2004年6月29日
悲観せず、楽観せず。

それらは、自分の中にあるもの。


自分を思い込まず。

自分を信じよう。


歩むことは、生きること。


どう歩むかに囚われると、歩んでいることが観えなくなる。

 
俺は、人よりもうまくできない方だ。

だからかな・・・

俺が、人よりもうまくできないことについて考えたのは。


うまくできる人は、ほんとうまくできる。

あたかも当然のように。


俺は、小学校の頃とか勉強そっちのけで遊んでて、
体育以外は3よりも2の方が多いということにいつも成ってた。

中学とかになって、俺はあまり外で遊ばなくなり、
あの遊んでる時の身体の感じが覚らなくなって、
いつのまにか、身体を動かすこともうまくできなく成っていった。


当たり前のようにできること

それがどうしてできるのか覚るのがもう少し早ければ、

俺はこう成ってはいなかったのかも知れないね。


でも、

もし、覚るのが早ければ、

俺はこう成れなかったのかも知れないね。



結局、

こう考えていても、思い込みの域を出ることはない。


過去も未来も、今とひとつ。

 

日常という名の慣れ

2004年6月29日
自分は、今ここに居る。

あなたは、今そこに居る。


皆、今ここに居る。

今ここに居ることに一体なにが問題だと言っているの?


自分は、今ここに居る。

あなたは、今そこに居る。

 

この世界の最小単位

2004年6月28日
専門学校の頃に、「この世界の最小単位ってなんだろうね」という話になった。
(変な話してる輩ですねw)

学校の人たちではなく、ネットの人とだけどねw


その時に出した俺の意見

この世界の最小単位は

存在

 

無 - Zero

2004年6月28日
あぁ、

在るから有るし、

在るから無いんだ。


存在の無と、存在の有無。

有無を付けられること自体、存在為て居るということ。

真に無いものには、なにも付けられや為無いんだ。

 
ほんと、物事って自分の思い通りに観えるものだ。

なにから、なにまで、

全部自分の感覚で観じているものなのだから。


悪いことに観えるもの。

それは本当に悪いものかい?

悪いと思っているものは、本当に悪いものかい?

逆に、

良いと思っているものは、本当に良いものかい?


答えを見付けることは、見合う言葉を見付けることじゃないよ。

見えるなにかに当てはめることじゃないよ。


答えが見付かると、スーッと落ち着いていく。

手話で「わかる」ということが「胸を撫で下ろす」ことのように。

スーッとね。


見付けるということは、落ち着くということなんだよ。

 

現実と幻実の狭間で

2004年6月27日
思っている時、その瞬間は、幻実。

感じている時、その瞬間は、現実。


不安になっている時は、幻実に自分がいる時。

落ち込んでいる時は、幻実に自分がいる時。

浮かれている時は、幻実に自分がいる時。


思い込むことなく。

自分で自分の感じているものが覚る。

それが現実。

 
俺さ、去年泣いてる時期があった。
少しのことで涙がでてた。

今振り返れば、あれは、悲しみを知る涙であり、喜びを知る涙だった。
哀しみではなく、悲しみね。


俺は子供の頃から「幸せになりたい」と思ってた。
女の子チックかも知れないけど、普通に俺の気持ちの中にあった。
そして、今も。

でも、最近覚ったんだ。
「幸せは成るもの」じゃなくて、「幸せは在るもの」なんだってね。

俺は、「幸せに成りたい」。

だから、「幸せを知る」。


辛いことの中に一つ自分の為に成って居ることに気付けば、
辛いことは幸せなことに変わるんだ。

「辛」という字が、「幸」という字に変わるように。


今、何の為に在ると思う?
なんで、自分は、泣いてると思う?

ねぇ。

そこに答えを見付けた時、また一歩先へ進むよ。



俺はこの人生で、安らぎがほしい。

何物にも、何事にも揺るがない、確かなる安らぎがほしい。

俺にとっては、一番ほしいものではなくて。

それがすべてなんだ。

 

現れの実

2004年6月25日
心が変わって行くに連れて、

身体もまた、変わって行くもの。


心に観合う身体に。

内容に観合う容器に。


心は身体に滲み出てくるもの。

心を表そうとしなくても、現れているもの。

 

理解者

2004年6月24日
「美」を知れば、「醜」を知る

「楽」を知れば、「苦」を知る

「未来」を知れば、「過去」を知る

「出会い」を知れば、「別れ」を知る

「高き」を知れば、「低き」を知る

「新しき」を知れば、「古き」を知る

「強き」を知れば、「弱き」を知る

「持」を知れば、「捨」を知る

「動」を知れば、「静」を知る


理を知る事は、真を知る事成り。

コトワリを知ることは、真を知るコトワリ。

 
明暗


明るきを楽しむは、月。

暗きを楽しむは、音。

 

気楽極楽

2004年6月22日
変化を恐るる事無かれ


日々の変化を恐れては行けない。

変化は、自分の歩む過程そのもの。

歩んで行けば、自然と変わって来るもの。


自分の気持ちを感じて行こう。

変わるものを恐れず。

変わったものを嘆かず。


恐れや嘆き

全部含めて、自分の気持ち。

気楽に成ろう。

自分の気持ちを楽しもう。


楽が有れば、苦が有るように。

楽しもうとしても、思い通りに行くことばかりじゃないよね。


でもね。

それでも、それはそこに在るんだよ。


それを楽しもうと、それを苦しもうと。

それはそこに在って、

そのものに変わりはないんだよ。


だから、

感じることそのものの楽しさを知って行こうよ。

ね。

 

知恵の木の実

2004年6月22日
禁断の果実

知恵の木の実


知れば知るほど、疑問が湧き

知ろうと為れば為るほど、悩みが生まれる


まずは、

悩みがどうやって生まれ、

疑問がどうやって湧くのか見据えること。


始めることが出来れば、半分終わることが出来ている。

 
行雲流水

在るがままに


雲は行き

水は流れる


身体は時に巡り

心は常に廻る


そのままでいいんだ

なにかを成そうと為さなくても

為るように成るのだから


いつでも

どんなときでも

自分の気持ちを知っていることができれば



 

心・技・体

2004年6月20日
物事の極意

心・技・体


弘法筆を択ばず

「心・技・体」の中で、筆に当たる「体」。

そして、「技」も。


「技」というものには二つある。

身体的技術と、精神的技術。

身体的技術は、筆に当たる。


「自分」というものにも「心・技・体」がある。

「自分」という筆は、「自分」に非ず。


行き着くところは、「心」。

己を磨くとは、「心」を磨くこと。





俺が観じてるには、「心・技・体」は、

いや、「心・技・体」だと思っているものは、

ほとんどが「技・体」のことだ。

「心」は、言葉で表せない。


人に「心」を伝えることは、

「心」を感じてもらうこと。

その人自身の「心」をね。


そのやり取り自体が「伝える」ということ。

 
ISBN:4757210442 単行本 小林 裕子 株)アスペクト 2004/06 ¥1,995


古きを尋ねて新しきを知る。


自分の価値観で物事を観ることができなければ、なにを観ても同じだね。

自分の価値観で物事を観ることができても、なにを観ても同じだけども。


結局、自分で判り解り、分ろうとしなければ、なにも変わらない。

進めない。

一歩が進めない。


知ることが知識に変わるのか。

知ることが知恵に変わるのか。


知ることが知恵と成るように為て行こう。

知識では越えられないものを越えられる知恵。


今の自分を超えて行くことができるのが、知恵。

 

直感

2004年6月19日
直感というものがある。

その直感を自覚していくことが、

その先を観る鍵。


狭く観る必要もない。

広く観る必要もない。

今のままを今のままに観ることができれば、

自然と広く観えて来る。

自然と狭く観ることも出来る。



直感のままに動くのではなく、直感を観じて、

気持ちを動かし、その気持ちを表す。


そうやって、今観得ているものが、今の気持ちに現れてくる。

その気持ちが、五感に伝わり、人に伝わるものになる。

 
喜びたいなら喜んでもいい。

怒りたいなら怒ってもいい。

哀しみたいなら哀しんでもいい。

楽しみたいなら楽しんでもいい。


なにしたっていい。

心は自由だ。


ただ、

その心の自由を自分が感じようとしなければ、

自分は自由を感じれないんだ。

だから、

いつまで経っても、

自分は自由には成れないんだ。

 

Open the Door

2004年6月17日
close your eyes.

close your ears.


open your eyes.

open your ears.


open your heart.





ふと思い出した。

普段、なにか習慣付けたいことがあったとして、

それをどうやって習慣付けるのか。


俺には子供の頃から、やって来ているやり方がある。

それは、その時だけ集中してやるのではなく、

普段の日常をその状態にして行くこと。


表現がしっくりこないけど、とりあえず、進めますw


日常をその状態にして行くことは、慣れることではない。

気持ちが変わること。

心が変わって行くことなんだ。


でないと、形式だけの習慣が出来上がる。

それこそ、本当に慣れだ。


心を貫いては駄目なんだ。

それは、心に穴を空けることになってしまうから。

 

内観

2004年6月16日
先日の熱が出て以来、感覚が変わったために分らなかった感覚。

原点に近づき、そこから改めて事にあたる。

そして、改めて気付いた。


身口意を観察することによって、気持ちは内に向き、

音がよく聞こえ、色がよく見えてくる。

 

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