2006年7月9日
HITOTSU学プロンプトセミナーを興味あって参加させて頂いた。
内容について触れません。

ひとつ自分の直近の課題が見えた。

「集中力」(他の用語で言うと「サマーディ」)

求めるところへ至るには、避けては通れないようで。
一歩でも半歩でも歩んで行くしかない。

 
参考情報:
 ・ヴィパッサナー、サマーディ
  http://www.satisati.jp/2-1-1page.htm

 ・HITOTSU学とは
  http://1.peace-production.jp/?pid=664

 

物事の布石と定石

2006年7月7日
出来事に対し
自分がどう動こうと
それもまた一出来事

たとえ
それで行動したことで傷付いたとしても
それもまた一出来事

後悔した出来事も
今それを身に付ける為にあった出来事

要は
より好い自分に成る為に

思い込む必要もなく
自然に
そのままで
在るがままに
自分を見失わないように

たとえ
見失ったとしても
それを後悔しないように

たとえ
後悔したとしても
それが今の自分の為に成っていることを忘れずに

たとえ
心を亡くしたとしても
再びそれに気付くことが出来れば
心は身付かる

自分を見付けられる

たとえ
気付けなかったとしても
今それに気付くことが出来れば
今変われる

自分を見付けられる自分に

 
伝わらないことに苛立つことってない?

反応の鈍いことに苛立つことってない?

でも、相手には相手の都合っていうものがあるんだよ。

観方を変えて、考え方のひとつとして、

(あ、今)苛立った
(どうして?)期待している応えが返って来ないからだ(と思った)

という観方も出来るし、

そもそもこの場は、表現させて頂く為にあって、表現させて頂いた。
表現させて頂いたのに、まだ欲しいと苛立ち欲する自分。

という観方も出来る。

上も下も似たようなもんだけどw

結局、少しでも気付くことが出来たのだから有り難い♪

 
信じられても信じられなくても構わない。

盲信していることは多く、
盲信していることに気付いていない。

自分の信じていることを確かめる。
そしたら、それが真実なのかわかる。

だから、
信じることも出来るし、信じないことも出来る。

でも、頭の中が盲信だらけなら、
確かめることは容易ではない。

だから、
盲信を取っ払って行く為に、
ありふれた小さなところから確かめて行こう。

盲信から確信へ

確信に至ったら、
信じる必要もないし、信じない必要もない。

だって、もう確かめたでしょ?

信じても信じなくても揺るがないことを。

 

質問

2006年6月22日
(一般的な)答えのない問い

質を量る問い

その問いから返って来る相手の一挙手一投足が

すべて答えに成り得る

人のものさしで人を測ろうとしても測れない

相手のことを判ろうとするより

相手のことを分ろうとすると

自然と相手の質を問うことに成って行く

答えに、相手の価値観が見えて来る

 

synchronized

2006年6月20日
昨日(19日の夜)、説明させて頂いていなかったら。

一昨日(18日の夜)、この日記を書いていなければ。

その他諸々がなければ。

今日、この本を受け取ることが出来なかった。

この本の言葉に気付くことが出来なかった。

 
今日、この本を受け取ることが出来た。

この本の言葉に気付くことが出来た。

 

極つぶ

2006年6月19日
誰かが自分の流れを止めてくれる・変えてくれることはなくて

ただ、

自分を止めたい・変わりたいと望む自分が

自分を変えてくれるよ

 
そこに駆け引きなんて要らなくて

ただ、

自分が望んでいることに気付いて

それに応えることができれば

流れは止まる・変わるよ

 
とても主張の小さな自分だけど

その小さなひとつずつの粒は

自分の行動に現れて

その動きをよく見れば見るほど

たくさん粒が集まっているように見えるんだ

小さな粒が繋がって大きく繋がっていることに気付くんだ

 
劇的な変化を求めていても

変わらないものは変わらなくて

たとえひとつが小さな粒であっても

ひとつでもふたつでも希望に繋げて行く方が

近い道なんだよ

 
最初はもちろん変哲もないくらい粒は見えなくて

自信を見失うかも知れないけど

ひとつでも繋げようとしたことは

間違いなく粒は動いているよ

 
ねぇ

自分はどうしたいの?

ゆっくり考えてみて

そして、

小さな小さな粒の声が聞こえたら

その粒を導いてあげてよ

その粒、ひとつひとつが

自らの分身なんだから

 
日曜、月曜と風邪引いてました。
今回の風邪は思ったよりも強く(、治癒力が思ったよりも弱く)、
9割方治まるのに丸2日時間がかかりました。
症状の変化は、
扁桃腺の痛み→発熱→鼻水&頭痛→鼻水→微妙に咳 でした。

今回の消費量は、
鼻水用に、ティッシュ1箱とトイレットペーパー1本でしたw

あ、いつも通り薬は飲んでません。
ビタミン系が不足していたものと思われます。
2日目にビタミン系摂取したら思いのほか、治まったので。

体温計とかで計ってない(そもそも体温計を持たない)ので、
どれくらいの熱が出てたか判りませんけど、
自分基準では、けっこうガンガンでした。

そこで意識を保つのに役立つのが気付きでw

 

道を探る

2006年6月10日
同じ課題というものはなくて

同じような課題に見えるものは概念としてあって

その概念に揺らがされ

律することを止め

流れに任せてしまう

他のせいではなくて

自分の所為で起こるべくして起こっている

 
課題というものは概念だということを知っていても

それが覚るように成る過程は必ず通る

その過程を課題と言うだけ

 

一本道

2006年6月10日
幸せ恐怖症?

俺も無明なだけ

リラックスに集中して行っても

ある段階で揺らがせてしまうのは自分で

その段階を越えれずに違う方へ向って約1年

この課題にようやく眼を向けることが出来始めている

遠回りをした?

いいや、一本道だったよ

向き合う準備が調って来たから

またその課題が見えて来た

 

占いと運命

2006年6月7日
2005/11/26 占いと運命
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たとえば

血液型、生年月日の占いなど

相手との相性が悪く

合わないと思ったりしていませんか?


占いなどの相性関係なく

一緒にいることができる人たちはいます


どうして一緒にいれないと思いますか?


運命のせいにしない者は、己に克てる者だけ
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人の間に

2006年6月4日
2006/02/24 人の間に
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書いて置きたい。

去年の6、7月くらいに会社に来た男性がいる。

その人は、雰囲気が近いとなんとなく判ってた。
というか、似てる とね。

8月にジムの帰りにバーで飲んでいる彼らを見かけ話し掛けた。
似てるとかどうのとか言う話も出たね。

それがあってから、けっこう普通に話すようになったよね。

そして、今。
俺の歩が進まないことに対し、俺の歩を、俺を進めようとしてくれている。

彼から出で来る言葉
俺が過去に日記で書いてきた言葉達が見事に俺に帰って来ている。
こんなことあるんだね・・・と、思う次第。
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課題

2006年5月27日
どこかへ誘って、
来れない人もいて、来れる人もいる。

柵がなかったら楽々動けるのに、
柵で思うように動けない。

実際、
来ないことよりも、来れないことの方が多い。
行かないことよりも、行けないことの方が多い。

行けない人と話していて、
その人がそこから動けない課題が見えた。

来なくても、来れなくても

行かなくても、行けなくても

解決するに値する課題が

そこにあるから

出で来ることに早く向き合うこと

それが柵を解き放ち

自由に動けるようになるステップだから

 
何に苦しんでいるのか

背負って、追われているのは判るのに

どうしてそう成ったのか解らないから

また、背負って

また、追われる

 
★転送・転載歓迎・・・・・
*  *  *  *  *  *  *  *  *  *

日本で繰り返されてきた、間違った方向での開発。
その中でも最悪の施設が今、動き出そうとしています。

六ヶ所再処理工場

建設費2兆1400億円

煙突からは原発の240倍もの放射能

海には原発の20倍もの放射能

毎年、長崎原爆1000発分のプルトニウム

核のゴミ「回収ウラン」768トン/年

高レベル放射性廃棄物(死の灰)24トン/年

事故が起きなくても、1日で原発の約1年分の放射能が青森中に

乳幼児ほど、放射能に弱いのです。
アメリカでは原発閉鎖後、乳幼児死亡率が半分に低下

三陸沖のおいしい牡蠣や魚介類も安心して食べられなくなります

工場の1パーセントの放射能がもれただけで、
半数が死亡してしまう全員避難地域が青森県ほぼ全域と北海道の一部
乳幼児と妊婦は避難しなければならない地域が、東北地方のほぼ全域と北海道の半分以上
一般人の許容量の限界まで放射能が来る範囲が、首都圏全域、名古屋、福井のあたりまで。

データは、『六ヶ所が好きだ:守るべしおらんどのふるさと』から

●六ヶ所再処理工場のアクティブ試験を考える議員と市民の集い●
−お米1kgに放射能90ベクレルも入っていいの?−

日時:3月8日(水)13時30分〜15時
場所:衆議院第2議員会館 第4会議室
講師:澤井正子さん(原子力資料情報室)

六ヶ所村再処理工場で、本格的稼動に向けて使用済み燃料を使ってのアクティブ試験実施の動きが進んでいます。これについていくつもの問題点が指摘されています。

1.使用済み燃料を使うので、プルトニウムが抽出されます。その使用計画は実現性があるのでしょうか。

2.現在でも設備の欠陥がつぎつぎ明らかになっています。最近も低レベル廃棄物処理建屋内で、低レベルの放射性廃液が漏れる事故が発生しました。

3.周辺の放射能汚染も心配です。青森県が発表したデータでも、米1kgに放射能90ベクレルが入ることになっています。これは通常の2倍の量です。

ほんとにアクティブ試験をはじめても大丈夫なのでしょうか。

ずっと六ヶ所再処理工場に関わり続けている原子力資料情報室の澤井正子さんに、問題点や現地の最新情報も含めてお話を聞き、議員の方々と市民が協力して何をやっていけばいいのかを考えたいと思います。お忙しいと存じますが、ぜひご参加をお願いいたします。

共催
原子力政策“転換”議員懇談会(金田誠一衆議院議員、近藤正道参議院議員)
再処理止めたい首都圏市民の集い(日本消費者連盟、原子力資料情報室)

●今日(3月7日)の新聞記事から
原発から4キロ・メートルの廃村の幼稚園前で10マイクロ・シーベルトを記録。
1年暮らすと一般人の被曝(ひばく)許容量の90倍近い放射線を浴びる計算になる値だ。もちろん短時間なら問題ないが、線量計を見ていると不安になる。

事故では広島型原爆500発分の放射性物質が放出された。放射能が半分に減る期間(半減期)は、セシウムやストロンチウムで約30年。プルトニウムに至っては2万4000年もかかる。立ち入り制限を解除するめどは立っていない。
(読売新聞)
*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *
転送ココまで

もうひとつ、青森からの要請です。
以下、転送
************************************************
皆様へ

六ヶ所再処理工場のアクティヴ試験が強行されようとしています。
再処理工場はご存知のように、極めて危険であるだけではなく、経済的にも見合わず技術も未確立です。
試験は本格操業と同様の作業を行ないます。放射能を通常時でも、原発1年分を1日で放出します。県の資料にもはっきりと「環境の放射能レベルが上がる」と書かれているほどです。試験が強行されたら、周辺の空気・海水・野菜や米などあらゆるものが汚染されます。
東海村や海外の施設で続出した事故の恐れも十二分にあります。事故が起こり施設外に大量の放射能が放出されたらどうなるのか、考えるだけで恐ろしくなります。

そこで、お願いなのですが、県知事宛に抗議のメールかファックスを出していただきたいのです。とりわけ、県外・都市部の方々の抗議の声を届けて欲しいのです。
あて先は  
  ファックスは  017−734−6941  
         県会議員・鹿内博氏の議会事務所です。
         鹿内さんが知事に届けます。
  メールは  hisyo@pref.aomori.lg.jp
         秘書課あてです。

周りの方にもお伝え頂けると嬉しいです。
緊急のお願いですがよろしくお願いいたします。

--
上記、もしお志ありましたら、皆様もご協力お願い致しますと共に、皆様の日記にも転載して、広めて頂けます様よろしくお願いいたします。

人求む!

2006年5月15日
昨日、帰りの電車の中で、ふと
自分の求めている相手像が見えたので。

人求む!

例えば、外見が不細工な人と結婚するとするじゃないですか。
・「そこで結婚しない」という選択肢がない人
・「不細工な人だから結婚しない」というのがナンセンスだと思える・わかる人
・「あの人のどこどこが嫌いだから、別れる!」という選択肢がない人
・「嫌いだから、別れる」ということがナンセンスだと思える・わかる人

簡単に言えばこういう人を求めていることに気付きました。

要約すると、
・好き嫌いだけで判断しない人
・諦めない人

「一緒に生きて行くには、外見より内面と付き合うことが多い。
 さらにいろんな状況下で嫌いなとこも出て来る。
 それでも一緒に生きて行く姿勢を持った人。」です。

最初は、キャッチボールできるかどうか。

無知の知が覚るなら、それで大丈夫かと。

 
問答の相手も求む!

答え合わせをしたい人を。

一昨日のディベート後、日記書いててそう感じたので。

俺はもっと人と話すべきだ と。

 
結局、相手は鏡なのかも知れないけど、
そこに至るまでに身近な鏡に出会えるか否か。

鏡という自覚まで辿り着いたら、
もうどうでもっていう感じなのかも知れないけど。

なんか、見えて来た感じがするんだよ。

人と出逢う時って、こんな感じw

 

心の歩み方 問答

2006年5月15日
「教育ルネッサンスとHITOTSU学」に行って来た。
(http://1.peace-production.jp/)

講座の内容は置いといて。

その後にある方と対話した。

答え合わせ一覧

・講座の内容について
・講座の在り方
・自分の進むべき方向
・皆を進ませたい方向
・1人のリーダーと100人のフォロー
・100人のフォローから1人もリーダーに成れないならそれは
・認識の違いを明確に
・使う言葉に「気を付ける」
・イメージを扱う瞑想とヴィパッサナーの違い
・話が成立していると思っている裏側では、実は違う話になっている思い込み
・出口のない迷路から抜け出し、再び戻って来て伝えたいこと

***

他問他答 -> 自問他答 -> 自問自答 -> 他問自答

それを問うことが出来るのは、知っているから。

知らないことを問うことは出来ない。

知らないということを知っているなら問うことは出来る。

でも、それが解らないので答えることが出来ない。

解らないことを答えることは出来ない。

解らないということが解れば答えることが出来る。

知らないことを問うことが出来て、解らないことを答えることが出来る。

そこに「何故」を加えたら、

自ずと 知らない・解らない その「なにか」が見えて来る。

 
「東洋のルネッサンス マンダラディベート」なるものに行って来た。
(http://www.pbls.or.jp/debate20060513.htm)

具体的な伝える方法は、相手に問うこと。
問えば相手に響く。

多くの人に広めたくても、「気付き」というものは表せない。
相手には見せれない。
相手が自分で見付けないと見えない。

「気付き」とは、そういうもの。

具体的に伝えようと為れば為るほど、抽象的に表れて来る。

目には見えないものを伝えるには、目には見えないということを伝えるしかない。

それが相手に伝わったら、
それだけで多くのことは伝わって居て、
あとは、「具体的に」伝えて行けばいい。

なので、
目には見えないものを伝えたければ、
相手に問うて、相手に見付けようと為てもらえばいい。

これが今の俺が見付けた答え。

 
これを読んだあなたはどんな答えが見付かったかな?

もし、気付いたことがあれば誰かに問うてあげて。

 
こう為て最初の一歩は進んで行く。

そう為て縁は廻って行く。

 
「自分がそれを知らない」という事を知ってここに居る。

自分がそれを知らないという「事を知ってここに居る」。

だから、自分がそれを知らないという「事に自信が持てる」。

なので、それを知らなかったら

今「自分はそれを知らない事を知りました」で良いんだよ。

知らない事が恥ずかしい?

然る言葉は揺らがないんだよ。

だから、

堂々と

「教えてください」「すみません」「ありがとう」

と言えるんだよ。

 

この時 この場所

2006年5月11日
昨日(5/10)、不動産屋へ寄るつもりで、一つ手前の駅で降りた。

が、不動産屋は閉まっていた。

んで、いい機会なので家にそのまま歩いて帰ることに。

帰ってる最中、本当にこっちでいいのか判らなくなりつつ、

でも、こっちでいい という感じで歩いていた。

そして、神社が見えて来た。

その時、浮かんだんだ。

あ、俺はここへ来る為にここへ来たんだ と。

とても小さな神社

鳥居から境内まで3m

横には立派な木

不思議に見入ってしまう木だった

財布から小銭を全部賽銭した。

そして、祈った。

その後、

ほぼ同時刻に一通のメールが届いていたことに気付く。

忘れた頃に届く出会いってあるんだね。

 

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