始まりと終わり

2004年10月18日
始まりと終わり

問うことに始まり、覚ることで終わる。

始まる前は、なにもなく、

終わった後も、なにもない。

 
「わかる」ことと「考える」ことは違う。


考えるから、わかるのではなくて、

考えなくても、わかるものなんだ。

考えなければわからないのは、

わかろうとしない自分がいるから。

 

器と水

2004年10月17日
水を調えようと為ると

必然的に

器も調える事に成る

 

省み

2004年10月16日
俺に足りないもの

足りないという表現はおかしいけど

これから目指すもの

感じる力と強い意志

もっと感じられれば…

もっと強い意志があれば…

まぁ

言ってても仕方ないし

これも欲だと気付くこと

ローマは一日にして成らず

 
生きている

故に、喜び有り

故に、悲しみ有り

 

心と身体の坐り方

2004年10月14日
姿勢を正して坐る

ただこれだけだけど

落ち着いて行くには十分なんだね

 

霧散

2004年10月13日
視界の悪い道を直歩く

自問自答を繰り返しながら

進む道に観えるもの

それは

長い長い道のりではなく

一歩一歩進む自分の姿

 

ひとり

2004年10月12日
夢から覚めると

虚しさを覚える

 

器量

2004年10月11日
どんなに優劣を付けようとも

人は人でしか在りえない

 

空気のような存在

2004年10月10日
http://diarynote.jp/d/26909/20031104.html

あの頃の日記は長いなぁと思う今日この頃w

言いたいことは、そこに書いてあります。


人のものさしで、人は測れない。

人の器で、人は量れない。

だって、皆同じなのだから。

 

選択の意味

2004年10月9日
自分の選択を省みることで

自分がそれを選択した意味を知る

どんなに辛く苦しいことであっても

自分がそれを選んだことを知る

 

為す

2004年10月8日
人生成るように成るものだ

為すからこそ成せ

成すからこそ成る

 

木を見て森を見ず

2004年10月7日
葉を見て木を見ず

木を見て森を見ず

見るべきところは

いつも全体であり

抽象的なもの

 

心を引き出す

2004年10月6日
心を引き出すには、心に問い掛けること。

心を引き出すには、心に耳を傾けること。

心を引き出すには、心を受け入れること。

心を引き出すには、心のことをよく知ること。

心を引き出すには、心を理解し分かり合うこと。

 

思考を手放す

2004年10月5日
考えて居ては 落ち着かない

思いに乗れば 浮かんで来る

落ち着くには 考えず思わず居ること

そして 当たり前を当たり前とせず

より深く道理に気付いて行くこと

 

2004年10月4日
いつからか具体的には忘れたけど、半年以上前に、

歩きながら携帯を触っていて気付いた。

携帯に着けているストラップが円を描いていることに。

そう。

歩きに合わせてストラップの紐が回るんだ。

ダウジングみたいに。

 
「自分はそれを知らない」ということを

自分が知る時

知って居ることに変わる


「自分はそれを知って居ない」ことを自分は知って居る

これは

知って居ることに他ならない

 

見牛

2004年10月2日
どこに行けばいいのか覚り始めた自分

手がかりがひとつひとつ繋がり始め

一本の道が現れて来る

 

見跡

2004年10月1日
初めの一歩を踏み出した自分ではあるが

その方向が定まっていない

どこに行けばいいのか

手がかりを見付けられるのは

初心を忘れなかったものだけ

 

尋牛

2004年9月30日
初めの一歩を誰もが経験する

初めの一歩が踏み出せれば

もう片方の足を踏み出すだけ


自分と向き合う 初めの一歩

その道を見付けるには

見詰める必要があるんだよ

きっかけを掴む為に

 

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