことに気付いても、気付いていなくても、
空気のような存在に変わりはない。
目に見えないもの。そして、目に見えなくてもなくてはならないもの。
空気とはこれほど身近なものなんだ。
それくらい繋がりを感じれる人を求めていた。
でも、求めるだけじゃ得られないんだ。
自分が求めずとも得られるようにならなければ。
求めるなら、得られている自分になればいい。
それになりたいなら、なっている自分になればいい。
幸せになりたいのなら、幸せな自分になればいい。
空気の存在になりたいのなら、
空気の存在になっている自分になればいい。
俺の場合、相手がいるかいないかが問題じゃないんだ。
自分がそうなれていなければ、たとえ相手が現れてもなれはしない。
すべてに言えることだけど、『初心忘るべからず』だね。
天才 と 秀才
2003年11月3日-----------------------
単に解くだけなら誰でも解ける。
しかし「何がこのパズルを面白くしているのか」を考えると、なかなか奥が深い。
アインシュタインは、物凄い好奇心の持ち主だった。
天才と、秀才を分けるのは、好奇心や飽くなき探求心なんだろう。
単に出された問題を解くだけの人。
そこから、さらに考える人。
天才と秀才を分けるのは、ここだ。
----------------------- (どっからかの引用w)
天才と秀才
秀でるものと、天分を持つものは違うってことだね。
秀でるものは、それが理解できるということ。
天分を持つものは、それに興味があるということ。
自分の興味があることは、
「何がこのパズルを面白くしているのか」
自分はなぜこのパズルを面白いと感じるのか。
自分の興味は人に勝るためにあるんじゃない。
人に勝るためにあるのなら、それこそ秀でるものとしてあるのだろう。
人に勝るために才能というものがあるのではなく
自分を楽しむために才能というものがあるのだ と。
才能を伸ばすとは、
自分の秀でるもの・ことを知っていくってことなんだろうか。
自分が興味のあるもの・ことを知っていくってことなんだと感じている。
久しぶりにとびっきりの笑顔の話をした。
光の話でもそうなんだけど。
絵を観てさ、この絵いいなぁとか感じるじゃん?
鮮やかな景色とか、気持ちいいー!!みたいな感じを感じるじゃん?
この感覚をもってして、光を感じるんだ。
とびっきりの笑顔も目で捉えることのできないものだ。
そして、愛もまた、目では捉えられないものなんだ。
愛は特別なものじゃない。
誰かのとびっきりの最高の笑顔を思い浮かべてください。
思うっていうより、心に浮かべるっていう感じで。
とびっきりの笑顔を心に浮かべられたら、感じればいい。
絵を鑑賞するように
心に浮かんでいるものを感じればいい。
なんとなく
なんとなくでも解ることが大事なんだ。
自分の気持ちをはっきり解ることは難しい。
それを感じているから解るってことを忘れずにね。
愛とは、本当に「温かい"もの"」だと感じています。
自分の中に、温かい"気持ち"がなくなるとき、輝きが失われる。
だから、いつもみんなの笑顔を心に浮かべながら過ごしてください。
きっと自分だけじゃなく周りの人もその温かさを感じているはずですよ♪
ほんといろいろと繋がってると感じる。
今日の「全国一斉IQテスト!!」と昨日の日記が。
俺に示してくれているものはある一定のものみたいだ。
単に解くだけなら誰でも解ける。
しかし「何がこのパズルを面白くしているのか」を考えると、なかなか奥が深い。
アインシュタインは、物凄い好奇心の持ち主だった。
天才と、秀才を分けるのは、好奇心や飽くなき探求心なんだろう。
単に出された問題を解くだけの人。
そこから、さらに考える人。
天才と秀才を分けるのは、ここだ。
----------------------- (どっからかの引用w)
天才と秀才
秀でるものと、天分を持つものは違うってことだね。
秀でるものは、それが理解できるということ。
天分を持つものは、それに興味があるということ。
自分の興味があることは、
「何がこのパズルを面白くしているのか」
自分はなぜこのパズルを面白いと感じるのか。
自分の興味は人に勝るためにあるんじゃない。
人に勝るためにあるのなら、それこそ秀でるものとしてあるのだろう。
人に勝るために才能というものがあるのではなく
自分を楽しむために才能というものがあるのだ と。
才能を伸ばすとは、
自分の秀でるもの・ことを知っていくってことなんだろうか。
自分が興味のあるもの・ことを知っていくってことなんだと感じている。
久しぶりにとびっきりの笑顔の話をした。
光の話でもそうなんだけど。
絵を観てさ、この絵いいなぁとか感じるじゃん?
鮮やかな景色とか、気持ちいいー!!みたいな感じを感じるじゃん?
この感覚をもってして、光を感じるんだ。
とびっきりの笑顔も目で捉えることのできないものだ。
そして、愛もまた、目では捉えられないものなんだ。
愛は特別なものじゃない。
誰かのとびっきりの最高の笑顔を思い浮かべてください。
思うっていうより、心に浮かべるっていう感じで。
とびっきりの笑顔を心に浮かべられたら、感じればいい。
絵を鑑賞するように
心に浮かんでいるものを感じればいい。
なんとなく
なんとなくでも解ることが大事なんだ。
自分の気持ちをはっきり解ることは難しい。
それを感じているから解るってことを忘れずにね。
愛とは、本当に「温かい"もの"」だと感じています。
自分の中に、温かい"気持ち"がなくなるとき、輝きが失われる。
だから、いつもみんなの笑顔を心に浮かべながら過ごしてください。
きっと自分だけじゃなく周りの人もその温かさを感じているはずですよ♪
ほんといろいろと繋がってると感じる。
今日の「全国一斉IQテスト!!」と昨日の日記が。
俺に示してくれているものはある一定のものみたいだ。
表音文字 と 表意文字 と 表語文字
2003年11月2日日本語には漢字(表意文字)と、平仮名・片仮名(表音文字)がある。
漢字のことを真名(まな)といい、
平仮名・片仮名を仮名(かな)という。
真の名と仮の名
日本語は漢字が主で、平仮名・片仮名はそれを補足するためにある。
漢字には部首というものがあり、偏、冠、旁 などがある。
日本語には接頭語、接尾語がある。
中国語は表意文字
英語は表音文字
中国語はすべて漢字。
日本語なら補足することで解り易くなる言葉も、
中国語ではそれすらも漢字に含める。
漢字は本来「表語文字」らしい。
これ、表現・感受、両方の理に適ってる。
英語はすべて英字。
英語には日本語と同じように、接頭語、接尾語がある。
文字ってさ、
---------------------
文字の起源は事物をかたどった絵にあり、象形文字・表意文字・表音文字へと進んだと考えられる。
--------------------- (goo辞書)
古代から文字はあって、
---------------------
【 象形 】
(1)物の形をかたどること。
(2)漢字の六書(りくしよ)の一。物の形をかたどって字形としたもの。「日」「月」「山」「木」などの類。
【 象形文字 】
(1)象形に同じ。
(2)古代エジプトのヒエログリフをはじめとして、マヤ・アステカ文字、地中海古代文字など、絵から成立したとみられる表意(語)文字の総称。
--------------------- (goo辞書)
古代人はちゃんとなにかを捉えて、形として表現することができたんだね。
漢字に学ぶなら、象形のレベルまで解って初めて学べるんだろうね。
ある意味それは、物事の反対側から辿り着いていることになるんだけど。
中国語や英語を具体的に知らなくとも。
俺らはどちらも経験しているんだね。
書道が、書くことを極めようとする道だとするなら、
俺の進んでいる道は、表現道か?
結局、同じ道に入ってきたけど。
自分の気持ちを表現したかった。
相手に分かって欲しいと思ってた。
俺の表現は抽象的で曖昧だから、伝わり難い と。
表現することに意識を向けることで表現に関して繋がりが解り始めた。
日本語でいう"安心"は、中国語では"放心"と書く。
解放された心
囚われのない心
なにもの・ことも気にしていない
そんな心の状態のことを、"安心"というんだね。
心を落ち着けて、なにも思わないようにする。
この状態だとまだ不安になる。
というか、足りない。
気持ちが足りないんだ。
なにもの・ことも気にならないのは、
心が落ち着いている上で、気持ちに勢いがあるから。
静かであり、勢いがある。
この状態こそ不安にならない状態なんだ。
自分の気持ち。
解って欲しい人がいる。
伝わって欲しいと思い募る。
自分を見詰め直す。
人に解ってもらえないから解ってもらおうと
(強制的に)伝えようとすることは、逃げなのかも知れない。
行き場を失って膨張し、どこからでも噴出しそうになる。
行き場を失うのは、自分の中で気持ちが流れていないから。
膨張するのは、自分の"場"が狭いから。または流れが逆流しているから。
もし、
自分の"場"がある程度広く、
ちゃんと自分の中で気持ちを流すことができたら、
噴出しそうになることはない。
今回の俺の場合は、自分の中で気持ちが流れていなかったから。
逃げちゃいけないのではなく、本来、逃げなくて済むことなんだろうね。
いろんなことが、なんとなくだけど、自分で解るんだ。
今までの経験とか、自分の身体に聞いてみたり、心の声を聴いてみたり。
最近は、気も。
姿勢、食べ物、行動、心理等々。
自分の気、身体、心の声を感じることで、いろんなことが自分で解る。
自分の内と外の両方から解るものが気の他にあるのかな?
気はかなりシンプルなものです。
感じ続けていれば、いずれハッキリと自分のことが解るときがくるだろう。
俺はそのときを楽しみにしていますw
求めずとも得られる心境は
絶対的安心の上にあるものだと感じています。
漢字のことを真名(まな)といい、
平仮名・片仮名を仮名(かな)という。
真の名と仮の名
日本語は漢字が主で、平仮名・片仮名はそれを補足するためにある。
漢字には部首というものがあり、偏、冠、旁 などがある。
日本語には接頭語、接尾語がある。
中国語は表意文字
英語は表音文字
中国語はすべて漢字。
日本語なら補足することで解り易くなる言葉も、
中国語ではそれすらも漢字に含める。
漢字は本来「表語文字」らしい。
これ、表現・感受、両方の理に適ってる。
英語はすべて英字。
英語には日本語と同じように、接頭語、接尾語がある。
文字ってさ、
---------------------
文字の起源は事物をかたどった絵にあり、象形文字・表意文字・表音文字へと進んだと考えられる。
--------------------- (goo辞書)
古代から文字はあって、
---------------------
【 象形 】
(1)物の形をかたどること。
(2)漢字の六書(りくしよ)の一。物の形をかたどって字形としたもの。「日」「月」「山」「木」などの類。
【 象形文字 】
(1)象形に同じ。
(2)古代エジプトのヒエログリフをはじめとして、マヤ・アステカ文字、地中海古代文字など、絵から成立したとみられる表意(語)文字の総称。
--------------------- (goo辞書)
古代人はちゃんとなにかを捉えて、形として表現することができたんだね。
漢字に学ぶなら、象形のレベルまで解って初めて学べるんだろうね。
ある意味それは、物事の反対側から辿り着いていることになるんだけど。
中国語や英語を具体的に知らなくとも。
俺らはどちらも経験しているんだね。
書道が、書くことを極めようとする道だとするなら、
俺の進んでいる道は、表現道か?
結局、同じ道に入ってきたけど。
自分の気持ちを表現したかった。
相手に分かって欲しいと思ってた。
俺の表現は抽象的で曖昧だから、伝わり難い と。
表現することに意識を向けることで表現に関して繋がりが解り始めた。
日本語でいう"安心"は、中国語では"放心"と書く。
解放された心
囚われのない心
なにもの・ことも気にしていない
そんな心の状態のことを、"安心"というんだね。
心を落ち着けて、なにも思わないようにする。
この状態だとまだ不安になる。
というか、足りない。
気持ちが足りないんだ。
なにもの・ことも気にならないのは、
心が落ち着いている上で、気持ちに勢いがあるから。
静かであり、勢いがある。
この状態こそ不安にならない状態なんだ。
自分の気持ち。
解って欲しい人がいる。
伝わって欲しいと思い募る。
自分を見詰め直す。
人に解ってもらえないから解ってもらおうと
(強制的に)伝えようとすることは、逃げなのかも知れない。
行き場を失って膨張し、どこからでも噴出しそうになる。
行き場を失うのは、自分の中で気持ちが流れていないから。
膨張するのは、自分の"場"が狭いから。または流れが逆流しているから。
もし、
自分の"場"がある程度広く、
ちゃんと自分の中で気持ちを流すことができたら、
噴出しそうになることはない。
今回の俺の場合は、自分の中で気持ちが流れていなかったから。
逃げちゃいけないのではなく、本来、逃げなくて済むことなんだろうね。
いろんなことが、なんとなくだけど、自分で解るんだ。
今までの経験とか、自分の身体に聞いてみたり、心の声を聴いてみたり。
最近は、気も。
姿勢、食べ物、行動、心理等々。
自分の気、身体、心の声を感じることで、いろんなことが自分で解る。
自分の内と外の両方から解るものが気の他にあるのかな?
気はかなりシンプルなものです。
感じ続けていれば、いずれハッキリと自分のことが解るときがくるだろう。
俺はそのときを楽しみにしていますw
求めずとも得られる心境は
絶対的安心の上にあるものだと感じています。
観て見て
2003年11月1日人は皆、目に見えないものの影響を受けている。
人は前を向き、なにかが後ろから影響を与えている。
人には見えない。
だが、人にも後ろを見る方法が与えられている。
自分の前に鏡があるんだ。
それを覗くことで後ろを見ることができる。
自分の後ろを観ることでなにが影響を与えているのか知ることができる。
その鏡は自分が見ようとしなければ、決して捉えることができない。
自分から、なにもの・ことより遠く離れたところに鏡があるんだ。
その鏡に辿り着くことで、すべてのもの・ことが見える。
できるだけ、自分より遠く離れた鏡を見ること。
鏡はどこにでも捉えることのできるもの。
自分の前と自分の後ろ、なにもの・ことより遠く離れたところに鏡を捉え、
鏡を覗けば表も裏もすべてが見える。
自分を中心に、なにもの・ことより遠く離れたところがすべて鏡なら、
鏡は円となり、
やがて、球体となる。
観ること。
それは鏡のことではないんだ。
球体となぜ解る?
球体と解るのは、それを"外"から観ているから。
観えていなければ解らないんだ。
球体を真球としてバランスをとること。
それは観えているからできること。
内側からバランスをとること。
それはシンプルになることでできること。
どちらからでもいいんだ。
感ずることは、観ずることになるのだから。
観ずることは、感ずることになるのだから。
分かち合えない人はいるわけで。
なにが大切で、なにが大事なのか。
皆、自分が解っているもの・ことを信じる。
間違っている人なんていない。
それでいいんだ。
自分の表現したものを観て見てください。
自分の価値観が表れていますよ。
一度表現した"もの"を無しとすることはできます。
一度表現した"こと"を無しとすることはできません。
もし、"こと"を無しとするなら、無しにすればすべてが無くなる。
続いているなにかが、続いていないということになるのだから。
人は前を向き、なにかが後ろから影響を与えている。
人には見えない。
だが、人にも後ろを見る方法が与えられている。
自分の前に鏡があるんだ。
それを覗くことで後ろを見ることができる。
自分の後ろを観ることでなにが影響を与えているのか知ることができる。
その鏡は自分が見ようとしなければ、決して捉えることができない。
自分から、なにもの・ことより遠く離れたところに鏡があるんだ。
その鏡に辿り着くことで、すべてのもの・ことが見える。
できるだけ、自分より遠く離れた鏡を見ること。
鏡はどこにでも捉えることのできるもの。
自分の前と自分の後ろ、なにもの・ことより遠く離れたところに鏡を捉え、
鏡を覗けば表も裏もすべてが見える。
自分を中心に、なにもの・ことより遠く離れたところがすべて鏡なら、
鏡は円となり、
やがて、球体となる。
観ること。
それは鏡のことではないんだ。
球体となぜ解る?
球体と解るのは、それを"外"から観ているから。
観えていなければ解らないんだ。
球体を真球としてバランスをとること。
それは観えているからできること。
内側からバランスをとること。
それはシンプルになることでできること。
どちらからでもいいんだ。
感ずることは、観ずることになるのだから。
観ずることは、感ずることになるのだから。
分かち合えない人はいるわけで。
なにが大切で、なにが大事なのか。
皆、自分が解っているもの・ことを信じる。
間違っている人なんていない。
それでいいんだ。
自分の表現したものを観て見てください。
自分の価値観が表れていますよ。
一度表現した"もの"を無しとすることはできます。
一度表現した"こと"を無しとすることはできません。
もし、"こと"を無しとするなら、無しにすればすべてが無くなる。
続いているなにかが、続いていないということになるのだから。
自分にないものを表現することができるかい?
2003年10月31日俺にはできないw
表現できるのは、自分の"中"にあるものだけ。
自分の"外"にあるものを表現することはできない。
自分の"中"にあるから表現できるんだ。
自分がしたことのない経験を相手がしているとして、
その経験について、自分はなにが表現できるだろうね。
表現できることは、なにかの対象について
「自分は経験した」という体験、
「自分は経験したことがない」っていう未体験、
「自分も経験してみたい」という興味
等々、自分が自覚しているものだ。
基準は「自分」。
詰まり、
自分の知っている範囲でしか考えることができないし表現できない。
では、自分の知っている範囲とは、どれくらいの広さと深さなんだろうね。
秘密メモ 「光の音」について
表現できるのは、自分の"中"にあるものだけ。
自分の"外"にあるものを表現することはできない。
自分の"中"にあるから表現できるんだ。
自分がしたことのない経験を相手がしているとして、
その経験について、自分はなにが表現できるだろうね。
表現できることは、なにかの対象について
「自分は経験した」という体験、
「自分は経験したことがない」っていう未体験、
「自分も経験してみたい」という興味
等々、自分が自覚しているものだ。
基準は「自分」。
詰まり、
自分の知っている範囲でしか考えることができないし表現できない。
では、自分の知っている範囲とは、どれくらいの広さと深さなんだろうね。
秘密メモ 「光の音」について
良薬口に苦し
2003年10月30日自分のために本当に良いものは、苦しみを伴う。
まず、薬を飲まなければならない自分。
なぜ、飲まなければならない?
良い状態ではないから。
良い状態に戻るためのものが、おいしい薬であっていいんだろうか。
俺はそれじゃだめなんじゃないかと思ってる。
薬を飲むのは、身体を回復させる意味ももちろんあるけど、
自分の習慣とかそういうものを観直すためにあると感じてる。
自分の悪い習慣を直すためにこういう機会があるんだ と。
ちなみに、良い習慣を持っている人は、薬を飲まないよね。
悪い習慣だから、薬を飲むんだよ。
薬が苦いと「二度と薬は飲まない」と思うんじゃないかな。
でも、薬がおいしかったりすると二度、三度と飲みたがる。
薬がおいしいと懲りないよね。
てか、薬の前に、自分が苦しければ懲りるかも知れないけど。
苦しみを伴わない初期状態とかだと、懲りない。
っていうか、自覚していない。
それこそ悪い状態になったらなったで、
薬を飲めば治るんだからいいじゃん?と思うかも知れないね。
------------------------
【良薬口に苦し】
〔孔子家語〕よくきく薬は苦くて飲みにくい。本当に自分のためを思ってしてくれる忠告は、ありがたいが聞くのがつらい。
------------------------ (goo辞書より)
苦しいと思い、感じるときほど
自分のためになっているものなんだよね。
いくら良薬であっても
量を間違えれば毒となることも忘れずにね。
まず、薬を飲まなければならない自分。
なぜ、飲まなければならない?
良い状態ではないから。
良い状態に戻るためのものが、おいしい薬であっていいんだろうか。
俺はそれじゃだめなんじゃないかと思ってる。
薬を飲むのは、身体を回復させる意味ももちろんあるけど、
自分の習慣とかそういうものを観直すためにあると感じてる。
自分の悪い習慣を直すためにこういう機会があるんだ と。
ちなみに、良い習慣を持っている人は、薬を飲まないよね。
悪い習慣だから、薬を飲むんだよ。
薬が苦いと「二度と薬は飲まない」と思うんじゃないかな。
でも、薬がおいしかったりすると二度、三度と飲みたがる。
薬がおいしいと懲りないよね。
てか、薬の前に、自分が苦しければ懲りるかも知れないけど。
苦しみを伴わない初期状態とかだと、懲りない。
っていうか、自覚していない。
それこそ悪い状態になったらなったで、
薬を飲めば治るんだからいいじゃん?と思うかも知れないね。
------------------------
【良薬口に苦し】
〔孔子家語〕よくきく薬は苦くて飲みにくい。本当に自分のためを思ってしてくれる忠告は、ありがたいが聞くのがつらい。
------------------------ (goo辞書より)
苦しいと思い、感じるときほど
自分のためになっているものなんだよね。
いくら良薬であっても
量を間違えれば毒となることも忘れずにね。
言葉を使うものに偏りがあれば、言葉は偏ったものとして創られる。
2003年10月29日ひとつ言葉を知れば、考える。
ふたつ言葉を知れば、比べる。
みっつ言葉を知れば、繋がりを探す。
そうやって、言葉という知識は広がっていくんだ。
どんな言葉でもいい。
知ること。
知ることで、捉えられるようになり、使えるようになる。
言葉を知ることで、広さを知る。
言葉を解ることで、深さを知る。
広く深く
深く広くではなく、広く深く。
悩みの"出口"は、広さにはない。
悩みの"出口"が、深さにはある。
広さも必要で、深さも必要。
なにも考えずに知識を増やしてみてはどうだろう。
何も考えず増やす知識は使えないよって?
そう。広さとは、使えないものなんだ。
広い中になにを見出すのか。それが深さ。
本来、言葉には、偏りがあるわけじゃないんだ。
言葉を使うものに偏りがあれば、
言葉は偏ったものとして創られる。
だから、様々な表現が生まれる。
表現っていうものは、使う人によって形が変わるってことだね。
たとえば、「嫌い」という言葉であっても、
この言葉がよい意味だと思って使っていたらどうだろう。
「あの人が嫌い」
好きなのに嫌いっていったい? みたいなw
言葉とは本質から遠い。
気持ちも伝わるものじゃない。
そう、その人がなぜそう言うのか分かってあげなきゃねw
俺とあなた。
この気持ちが分かち合えたら、対話で、もっと言葉が使えるよ。
言葉が変わるんじゃないんだ。
俺とあなたの言葉の価値観が変わったから、言葉も変わるんだ。
言葉を分かり合うこと。
言葉の価値がお互い解るなら、
言葉から本当に伝えたいことが伝わる。
相手が言葉の価値を感じてくれるから。
だから、気持ちが伝わるんだ。
言葉を抜きにして、気持ちを伝えられるんだ。
言葉の価値観が一緒なら、伝わるのは気持ち、解るのは気持ち。
気持ちを伝えようとしてくれた意図も感じれるようになる。
そしたら、もっと幸せだねw
言葉ってさ
たとえば、なにかのゲームとかと一緒で
ルール(範囲)が解らないと楽しめないんだよね。
ルールも解らないのに、ゲームの楽しさなんて解らないw
価値観が偏ることなく、
その価値をちゃんと観れるということは、
幸せなことなのかも知れないね。
偏ってたら、もう片方は観えないよね。
ことわざとか、語句とか
そういうものを知ることは広さだね。
ことわざや語句は、複数の漢字や語句から成り立っている。
漢字は複数の漢字から成り立つ。
素になっている漢字の意味を知ること。
意味を知ることは、解ること。
結局、自分の中にあるもの。
対象のものが具体的であればあるほど、本質に遠い。
対象のものが抽象的であればあるほど、本質に近い。
要するに、自分の中に入っていけば行くほど近い。
深いとも言う。
観方を変えて、
相手の言葉を相手の言葉と捉えると、解らない。
相手の言葉を自分の言葉と捉えると、解る。
俺の言葉も、自分で偏ってるように感じるしw
表現しようとしているものが違うわけじゃないから。
ずっと同じものを表現しようとしている。
自分が偏っていることと、
大切で、大事ななにかが偏っていることとは、別の話。
行き着くところは同じだけど、今は別ということで。
ふたつ言葉を知れば、比べる。
みっつ言葉を知れば、繋がりを探す。
そうやって、言葉という知識は広がっていくんだ。
どんな言葉でもいい。
知ること。
知ることで、捉えられるようになり、使えるようになる。
言葉を知ることで、広さを知る。
言葉を解ることで、深さを知る。
広く深く
深く広くではなく、広く深く。
悩みの"出口"は、広さにはない。
悩みの"出口"が、深さにはある。
広さも必要で、深さも必要。
なにも考えずに知識を増やしてみてはどうだろう。
何も考えず増やす知識は使えないよって?
そう。広さとは、使えないものなんだ。
広い中になにを見出すのか。それが深さ。
本来、言葉には、偏りがあるわけじゃないんだ。
言葉を使うものに偏りがあれば、
言葉は偏ったものとして創られる。
だから、様々な表現が生まれる。
表現っていうものは、使う人によって形が変わるってことだね。
たとえば、「嫌い」という言葉であっても、
この言葉がよい意味だと思って使っていたらどうだろう。
「あの人が嫌い」
好きなのに嫌いっていったい? みたいなw
言葉とは本質から遠い。
気持ちも伝わるものじゃない。
そう、その人がなぜそう言うのか分かってあげなきゃねw
俺とあなた。
この気持ちが分かち合えたら、対話で、もっと言葉が使えるよ。
言葉が変わるんじゃないんだ。
俺とあなたの言葉の価値観が変わったから、言葉も変わるんだ。
言葉を分かり合うこと。
言葉の価値がお互い解るなら、
言葉から本当に伝えたいことが伝わる。
相手が言葉の価値を感じてくれるから。
だから、気持ちが伝わるんだ。
言葉を抜きにして、気持ちを伝えられるんだ。
言葉の価値観が一緒なら、伝わるのは気持ち、解るのは気持ち。
気持ちを伝えようとしてくれた意図も感じれるようになる。
そしたら、もっと幸せだねw
言葉ってさ
たとえば、なにかのゲームとかと一緒で
ルール(範囲)が解らないと楽しめないんだよね。
ルールも解らないのに、ゲームの楽しさなんて解らないw
価値観が偏ることなく、
その価値をちゃんと観れるということは、
幸せなことなのかも知れないね。
偏ってたら、もう片方は観えないよね。
ことわざとか、語句とか
そういうものを知ることは広さだね。
ことわざや語句は、複数の漢字や語句から成り立っている。
漢字は複数の漢字から成り立つ。
素になっている漢字の意味を知ること。
意味を知ることは、解ること。
結局、自分の中にあるもの。
対象のものが具体的であればあるほど、本質に遠い。
対象のものが抽象的であればあるほど、本質に近い。
要するに、自分の中に入っていけば行くほど近い。
深いとも言う。
観方を変えて、
相手の言葉を相手の言葉と捉えると、解らない。
相手の言葉を自分の言葉と捉えると、解る。
俺の言葉も、自分で偏ってるように感じるしw
表現しようとしているものが違うわけじゃないから。
ずっと同じものを表現しようとしている。
自分が偏っていることと、
大切で、大事ななにかが偏っていることとは、別の話。
行き着くところは同じだけど、今は別ということで。
理想の好きな人
2003年10月28日先日2003/10/26の日記に載せた天秤の補足
天秤の土台 身体
天秤の釣り合わせるもの 価値観
天秤の芯 自分自身・心
心と身体に芯がなかったら、天秤は成り立たない。
では、俺が「俺」と呼んでいるものはなんだろうね。
「自分」とも呼んでいるもの。
心が自分の外にあるのではなく、
自分という"自らを分けたもの"が外にいる。
あたりまえのように「自分」って言ってたけども、
普通に本当は外にいるものだったんだねw
自らを分けた時点で、自分は自身じゃないわけで。
自分自身とは、自分であり、自身なんだろうね。
んで、天秤の土台は身体。天秤の芯は心。
天秤の釣り合わせるものは価値観。
自分とは天秤を観るもの。
心身を観ている自分。
芯が作られていない間は歪み・痛む。
芯を作れるのは自分だけ。
心身では作れないんだ。
天秤を観れるのは自分だけ。
自分だけとは、自身からは観れないという意味。
自分を観れるのは自身だけ。
自分と自身という型を外したらどうだろう。
外すっていうか、バランスをとったというだけ。
観え方が変わるわけじゃないんだ。
バランスが釣り合う前は、どちらかに偏り、
バランスが釣り合ったからって、どちらも無いわけじゃない。
バランスが釣り合うことで、偏見がなくなるというだけ。
天秤の釣り合うものは、
その天秤に対し、正しい判断ができるというだけ。
偏見がないということ
平等ってことかな
理想の好きな人っている?
最近、理想って、型だと感じてます。
型が外れたとき、観えてくるものがある。
理想な人だから好き?
理想な人じゃないから好きじゃない?
「だから」好きなの?
「じゃなくても」好きなんじゃない?
理想と現実ってよく言われるよね。
理想の人がいても、現実には、違う人を選んでいたりする。
理想と現実では、なにが違うんだろうね。
理想の人とは、理想の型にピッタリはまる人のこと。
実際、理想の人がいればいいのにねw
少しでも理想と違えば不満に思うよねw
これさえなければ と。
どれだけ理想の型がしっかりイメージされているかは本人次第。
でも、イメージでは現実を超えられない。
理想の人が、
自分のイメージを良い意味で超える人であればいいけどw
良くも悪くもイメージを超えているんだ。
理想が高い人は、理想を思うイメージが強く型になっている人。
理想の低い人は、イメージがあやふや、または、型が大きい人。
どちらにしても型にハマっているんだね。
理想の高い、低いが問題じゃないんだ。
「理想」自体がそもそも問題なんだ。
今好きな人がいますか?
なぜ、好きなの?
嫌いなところってある?
なぜ、嫌いなの?
その人は、そういう人なんだよ。
ありのままじゃ好きになれないかな?
ありのままで、好きになれたら、好きになる一方なんだよ。
その人が、人生を共にする人じゃなくてもね。
同じだなんだよ。
ありのままに、その人を観て見ない?
そしたら、その人を好きになる一方だよ♪
ね。
天秤の土台 身体
天秤の釣り合わせるもの 価値観
天秤の芯 自分自身・心
心と身体に芯がなかったら、天秤は成り立たない。
では、俺が「俺」と呼んでいるものはなんだろうね。
「自分」とも呼んでいるもの。
心が自分の外にあるのではなく、
自分という"自らを分けたもの"が外にいる。
あたりまえのように「自分」って言ってたけども、
普通に本当は外にいるものだったんだねw
自らを分けた時点で、自分は自身じゃないわけで。
自分自身とは、自分であり、自身なんだろうね。
んで、天秤の土台は身体。天秤の芯は心。
天秤の釣り合わせるものは価値観。
自分とは天秤を観るもの。
心身を観ている自分。
芯が作られていない間は歪み・痛む。
芯を作れるのは自分だけ。
心身では作れないんだ。
天秤を観れるのは自分だけ。
自分だけとは、自身からは観れないという意味。
自分を観れるのは自身だけ。
自分と自身という型を外したらどうだろう。
外すっていうか、バランスをとったというだけ。
観え方が変わるわけじゃないんだ。
バランスが釣り合う前は、どちらかに偏り、
バランスが釣り合ったからって、どちらも無いわけじゃない。
バランスが釣り合うことで、偏見がなくなるというだけ。
天秤の釣り合うものは、
その天秤に対し、正しい判断ができるというだけ。
偏見がないということ
平等ってことかな
理想の好きな人っている?
最近、理想って、型だと感じてます。
型が外れたとき、観えてくるものがある。
理想な人だから好き?
理想な人じゃないから好きじゃない?
「だから」好きなの?
「じゃなくても」好きなんじゃない?
理想と現実ってよく言われるよね。
理想の人がいても、現実には、違う人を選んでいたりする。
理想と現実では、なにが違うんだろうね。
理想の人とは、理想の型にピッタリはまる人のこと。
実際、理想の人がいればいいのにねw
少しでも理想と違えば不満に思うよねw
これさえなければ と。
どれだけ理想の型がしっかりイメージされているかは本人次第。
でも、イメージでは現実を超えられない。
理想の人が、
自分のイメージを良い意味で超える人であればいいけどw
良くも悪くもイメージを超えているんだ。
理想が高い人は、理想を思うイメージが強く型になっている人。
理想の低い人は、イメージがあやふや、または、型が大きい人。
どちらにしても型にハマっているんだね。
理想の高い、低いが問題じゃないんだ。
「理想」自体がそもそも問題なんだ。
今好きな人がいますか?
なぜ、好きなの?
嫌いなところってある?
なぜ、嫌いなの?
その人は、そういう人なんだよ。
ありのままじゃ好きになれないかな?
ありのままで、好きになれたら、好きになる一方なんだよ。
その人が、人生を共にする人じゃなくてもね。
同じだなんだよ。
ありのままに、その人を観て見ない?
そしたら、その人を好きになる一方だよ♪
ね。
メビウスの帯
2003年10月27日メビウスの輪とも呼ばれている。
----------------------
【メビウスの帯】
帯を 1 回ひねって,一方の端の表と他方の端の裏をはり合わせたときにできる輪。この帯がつくる面は裏表の区別がつけられず(単側面),また左まわりと右まわりの区別がつけられない(向きのつけられない面)という性質をもつ。
---------------------- (goo辞書より)
物事に裏表はあるのだろうか。
裏表と言える時点で、頭の中にはあるんだろうねw
物事に裏表は本当にあるのだろうか。
自分の頭の中にではなく、
この世界に起こっている物事として観たなら。
なにが表で、なにが裏なんだろうね?
自分に見えるものが表で、見えないものが裏?
自分に観えるものが表で、観えないものが裏?
これは主観。
客観では、
なにが観えるもので、なにが観えないものなんだろうね。
というより、客観で観えないものって、結局主観じゃない?
主観で観えていないっていうか。
----------------------
【主観】
(1)対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき、またそのはたらきをなす者。通例、個別的な心理学的自我と同一視されるが、カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え、これが客観的認識を可能にするとする。
【客観】
(1)主観の認識・行為の対象となるもの。主観に現れるもの。世界。かっかん。
(2)特定の認識作用や関心を超えた一般的ないし普遍的なもの。主観から独立して存在するもの。客体。かっかん。
---------------------- (goo辞書より)
意味を見る限り、
客観とは、主観の一種だという観方もあるけど、
普遍的なもので、主観から独立して存在するものともある。
とりあえず、結論は、
主観で物事を観ているにも関わらず客観だと言っていませんか。
第一者(自分)は、主観
第二者(あなた)は、主観
第三者(誰か)は、主観
じゃ、客観とは?
客観とは、何者でもない。
個人的意識を省くことなく、包括するもの。
個人じゃないんだ。
誰かから見れば、それは、その誰かから見るということになる。
観ること無く観ること。
メビウスの輪
外にある輪を、内から輪を観ればどうだろう。
あたかも自分の中に輪があるように。
目に見えるものを捉えようとするから、捉えられないのかな。
自分の中にあるものを観れれば、捉えられる。
というより、観えれば、すでに捉えているっていうか。
そう。皆があたりまえに捉えているものやこと。
それは至極自然なことなんだ。
どんなに難しいものであっても、自分の中でそれを観ること。
難しくて捉えられなかったものが、容易く捉えられるかもよ。
主観でありながら、客観でもある。
客観でありながら、主観でもある。
この言葉たちが当てはまるバランスってどんなんだってねw
要するに、
自分が考えるものにはある型があり、
その型が外れない限り、正しい判断はできない。
主観から観ても、客観であるかのように判断できること。
客観から観ても、主観であるかのように判断できること。
主観・客観のバランスがとれたとき、
主観・客観という型は外れる。
型はこうやって、心のバランスがとれた時に外れていくんだ。
----------------------
【メビウスの帯】
帯を 1 回ひねって,一方の端の表と他方の端の裏をはり合わせたときにできる輪。この帯がつくる面は裏表の区別がつけられず(単側面),また左まわりと右まわりの区別がつけられない(向きのつけられない面)という性質をもつ。
---------------------- (goo辞書より)
物事に裏表はあるのだろうか。
裏表と言える時点で、頭の中にはあるんだろうねw
物事に裏表は本当にあるのだろうか。
自分の頭の中にではなく、
この世界に起こっている物事として観たなら。
なにが表で、なにが裏なんだろうね?
自分に見えるものが表で、見えないものが裏?
自分に観えるものが表で、観えないものが裏?
これは主観。
客観では、
なにが観えるもので、なにが観えないものなんだろうね。
というより、客観で観えないものって、結局主観じゃない?
主観で観えていないっていうか。
----------------------
【主観】
(1)対象について認識・行為・評価などを行う意識のはたらき、またそのはたらきをなす者。通例、個別的な心理学的自我と同一視されるが、カントの認識論では個別的内容を超えた超個人的な形式としての主観(超越論的主観)を考え、これが客観的認識を可能にするとする。
【客観】
(1)主観の認識・行為の対象となるもの。主観に現れるもの。世界。かっかん。
(2)特定の認識作用や関心を超えた一般的ないし普遍的なもの。主観から独立して存在するもの。客体。かっかん。
---------------------- (goo辞書より)
意味を見る限り、
客観とは、主観の一種だという観方もあるけど、
普遍的なもので、主観から独立して存在するものともある。
とりあえず、結論は、
主観で物事を観ているにも関わらず客観だと言っていませんか。
第一者(自分)は、主観
第二者(あなた)は、主観
第三者(誰か)は、主観
じゃ、客観とは?
客観とは、何者でもない。
個人的意識を省くことなく、包括するもの。
個人じゃないんだ。
誰かから見れば、それは、その誰かから見るということになる。
観ること無く観ること。
メビウスの輪
外にある輪を、内から輪を観ればどうだろう。
あたかも自分の中に輪があるように。
目に見えるものを捉えようとするから、捉えられないのかな。
自分の中にあるものを観れれば、捉えられる。
というより、観えれば、すでに捉えているっていうか。
そう。皆があたりまえに捉えているものやこと。
それは至極自然なことなんだ。
どんなに難しいものであっても、自分の中でそれを観ること。
難しくて捉えられなかったものが、容易く捉えられるかもよ。
主観でありながら、客観でもある。
客観でありながら、主観でもある。
この言葉たちが当てはまるバランスってどんなんだってねw
要するに、
自分が考えるものにはある型があり、
その型が外れない限り、正しい判断はできない。
主観から観ても、客観であるかのように判断できること。
客観から観ても、主観であるかのように判断できること。
主観・客観のバランスがとれたとき、
主観・客観という型は外れる。
型はこうやって、心のバランスがとれた時に外れていくんだ。
感性の為し得たもの 即ち 技術
2003年10月26日特命リサーチ200XII見たりしてw
古代ギリシア文明。
アンティキティラの歯車。
古代に現代よりも発達した文明があったとして、
飛行機が飛んだりすることが発達した文明なのだろうか。
科学が進歩することが技術なのだろうか。
技術はセンス。
感性の為し得たものだと感じる。
素晴らしいほど調った感性を持っていたとするなら、
式なんていらない。
だって、目に見えるものとして捉えなくても
捉えることができているんだから。
たとえば、ピラミッドとか。
あと、コスタリカの石球。
正四角形であり、真球。
素晴らしく調った感性を持っていたら、できるんじゃ?
美術の時間とかで、「正円」を描く練習をしたことがあるかな?
あとデッサン。
寸法を測らずに、見たままを描けるならどうだろう。
定規やコンパスなしで、
まっすぐな線や、綺麗な正円が描ける人がいるなら、
ありえませんか?
もちろん、なぜピラミッドや石球が必要だったかはおいといてw
すべてのバランスってさ、定義していくのもめんどうだけど。
トーナメントの図に、1戦ごとに1天秤を思い浮かべてください。
そのトーナメントの頂上にある天秤はひとつです。
頂上の天秤の左側には、またひとつ天秤があり、
頂上の天秤の右側にも、またひとつ天秤がある。
ひとつの天秤が観えてくること。
それはもう片方にある天秤も観えてくるということ。
すべての天秤は、すべてでひとつなんだ。
そして、頂上の天秤を支えているものが存在するんだ。
土台
土台が頂上の天秤を支えていて、
頂上の天秤が他のすべての天秤を支えている。
人でいうなら、身体。
身体が頂上の心を支えていて、
頂上の心が他のすべての心を支えてる。
もし、自分を、身体と頂上の心 と、捉えれるなら
身体はすっごく楽になり、心も軽くなるんじゃないかな。
古代ギリシア文明。
アンティキティラの歯車。
古代に現代よりも発達した文明があったとして、
飛行機が飛んだりすることが発達した文明なのだろうか。
科学が進歩することが技術なのだろうか。
技術はセンス。
感性の為し得たものだと感じる。
素晴らしいほど調った感性を持っていたとするなら、
式なんていらない。
だって、目に見えるものとして捉えなくても
捉えることができているんだから。
たとえば、ピラミッドとか。
あと、コスタリカの石球。
正四角形であり、真球。
素晴らしく調った感性を持っていたら、できるんじゃ?
美術の時間とかで、「正円」を描く練習をしたことがあるかな?
あとデッサン。
寸法を測らずに、見たままを描けるならどうだろう。
定規やコンパスなしで、
まっすぐな線や、綺麗な正円が描ける人がいるなら、
ありえませんか?
もちろん、なぜピラミッドや石球が必要だったかはおいといてw
すべてのバランスってさ、定義していくのもめんどうだけど。
トーナメントの図に、1戦ごとに1天秤を思い浮かべてください。
そのトーナメントの頂上にある天秤はひとつです。
頂上の天秤の左側には、またひとつ天秤があり、
頂上の天秤の右側にも、またひとつ天秤がある。
ひとつの天秤が観えてくること。
それはもう片方にある天秤も観えてくるということ。
すべての天秤は、すべてでひとつなんだ。
そして、頂上の天秤を支えているものが存在するんだ。
土台
土台が頂上の天秤を支えていて、
頂上の天秤が他のすべての天秤を支えている。
人でいうなら、身体。
身体が頂上の心を支えていて、
頂上の心が他のすべての心を支えてる。
もし、自分を、身体と頂上の心 と、捉えれるなら
身体はすっごく楽になり、心も軽くなるんじゃないかな。
"all for one" = "one for all"
2003年10月25日寝不足のとき
理性が弱まる。
酒を飲むということもまた、理性を弱めることになるのかもね。
7/20付けの日記(http://diary.note.ne.jp/26909/20030720)に書いた
>自分で考えるっていうか。
>考えてないのに、
>言葉や思いがあふれることってありませんか?
これってさ。
寝不足だから、
ナチュラルハイだから、
なるものじゃないね。
身体と心のバランスがとれた時に起こるものだね。
7/20付けで書いたときは、解らなかったけど、
寝不足は、身体をリラックスさせることと似ている。
というより、身体が睡眠を要求してくるから。
気持ちを緩ませると、いっきに夢の中へ みたいなw
この状態で、気持ちを高めていく、なにかに気持ちを集中すると
思いあふれる。
気持ちを集中するのであって、
意識が散っているのを集めるわけじゃない。
気持ちを集中していけば、意識は自然と集まってくる。
そして、解ったこと。
寝不足の状態で、気持ちを高めて、
バランスのとれた状態ってレベル低いんだねw
良い状態っていうのは、良い身体であり、良い心。
良い身体を心掛けているとしても、
良い心を心掛けていなければ、
良い状態は創られない。
理性を弱めた状態で、
バランスがとれるのは良い状態とは言えない。
理性が正常な状態で、
バランスがとれるからこそ、良い状態なんだ。
寝不足も同じ。
寝不足で身体が睡眠を要求してきて、身体が休まろうとする。
その状態はリラックスしようとしているということ。
寝不足とは、寝ることが不足しているということ。
足りていないんだ。
寝不足の状態でしかリラックスができないというなら、
寝不足でない状態ではリラックスができていないということ。
理性が、なにかに囚われたりしてるんだよね。
これはしちゃいけない、あれもだめ、それもだめ、とね。
では、なぜ、だめなんだろうね?
これはしていい、あれもいい、それもいい。
では、なぜ、してもいいんだろうね?
正しいものってなに?
自分の子供に教えれない人が増えているという。
今一度考えよう?
自分が正しいと思っているものはなんなのか。
そして、それはどうしてなのか。
理性の囚われをなくすこと。
それは、ちゃんと自分で観えるようになること。
頭で感じることとは、思うこと。
頭から意識を下ろし感じることは、感じること。
無念無想とは、頭を頭として使わないこと。
頭は身体の一部なんだ。
身体を身体として使い始めたとき、"思い"というものが変わる。
この状態でいう"思い"は、逆流なんてしていない。
静かな流れの中に、本来滲み出るものなんだ。
----------------------------------------------------------
なんか、4年前好きだった曲とか聴いてみたんだけど、
一般の人が作ってる曲って、けっこうリズムが合ってないのかも。
なんていうんだろ。
メインのリズムがすごくかっこいいとか思ってたけど、
その他のリズムのバランスが悪いゾ!とw
言うなれば、プロのオーケストラの曲は、
楽器のひとつひとつを聴いてもバランスがとれているっていうか。
そのひとつひとつのバランスがとれた中に、
すべてのバランスは含まれている。
そして、
すべてのバランスの中に、
ひとつひとつのバランスもとれているんだ。
all for one.
one for all.
昔、なんらかの"揺らぎ"が欲しいと思ってた。
今、その"揺らぎ"らしきものが感じれる。
"揺らぎ"はバランスのとれたものの中に現れるものだった。
揺ぎ無く揺らぐ中に、俺の求めていた"揺らぎ"はあった。
俺は自分の外からの"揺らぎ"を求めていたんじゃなかったんだ。
俺は自分の内からの"揺らぎ"を求めていたんだ。
やっと解ったよ。
ちなみに、絵にも同じことが言えるね。
絵というか、視覚。
なにかのバランスが"自然ととれてくる"ということは、
繋がって他のバランスも"自然ととれてくる"ということ。
理性が弱まる。
酒を飲むということもまた、理性を弱めることになるのかもね。
7/20付けの日記(http://diary.note.ne.jp/26909/20030720)に書いた
>自分で考えるっていうか。
>考えてないのに、
>言葉や思いがあふれることってありませんか?
これってさ。
寝不足だから、
ナチュラルハイだから、
なるものじゃないね。
身体と心のバランスがとれた時に起こるものだね。
7/20付けで書いたときは、解らなかったけど、
寝不足は、身体をリラックスさせることと似ている。
というより、身体が睡眠を要求してくるから。
気持ちを緩ませると、いっきに夢の中へ みたいなw
この状態で、気持ちを高めていく、なにかに気持ちを集中すると
思いあふれる。
気持ちを集中するのであって、
意識が散っているのを集めるわけじゃない。
気持ちを集中していけば、意識は自然と集まってくる。
そして、解ったこと。
寝不足の状態で、気持ちを高めて、
バランスのとれた状態ってレベル低いんだねw
良い状態っていうのは、良い身体であり、良い心。
良い身体を心掛けているとしても、
良い心を心掛けていなければ、
良い状態は創られない。
理性を弱めた状態で、
バランスがとれるのは良い状態とは言えない。
理性が正常な状態で、
バランスがとれるからこそ、良い状態なんだ。
寝不足も同じ。
寝不足で身体が睡眠を要求してきて、身体が休まろうとする。
その状態はリラックスしようとしているということ。
寝不足とは、寝ることが不足しているということ。
足りていないんだ。
寝不足の状態でしかリラックスができないというなら、
寝不足でない状態ではリラックスができていないということ。
理性が、なにかに囚われたりしてるんだよね。
これはしちゃいけない、あれもだめ、それもだめ、とね。
では、なぜ、だめなんだろうね?
これはしていい、あれもいい、それもいい。
では、なぜ、してもいいんだろうね?
正しいものってなに?
自分の子供に教えれない人が増えているという。
今一度考えよう?
自分が正しいと思っているものはなんなのか。
そして、それはどうしてなのか。
理性の囚われをなくすこと。
それは、ちゃんと自分で観えるようになること。
頭で感じることとは、思うこと。
頭から意識を下ろし感じることは、感じること。
無念無想とは、頭を頭として使わないこと。
頭は身体の一部なんだ。
身体を身体として使い始めたとき、"思い"というものが変わる。
この状態でいう"思い"は、逆流なんてしていない。
静かな流れの中に、本来滲み出るものなんだ。
----------------------------------------------------------
なんか、4年前好きだった曲とか聴いてみたんだけど、
一般の人が作ってる曲って、けっこうリズムが合ってないのかも。
なんていうんだろ。
メインのリズムがすごくかっこいいとか思ってたけど、
その他のリズムのバランスが悪いゾ!とw
言うなれば、プロのオーケストラの曲は、
楽器のひとつひとつを聴いてもバランスがとれているっていうか。
そのひとつひとつのバランスがとれた中に、
すべてのバランスは含まれている。
そして、
すべてのバランスの中に、
ひとつひとつのバランスもとれているんだ。
all for one.
one for all.
昔、なんらかの"揺らぎ"が欲しいと思ってた。
今、その"揺らぎ"らしきものが感じれる。
"揺らぎ"はバランスのとれたものの中に現れるものだった。
揺ぎ無く揺らぐ中に、俺の求めていた"揺らぎ"はあった。
俺は自分の外からの"揺らぎ"を求めていたんじゃなかったんだ。
俺は自分の内からの"揺らぎ"を求めていたんだ。
やっと解ったよ。
ちなみに、絵にも同じことが言えるね。
絵というか、視覚。
なにかのバランスが"自然ととれてくる"ということは、
繋がって他のバランスも"自然ととれてくる"ということ。
物を必要としない 心の豊かさ
2003年10月24日物を与えないっていうより、
物を必要としないっていう方が適切だね。
必要と書いて、必ず要ると読む。
本当に必要な物は手に入っている。
それ以上に必要な物ってなんだろうね。
そういえば、
貧乏になるほど、心が豊かになり、
金持ちになるほど、心が乏しくなる
という話をけっこう聞く。
物が溢れている今の日本だからこそなのかもね。
日々、なにかが足りないと感じている。
あぁ、書こうとしてなんだけど、
先日も書いたように、まだ身として、理解していないからかw
落ち着き。
そして、感じるんだ。
なにが足りない?
足りないものは自分の外にあるものではない。
自分の中にあるものが見付からないだけだ。
「悟りとはさまざまなカルマ(業)との闘いである。」
智慧の光を持ってして、心を浄化していくしかないらしい。
足りないと感じるものを
外で見出すことも、内で見出すことも同じ。
見付かるってことは、
中のことがちょっと解るようになるってことなんだ。
少しずつでもいいじゃない。
日々、一歩ずつでも自分で踏みしめよう。
伝えれる喜び
受け入れようとしてくれる嬉しさ
伝わる喜び
受け入れてくれる嬉しさ
伝えてくれる嬉しさ
分かる喜び
伝わる嬉しさ
感じれる幸せ
物を必要としないっていう方が適切だね。
必要と書いて、必ず要ると読む。
本当に必要な物は手に入っている。
それ以上に必要な物ってなんだろうね。
そういえば、
貧乏になるほど、心が豊かになり、
金持ちになるほど、心が乏しくなる
という話をけっこう聞く。
物が溢れている今の日本だからこそなのかもね。
日々、なにかが足りないと感じている。
あぁ、書こうとしてなんだけど、
先日も書いたように、まだ身として、理解していないからかw
落ち着き。
そして、感じるんだ。
なにが足りない?
足りないものは自分の外にあるものではない。
自分の中にあるものが見付からないだけだ。
「悟りとはさまざまなカルマ(業)との闘いである。」
智慧の光を持ってして、心を浄化していくしかないらしい。
足りないと感じるものを
外で見出すことも、内で見出すことも同じ。
見付かるってことは、
中のことがちょっと解るようになるってことなんだ。
少しずつでもいいじゃない。
日々、一歩ずつでも自分で踏みしめよう。
伝えれる喜び
受け入れようとしてくれる嬉しさ
伝わる喜び
受け入れてくれる嬉しさ
伝えてくれる嬉しさ
分かる喜び
伝わる嬉しさ
感じれる幸せ
感性は感じなきゃ磨かれない
2003年10月23日なにも思わず
なにも力まず
姿勢を正す
気持ちが落ち着く
気持ちを感じ
気持ちを理解する
気持ちが解放される
解放しながら落ち着くより、
落ち着きながら解放する方が易しい。
難しいことは、めんどくさいからやらない。
易しいことは、やりたがる。
本当は易しいものなんだ。
子供の頃を思い出してみて。
どんなことでもなんだってできると思っていた頃を。
易しいと思う・感じるから、やりたがるし、できる。
理に適ってるね。
野球、サッカー、ドッチボール、キャッチボール、ママゴト等々
友達と遊ぶときなにしてた?
ひとつの遊びであっても、子供の数だけ遊び方がある。
友達と遊ぶとき、どんな"遊び方"してた?
ママゴトセットがなきゃママゴトができない?
なにか道具がなきゃ遊ぶことができない?
他に道具なんていらないよ。
自分というものがある。
遊ぶのに、自分と友達以外、他になにが必要なんだろうね。
ていうか、ないものはない。
だったら、代用でもいいんじゃない?
見立ててもいいんじゃない?
子供に頭がよくなってほしいから、
"頭がよくなる"おもちゃを買ってあげたとする。
それは頭を固まらせることになると感じる。
型にハメてさせる必要ないんじゃない?
まだ型が少ない時期に足かせつけるのはどうなんだろう。
っていうか、人によって"頭がいい"という定義が違うよねw
物を与えるのではなく、遊び方を教えてあげるのも、
ひとつだと感じます。
物を与えない豊かさ
感性は感じなきゃ磨かれない
隙がない人
今を感じられている人は隙のない人
隙のない人は今を感じられている人
隙がないということは、隙がないわけではない。
隙があるとかないとか区別がつかないこと。
これを隙がないと表現する。
なにも力まず
姿勢を正す
気持ちが落ち着く
気持ちを感じ
気持ちを理解する
気持ちが解放される
解放しながら落ち着くより、
落ち着きながら解放する方が易しい。
難しいことは、めんどくさいからやらない。
易しいことは、やりたがる。
本当は易しいものなんだ。
子供の頃を思い出してみて。
どんなことでもなんだってできると思っていた頃を。
易しいと思う・感じるから、やりたがるし、できる。
理に適ってるね。
野球、サッカー、ドッチボール、キャッチボール、ママゴト等々
友達と遊ぶときなにしてた?
ひとつの遊びであっても、子供の数だけ遊び方がある。
友達と遊ぶとき、どんな"遊び方"してた?
ママゴトセットがなきゃママゴトができない?
なにか道具がなきゃ遊ぶことができない?
他に道具なんていらないよ。
自分というものがある。
遊ぶのに、自分と友達以外、他になにが必要なんだろうね。
ていうか、ないものはない。
だったら、代用でもいいんじゃない?
見立ててもいいんじゃない?
子供に頭がよくなってほしいから、
"頭がよくなる"おもちゃを買ってあげたとする。
それは頭を固まらせることになると感じる。
型にハメてさせる必要ないんじゃない?
まだ型が少ない時期に足かせつけるのはどうなんだろう。
っていうか、人によって"頭がいい"という定義が違うよねw
物を与えるのではなく、遊び方を教えてあげるのも、
ひとつだと感じます。
物を与えない豊かさ
感性は感じなきゃ磨かれない
隙がない人
今を感じられている人は隙のない人
隙のない人は今を感じられている人
隙がないということは、隙がないわけではない。
隙があるとかないとか区別がつかないこと。
これを隙がないと表現する。
完成しているものに手を加えようとすること。それはバランスを崩そうとすること。
2003年10月22日起きる出来事はすべて完成している。
文句の付けようがない。
言葉に自分の気持ちをハメこむ。
そしたら、自分がその言葉に合った自分になる。
相手の言葉と自分の言葉
同じ言葉なんだ
言葉に違いがあるんじゃなくて、言葉の中身に違いがあるんだ。
言葉の型が解ると、相手の言葉の型も分かる。
言葉の型って、言うなれば、
「こんにちは」とか、挨拶というもののこと。
「ありがとう」とか、感謝というもののこと。
意味不明w
相手に自分が「こんにちは」と言ったとする。
なぜ、「こんにちは」と自分は言ったんだろうね。
その答えは相手に伝わるものかな?
欲しい欲しいと思っているときには手に入らないものがある。
それを諦めることができたとき、手に入るものがある。
満足
文句の付けようがない。
言葉に自分の気持ちをハメこむ。
そしたら、自分がその言葉に合った自分になる。
相手の言葉と自分の言葉
同じ言葉なんだ
言葉に違いがあるんじゃなくて、言葉の中身に違いがあるんだ。
言葉の型が解ると、相手の言葉の型も分かる。
言葉の型って、言うなれば、
「こんにちは」とか、挨拶というもののこと。
「ありがとう」とか、感謝というもののこと。
意味不明w
相手に自分が「こんにちは」と言ったとする。
なぜ、「こんにちは」と自分は言ったんだろうね。
その答えは相手に伝わるものかな?
欲しい欲しいと思っているときには手に入らないものがある。
それを諦めることができたとき、手に入るものがある。
満足
Re: password
2003年10月21日自分のための大切な合言葉
よく落ち込んだ日は、よい言葉が心に響く。
その響きにリズムに乗り始めたら、
落ち込んだ日なんて乗り越えていける。
自分の今の気持ちにあった曲を選択する。
こんな気持ちになるとき、いつも聴く曲がある。
「それが大事」(大事MANブラザーズバンド)
この曲を聴くのは久しぶり。
やっぱり戻ってきちゃったよ。
前よりちょっと歌詞が分かるようになってる。
今まで溜めてきた分の気持ちが溢れてくる。
溢れた気持ちが曲に混ざる。
そうやって、気持ちと音は混ざるんだね。
日常
他愛も無いこと
それでいい
それでいいんだ
いずれ本当に大切なものと大事なことだけが残るよ。
その時がくるまで、合言葉を掛けていこう。
大切なものは解ったかい?
大事なことは解ったかい?
今これを見ている自分へ
大切なものを感じよう
大事なことを感じよう
大切なものに感じよう
大事なことに感じよう
それはとても身近なもの・ことなんだ
よく落ち込んだ日は、よい言葉が心に響く。
その響きにリズムに乗り始めたら、
落ち込んだ日なんて乗り越えていける。
自分の今の気持ちにあった曲を選択する。
こんな気持ちになるとき、いつも聴く曲がある。
「それが大事」(大事MANブラザーズバンド)
この曲を聴くのは久しぶり。
やっぱり戻ってきちゃったよ。
前よりちょっと歌詞が分かるようになってる。
今まで溜めてきた分の気持ちが溢れてくる。
溢れた気持ちが曲に混ざる。
そうやって、気持ちと音は混ざるんだね。
日常
他愛も無いこと
それでいい
それでいいんだ
いずれ本当に大切なものと大事なことだけが残るよ。
その時がくるまで、合言葉を掛けていこう。
大切なものは解ったかい?
大事なことは解ったかい?
今これを見ている自分へ
大切なものを感じよう
大事なことを感じよう
大切なものに感じよう
大事なことに感じよう
それはとても身近なもの・ことなんだ
どんな時でも、なにが大切で、なにが大事なもの・ことなのか。それがすべてさ♪
2003年10月20日ひとつのことを知っていくと、自然と他にも繋がっていく。
書道から剣術を悟るように。
物事を知っていくということは、
まず、物事の種類を知り、幅を広げる。
そして、ある地点を超えると物事の理解を深めていく。
幅を広げることと理解を深めていくことは違う。
知る幅が知識と呼ばれるものであり、知識を広げるということ。
ひとつひとつの知識を理解していくことが、深さということ。
演繹法と帰納法
どちらにも言えることだけど、知識を解らずしては扱えない。
それがどういうものなのか。
それが解るからこそ、演繹法も帰納法も使える。
大事なことは、
演繹法が使えるのも、帰納法が使えるのも、
どちらも式か解が解るからできるということ。
大切なことは、
演繹法と帰納法が扱えることではなく、
扱えるのも、扱えないのも、
自分が解っているかいないかの差ということ。
掃除
掃除ができる人は心の綺麗な人と言われていますが、
ほんとだねとか気付いたりw
掃除って言ってもいろいろとあるけどさ。
部屋の掃除とか、トイレの掃除、台所の掃除、
玄関の掃除、棚の上の掃除等。
掃除は心の修行だって言われていますよね。
掃除をして部屋が綺麗になったとするよね。
見える場所だけ綺麗にしていることってないです?
それか、めんどくさいからここは今度にしよう みたいな。
解っているのにやらないのは、心の問題だよね。
また、やらなければならないっていうのは、過剰なのかもね。
解っているならできるようになろう。
それが今自分にできることなんだ。
部屋が綺麗になるのは当然で、
自分の心も爽快になる。
昔の人は手間掛かってるもんね。
廊下は雑巾掛け。
玄関や庭はほうきで掃く。
棚等の埃ははたき(はたきがなかったら乾いた雑巾)で。
トイレはどうやって掃除してたんだろう?
紙で掃除してたのかな。
とまぁ、今とは比べ物にならないような感じで。
今でもさ、
便利なものに頼らず、
最小限のもので事を済ますことができるのは理に適ってると感じる。
時間掛かるけど。
どっか行くとき、どれくらい荷物持っていく?
少なければ少ないほど身軽だよね。
荷物だけの意味じゃなくね。
ちなみに、お金は持って行けないとしたらどうだろう?
どれくらい荷物持っていく?
目的地次第だろうけどw
ドラマ「ビギナー」好きです。
あれくらい明けても暮れても
そのことについて熱く語れるっていいなぁと思うわけで。
日記で書いてることを熱く語れる人が
徐々にまわりに集まってきてくれてますけどねw
自分の好きなものに気付くこと。
大事なことだと感じます。
誰かにハメこまれた型じゃなくね。
自分の心の傾向というか。
あぁ、自分ってこういうもの好きなんだ?みたいな。
自然なものに気付くって素敵なことだと思う。
あたりまえのことなんだけどね。
あたりまえだからこそ、俺は魅力を感じてる。
言葉ってさ、すごく力があるものなのかも知れないね。
言葉っていうか、一言っていうか、一音っていうか。
「あ」「い」「う」「え」「お」
身体の音を表したものだっけ。
この5つが素で。そして「ん」。
か行、さ行、た行、な行・・・等々。
これって「らしさ」っていうかね。
「あ」と「か」の違いみたいな。
これ以上まとまってないけどw
なんか、気になってる。
書道から剣術を悟るように。
物事を知っていくということは、
まず、物事の種類を知り、幅を広げる。
そして、ある地点を超えると物事の理解を深めていく。
幅を広げることと理解を深めていくことは違う。
知る幅が知識と呼ばれるものであり、知識を広げるということ。
ひとつひとつの知識を理解していくことが、深さということ。
演繹法と帰納法
どちらにも言えることだけど、知識を解らずしては扱えない。
それがどういうものなのか。
それが解るからこそ、演繹法も帰納法も使える。
大事なことは、
演繹法が使えるのも、帰納法が使えるのも、
どちらも式か解が解るからできるということ。
大切なことは、
演繹法と帰納法が扱えることではなく、
扱えるのも、扱えないのも、
自分が解っているかいないかの差ということ。
掃除
掃除ができる人は心の綺麗な人と言われていますが、
ほんとだねとか気付いたりw
掃除って言ってもいろいろとあるけどさ。
部屋の掃除とか、トイレの掃除、台所の掃除、
玄関の掃除、棚の上の掃除等。
掃除は心の修行だって言われていますよね。
掃除をして部屋が綺麗になったとするよね。
見える場所だけ綺麗にしていることってないです?
それか、めんどくさいからここは今度にしよう みたいな。
解っているのにやらないのは、心の問題だよね。
また、やらなければならないっていうのは、過剰なのかもね。
解っているならできるようになろう。
それが今自分にできることなんだ。
部屋が綺麗になるのは当然で、
自分の心も爽快になる。
昔の人は手間掛かってるもんね。
廊下は雑巾掛け。
玄関や庭はほうきで掃く。
棚等の埃ははたき(はたきがなかったら乾いた雑巾)で。
トイレはどうやって掃除してたんだろう?
紙で掃除してたのかな。
とまぁ、今とは比べ物にならないような感じで。
今でもさ、
便利なものに頼らず、
最小限のもので事を済ますことができるのは理に適ってると感じる。
時間掛かるけど。
どっか行くとき、どれくらい荷物持っていく?
少なければ少ないほど身軽だよね。
荷物だけの意味じゃなくね。
ちなみに、お金は持って行けないとしたらどうだろう?
どれくらい荷物持っていく?
目的地次第だろうけどw
ドラマ「ビギナー」好きです。
あれくらい明けても暮れても
そのことについて熱く語れるっていいなぁと思うわけで。
日記で書いてることを熱く語れる人が
徐々にまわりに集まってきてくれてますけどねw
自分の好きなものに気付くこと。
大事なことだと感じます。
誰かにハメこまれた型じゃなくね。
自分の心の傾向というか。
あぁ、自分ってこういうもの好きなんだ?みたいな。
自然なものに気付くって素敵なことだと思う。
あたりまえのことなんだけどね。
あたりまえだからこそ、俺は魅力を感じてる。
言葉ってさ、すごく力があるものなのかも知れないね。
言葉っていうか、一言っていうか、一音っていうか。
「あ」「い」「う」「え」「お」
身体の音を表したものだっけ。
この5つが素で。そして「ん」。
か行、さ行、た行、な行・・・等々。
これって「らしさ」っていうかね。
「あ」と「か」の違いみたいな。
これ以上まとまってないけどw
なんか、気になってる。
体調管理
2003年10月19日やっぱ早く寝ないとだめですねw
おもいっきし風邪ひきましたよ><
今日、5分に1回は鼻かんでたし。
身体を大事に。
天命は平等に120年あると誰かが言ってたね。
身体の命が120年あるように思う。
それを真っ当に120年まで生きれるかって言ったら・・・。
身体に負担をかけてる自分。
余計なこと考えて、身体に力を使わせているのも自分。
なにかを思い、酸素を多く消費するのも自分。
気功は、身体を自由にしてあげることになるのかも。
まったくもって、話の展開とか考えてませんけど。
とりあえず、今熱があります。
この熱もまた、落ち着けば下がっていく。
自分の身体。
自分と身体。
俺は、自分と身体だと感じる。
その上で、合わせて自分と呼ぶ。
なにが言いたいんだってねw
なんとなくだ。
考えてない。
浮かぶままに。
こういう日が頻繁にあるのもどうかとは思うけどw
こういう日があるといいかもと思う。
熱がある状態って、精神的に思考が低下するね。
感じることも低下してるけど。
でも、それを感じている自分はいるんだ。
この感覚を大事にしていく。
この気持ちを大切にしていく。
いつも無理させてごめんね。
ありがとうね。
これからもどうかよろしくお願いします。
おもいっきし風邪ひきましたよ><
今日、5分に1回は鼻かんでたし。
身体を大事に。
天命は平等に120年あると誰かが言ってたね。
身体の命が120年あるように思う。
それを真っ当に120年まで生きれるかって言ったら・・・。
身体に負担をかけてる自分。
余計なこと考えて、身体に力を使わせているのも自分。
なにかを思い、酸素を多く消費するのも自分。
気功は、身体を自由にしてあげることになるのかも。
まったくもって、話の展開とか考えてませんけど。
とりあえず、今熱があります。
この熱もまた、落ち着けば下がっていく。
自分の身体。
自分と身体。
俺は、自分と身体だと感じる。
その上で、合わせて自分と呼ぶ。
なにが言いたいんだってねw
なんとなくだ。
考えてない。
浮かぶままに。
こういう日が頻繁にあるのもどうかとは思うけどw
こういう日があるといいかもと思う。
熱がある状態って、精神的に思考が低下するね。
感じることも低下してるけど。
でも、それを感じている自分はいるんだ。
この感覚を大事にしていく。
この気持ちを大切にしていく。
いつも無理させてごめんね。
ありがとうね。
これからもどうかよろしくお願いします。